後編 そして・・・

第11話

 美香と再会し、その日のうちに(正確には日付は跨いだけれど)そんなことになってしまって、僕は一ミリたりとも後悔はしていない。

 昼過ぎのかなり遅い時間にホテルを出て、美香は僕を自宅アパートまで送ってくれて、自らは峰のところに顔を出すと言った。

 昨夜、実は峰も一緒だったと、家の者に対してアリバイ作りをするつもりらしい。

 そんな話を聞かされると、やはり少しは気が滅入るというか、申し訳ない思いもするのだけれど、それよりも、過去の失敗、掛けてしまった迷惑、そんなものを取り返すチャンスが与えられたような気がして、そして何より、二度と美香のことを傷付けないという思いを胸に秘める僕が居た。

 美香は、今回の帰省はかなり長くて、一ヶ月はこちらに居ると言う。

 僕はそのことについて、あちらでの仕事のことや生活のことを特に訊くでもなく、長い帰省の理由を尋ねることもしなかった。

 その時は彼女の長い帰省を不思議に思ったり、再会して直ぐにあんなことになったことも不自然と感じることも無かった。

 それより寧ろ、一ヶ月の間に、二人の溝を埋めていける時間を得られたと思ったし、その時点では、きっとちゃんと彼女に向き合って、今度こそうまくやれる、そんな気さえしていた。

 今日も含めてあと三日、夕方五時から明け一時までの勤務を終えると、僕は日曜(日曜日は店自体が定休日なのだ)、月曜と二日間の連休の予定だった。

 別れ際、そのことを話すと、美香は「分かった」と言い、僕が続けて「また、その日、そう、日曜日、会えるかな?」と訊ねると、少し考える仕草をしてから、ニコリと笑って「いいよ」と答える。

「それじゃ、今度は俺が車出すから、どこかドライブでも行かないか?前に一度行ったことがある水族館なんてどう?そこでお昼食べても良いし」

「うん、いいよ。あ、でも・・・」

「ん、どうしたの?」

「ううん、何でもない」

 何かを言いかけて、それを止めてしまった美香に、もう一度訊いてみた。

「どうしたのさ、言ってごらんよ」

「・・・そうね・・・。カズくんってさ、もうバイクは乗ってないの?」

「ああ、バイクかぁ。乗ってるって言えば乗ってるかな、たまにね。乗ってるって言うより、持ってるに近いかも知れないね。そういえば、ここ2カ月はエンジンすら掛けてないや。何で?」

「あのバイク?」

「そう、昔乗ってたヤツ、今も乗ってる、いや、持ってる」

「そのバイクで、行かない?ダメ?」

「いや、別に構わないけど。バイクが良ければ、そうするよ。じゃ、迎えに行くけど、何時なら大丈夫?」

「そうね・・・。じゃあ、九時で。あ、でも、そんな早くて、カズくん寝る時間ある?もう少し遅くしよっか・・・」

「いや、大丈夫。五時間は寝れるよ。いつもそんなもんだし、前日忙しくなければ、やっぱり昨日みたいに早く上がっちゃうから大丈夫だよ。じゃ、九時ね」

「うん。だけど・・・、家とかじゃ、ちょっと、アレだから・・・」

「あ、うん・・・、そうだね・・・」

 やはり、彼女の家族は良い顔をする訳はなく、そんなことは自業自得だと分かってはいるのだけれど、少し寂しい気分になる。

 今更開き直ることなんて出来はしない、そんな僕の表情を、瞬時に美香は読み取ったのだろう。

「ごめんね。でも、気にしないで。うちは大丈夫だから・・・」

 僕は慌てて美香の『ごめんね』を打ち消す。

「違う、ちがう。美香が謝ることじゃない。俺の方こそ・・・」

 少しの沈黙があり、それから美香が再び口を開いた。

「うん、じゃあ、日曜日、九時に国道沿いの病院前バス停で待ってる」

「ああ、じゃ、九時に」

 そして僕は、美香の車が先の交差点を曲がって見えなくなるまで見送った。

 ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇



「マスター、あとは俺、遣りますから、もうカウンターにでも座っててください。ってか、今日は帰らなくて良いんですか?もしこの後、昨日の彼女さんと約束とかしてるんだったら、行って貰って良いですよ」

「いや、今日は何もないよ。そんなに気ぃ遣ってくれなくて大丈夫だよ。でも、ありがとな」

 北島の言葉に、カウンターの中でグラスを拭く手を止めた僕は、一度は『気を遣うな』とは言ったものの、思い直して北島に告げる。

「やっぱり、任せる。俺、ちょっとカウンターで岸本さんと話するわ。良いかな?」

「ええ、勿論」

 北島は僕からグラスダスターを受け取ると、「何か飲みます?」、そう訊ねてきた。

「そうだな、そしたら、俺のキープボトル、グラスを岸本さんの分と二つ、出してくれるかい?」

「分かりました。お疲れ様です」

 時刻は午前零時に差し掛かろうというところで、店内にはカウンターの岸本さんと他に、奥のテーブルにカップルが一組だけだった。

 僕が前掛けとベストを外し、「どうも。隣、良いですか?」そう会釈しながら岸本さんの座るカウンター席の傍らに立つと、岸本さんは「おう、Tomyちゃん、もう上がり?お疲れちゃん」と言いながら、自分の隣の椅子を引き、そこに座るように僕を促す。

「お疲れ様です。今日はお一人だったんですね」

 確か午後九時前に店に現れた岸本さんは、カウンターに陣取る他の常連客と談笑をしながら、いつものように生ビールを煽っていたが、その常連客も一人、二人と帰っていき、その後一時間ほどは、カウンターの中の北島を相手にひとり、瓶のハイネケンをチビリチビリとやっていた。

「独りで飲みに来て、何か問題でも?」

 椅子に腰掛けようとしている僕に、眉間に皺を寄せるようにして、ギロリと僕を睨み付ける岸本さんのいつもの冗談を、僕は「いえ、岸本さん寂しいのかなぁ、一緒に飲んであげようかなぁって、思いまして」と往なしに掛かると、ニヤリと笑った岸本さんはこう切り返してきた。

「じゃ、昨日の話でも聞かせてもらおうか」

 いきなりそうきたか。

 しかし僕も満更ではないのだ。

 誰かに話したかったし、聞いて欲しいかったのが本音である。

 そして、言いはしないが、自分が心の中で決めたことに対する、誰かの意見を欲していたのだ。

 但し、自分の思いに否定的なことを誰かが言ったとしても、自分の考えを変えるつもりは無かったと思う。

「ま、それは追々。先ずは、昨日の、気を遣って頂いたお礼に、一杯奢らせてください。僕のキープボトルで良いですか?それとも、まだビールにします?」

「奢りか?なら、どっちも貰おう。ビールをチェイサー替りに、ウイスキーをロックで貰おう」

「強欲ですねぇ、相変わらず」

「何か問題でも?」

 再びギロリと目を剥く岸本さん。

「いえ、問題無いです。岸本さんが僕の話を覚えてられないくらいまで酔っ払ってから、昨日の話をしますから、だから、寧ろ飲んじゃってください」

 僕の返しに、岸本さんは愉快そうに笑って、「良い作戦だ」、そう言って、今飲んでいる残りのビールを一気に飲み干した。

 僕は北島がカウンターに準備してくれたアイスペールからグラス二つに氷を入れ、キープボトルのワイルドターキーを其々に並々と注ぎ入れた。

「北島チーフ、あと、岸本さんに、ハイネケンもう一本。それ、俺の伝票に付けておいて」

 岸本さんが慌てて北島に声を掛ける。

「いや、いいよいいよ、さっきのは冗談だ。ハイネケンは俺に付けといてくれ」

 岸本さんはそんな人だ。

 知っていた。

 一見ぶっきらぼうを装っている癖に、実は誰にだって優しくて、他人の機微に敏感なのだ、この人は。

「じゃ、北島チーフ、ナッツ&チョコ、それとメキシカンピザ、出してくれる?岸本さん、メキシカンピザ、好きでしたよね?」

「いいって、そんなに気にすんなって」

「僕も少しお腹空いてるんで、一緒に食べましょう。ね、なら良いでしょ」

 そこに北島が割り込んでくる。

「マスター、じゃ、俺も一杯付き合いますよ。マスターの奢りで」

「分かったよ、グラス持って来いよ」

「はーい」




 岸本さん以外で最後のお客だったカップルが帰った後、カウンターには岸本さん、中では北島が洗い物と片付けを行いながら、僕の話を聞いていた。

 勿論細かい話はしないし、簡単な経緯と、僕が当時、如何に馬鹿者だったかということを掻い摘んで話した。

「んで?どうするのよ、Tomyちゃんはさ。いんや、どうしたいの?」

 もう既にかれこれ四時間飲み続けている岸本さんは、少し目が座って来ている。

「そうっスよ、マスター。その美香さんとやり直すってことですか?」

 北島も洗い物をする手を止め、グラスのウイスキーをチビリとやりながら、同じようなことを訊いてきた。

「いや、どうするも何も、まだ何も決まってないし、向こうのことだってあるし・・・」

 北島が更に突っ込んでくる。

「でも、向こうから会いに来てくれたんでしょ?しかも『好きだから』って。だったら何も問題無いじゃないですか」

 僕は北島の言葉に即座に反応してしまう。

「違うんだ、『好きだから』じゃなくって、『好きだったから』って、言うんだよ、彼女」

 ふと、岸本さんの反応はどうなのだろうと隣に目を向けると、岸本さんはカウンターに突っ伏して寝てしまっていた。

 岸本さんと話をするつもりだったが、どうやら話し相手は北島に変わったみたいだ。

「寝ちゃいましたね、岸本さん」

「ああ、暫く寝かしといてあげよう」

「で、話、戻しますけど、美香さん、『好きだったから』って、言ったんですか?」

「うん、そう言った」

 北島は少し間を置くようにして、それからまたもうひと口ウイスキーを含み、それをゴクリとやってから言った。

「そうっスかぁ。それは何かありますねぇ。けど、ってことは、マスター、まだ何か隠してますね?」

 別に意地悪そうという訳ではないが、北島の目には何か含みがある。

「なんだよ、隠してるって。人聞き悪いこと言うなよ」

「いえ、その美香さんが過去形で『好きだった』って言ってるのに、今日のマスター、結構余裕じゃないですか。だから、何ていうか・・・、ええっとですね、その・・・」

「何なんだよ、気持ち悪い奴だな」

 北島が何を言いたいのか、本気でさっぱり分からない。

「じゃ、ぶっちゃけ、言っちゃいますね。マスター、美香さんと、昨夜、やっちゃったでしょ?」

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