第7話

 一次会がお開きになり、グループの皆が店の外に出る。

 クリスマスイブの日の外の空気は、それなりに冷たい。

 二軒目に向かう五人と、それ以外の四人。いや、帰宅組は三人だった。智恵美先輩が、いつの間にか居なくなっていた。

「あれ、智恵美さんは?」

 そう言った誰かの声に、季実子が答える。

「うん、何か、このあと用事があったみたい。、カウンターの一番端に来てたみたいだし・・・」

 その季実子の声がした方を見ると、季実子は帰宅組の三人に混じっていた。

 僕は五人の中からスッと身体を抜け出させ、「やっぱ、俺、今日帰るわ。明日、早いの思い出した」、言い訳がましく誰に言うでもなく、それでも皆に聞こえるくらいの声で言う。

「なんだよ、富永ぁ、そりゃないんじゃないの?」

「いやいや、ほんと、今日は帰るわ。それより、俺が抜けた方が、男二人、女の子二人で盛り上がるだろ?」

「・・・うん?・・・そういえばそうか。よし、富永、帰って良し」

「な、フィーリングカップル二対二だ。どうぞよろしく盛り上がってくれよ。寂しいもん同士、今日くらいは楽しくやれよ」

「やだぁ、なに勝手なこと言ってんのよぉ、もぉ・・・」

 そう言う女の子たちも、満更では無さそうな声色ではある。

 僕は季実子に目で合図を送り、「じゃあな、良いクリスマスを」、そう言って歩き出した。

 直ぐに季実子が追い付いてきて、「速いよ、歩くの」と言いながら、僕の右隣に並んだ。

 僕は早いところ先ほどの話の続きが聞きたくて仕方がない。歩くスピードを少し遅らせて季実子に合わせたのは、早く話を聞きたい僕の気持ちの表れに他ならない。

 そんな僕の様子を知ってか知らずか、季実子は焦らすように、「今日は中々楽しかったわよね」と全く僕の思惑とは見当はずれのことを言う。

 僕もあまりにもガッついていると思われるのも癪なので、「そうだね」と答えてから、少し間をおいて「で?」と促してみた。

「ああ、そうだったわね。智恵美さんのことだったわね。これ、私から聞いたって、絶対に言っちゃだめだからね」

 そう前置きをして、季実子は僕の表情を伺うようにしてから、そして、話し始める。

「今日さ、さっきのお店で、カウンターの一番奥に座ってた男の人、覚えてる?」

「あ、ああ。覚えてるっちゃぁ覚えてる。で、その人が何なん?」

 さっきも言っていた「」のことか。

 季実子は少し僕を残念な者を見るような、「はぁ」という溜息をこれ見よがしに吐いてから、「やっぱり、気付いてないのね」と言った。

 僕はその言葉の意味が、何のことやら分からないのだが、この先の余り宜しくない季実子の言葉を想像して、胸の中がザワつき始めていた。

「あの人、智恵美さんの、元カレ。っていうか、私も何だかよく分かんないんだけど、あの二人、ずっと付き合ったり別れてみたり、この三年、ずっとそんな感じみたい。

 それで、結構、周りの人間まで巻き込んじゃっててね。

 本人たちはどう思ってるか知らないけど、周りから見たら、どう考えてもビョーキよね。好きだ嫌いだ、付き合うだ別れただ、だけどやっぱり、って、そんなこと自分達二人だけでやってて、って話。

 それで、今は、別れてる最中なのよね。

 今回は結構長くて、半年くらいあんな状態じゃないかしら。

 いつもだったら、一ヶ月くらい、酷い時には三日で元鞘なんだから、話聞かされるこっちは、いい加減にして、って感じ」

 一気に捲し立てるようにそこまで喋ると、季実子は「だけど」と少し落ち着いた声で付け足すように言うのだ。

「でもね、嫌いだったり、仲が悪かったりするわけじゃないのよ、智恵美さんとは。そこ、勘違いしないでね。ただね、あの人たちに振り回される周りの人たち見てるとさ、やるせないっていうかさ・・・」

 これも随分後になってから知った話なのだが、季実子が以前に付き合っていた彼氏が、このことに巻き込まれて、結局、季実子とその彼氏は別れる羽目になってしまったらしい。

 智恵美先輩って、魔性の女?確かにそういった部分は有るかもしれない。

 けれど、その時の僕にはそんなことより、『半年くらいあんな状態』だということに、最も興味を惹かれていた。

「今も、あの人と二人で会ってるはずよ。先に居なくなったのも、いつもあのバーに行くのも、つまり、そういうことなの」

 季実子が僕の態度に何を期待しているかは知らない。

 単純に僕の最近の浮かれっぷりを見るに見兼ねて、同情し、気遣い、注意喚起をしてくれているのか、それとも、ただの女の嫉妬なのか、どちらとも取れるが、それよりも、僕の中に湧き上がる「」への嫉妬心とライバル心を、僕自身が抑えられなくなっていた。(実際のところ、「あの人」にしてみれば、僕の存在など、微塵ほどにも感じていなかっただろうけど)

「ふぅん。そうなんだぁ」

 僕の気の無さそうな返事に、季実子は少し不満だったかもしれない。

 いきなり上着の内ポケットの携帯電話が振動し出した。

 美香、いや、美香の友達か?

 呼び出し画面を確認する。違った。智恵美先輩だ。

 今まで季実子に聞かされていた話の内容も忘れて、僕は慌てて電話に出る。

「あ、もしもし、富永です」

「・・・ごめんね・・・。今、どこ?・・・」

 え?

 智恵美先輩、ひょっとして、泣いてる・・・?

「えっと、そうですね、さっきのお店からは随分離れてて、今、部屋に帰ってる最中ですけど・・・。どうかしました?」

「・・・そう・・・。あのね、今から、そっち、行って良いかな?・・・誰か一緒?」

 僕は季実子に視線を投げる。

 季実子はそれを察したように、敢て僕の視線を無視するべく首を横に向けた。

「あ、いや、独りですけど・・・」

「・・・よかった・・・。良いかな・・・そっち行って・・・」

「え、うん、いいですよ。うちの近くの、国道沿いのセブン分かりますよね?」

「うん」

「じゃ、そこの前で待ってます」

「うん、分かった・・・」

 電話は切れた。

 一度は目を逸らしたはずの季実子が、再びこちらに視線を向けていることに気付く。

「智恵美さん、よね?今の」

 返事に躊躇う僕に、季実子の方から先に告げられる。

「私、もう行くね。一応、ちゃんと言ったからね。あとは好きにして」

 そう言った季実子は、僕をその場に残したまま、自分の家に帰るのであろう、先の四つ角を、僕の部屋とは反対方向に曲がって行った。

 僕もセブンイレブンに向かった。


 僕がセブンイレブンに到着し、念のため、ビールとアップルシードルを二本ずつと、おつまみのチーズとナッツを買って表に出ると、ほど無くして智恵美先輩が現れた。

 彼女は僕を見付けると、少し俯き加減に、それでも小走りに僕のもとにやって来る。

「ごめん、待った?」

 僕は先ほど電話口で泣いていた智恵美先輩のことを思い出したが、気の利いた掛ける言葉は思い浮かばなかった。

「ええ、いや、そんなには・・・」

 これじゃあ、何の会話も始まる余地はない。

 僕は有りっ丈の意を決する。

「こ、ここじゃ、何ですから、お、俺の部屋、行きます?ビールも買っておいたし・・・」

 そう言って、手に持ったコンビニの買い物袋を少し持ち上げて見せた。

 一瞬、言わなきゃよかった・・・そう思った。

 ギュッと目を閉じて、審判の瞬間を待つ気分だなのだが、何故だか目は閉じることが出来ずに、僕は智恵美先輩を見詰めていた。

 永い一瞬、その刹那、智恵美先輩は、伏し目がちなまま、小さくコクリと頷く。

 おかしい・・・

 何かが、おかしい・・・

 もっと、何ていうか、ときめき?いや違うな、胸の高鳴り?それも違う。喜び?失敗の許されない緊張感?達成感?この先の期待感?男の欲望?エッチなドキドキ?・・・・。

 違う。どれもこれも違う。そんな感情はひとつも起こらない。

 ただあるのは、言葉では言い表せない、胸の辺りにつかえるような息苦しさだった。

 それは季実子の言葉のせいなのか、それともこの先に美香が待っていることが分かっているからなのか・・・。

 僕も智恵美先輩も、二人ただ黙ったまま、国道沿いを歩き、そして僕のアパーのトへと向かう路地に入る。

 路地に入ったところで、智恵美先輩の肩が、僕の腕に触れるくらいに接近するのを感じるのだけれど、僕は手を握ることも、その肩を抱くことも出来ずに、ただ黙って歩くことしか出来なかった。

 そんな僕の態度が、智恵美先輩にどんな風に伝わっていたのか、勿論そんなことは、彼女以外は分からないのだけれど・・・・。

 僕の部屋の有るアパートに近付き、アパートの駐車場のフェンスが見え始めたところで、その先の街灯の下に、女性らしき二人の人影があるのに気付く。

 それは、美香とその女友達。

 予想はしていた。そう、偶然の鉢合わせでも何でもない。

 アパートに辿り着くには、三本のコースがあり、今歩いている道以外のコースであれば、少なくとも彼女達の目の前を通ることはなかった。

 なのに、よりによって、この道を選んで帰って来てしまった。

 恐らくそんな事じゃないかと思っていた僕が居るのも事実だが、しかし、実際にそうなったとき、自分がどういった態度、行動に出るかまでは、考えていなかったし、寧ろ出たとこ勝負だ、くらいに思っていた。


 半歩先を行く智恵美先輩、そして見る見るうちに狭まる美香との距離。


 映画のコマ送りみたいに、一々カチカチと音でもしてそうなくらい、ぎこちなく、でも鮮明に映りゆく周りの世界が、止まっているのか進んでいるのかさえ分からない。


 必死に前だけ、少しだけ先を行く智恵美先輩の左肩だけに視線を向けようとするのだけれど、右目のほんの端っこに映り込む美香の姿に気を取られていることは、隠しようのない事実。

 そして感じる僕に向けられた美香の視線もやはり、コマ送りのように一瞬一瞬を鮮明に切り取りながら僕を追ってきている。

 それでも僕は、その息が詰まる状況に、立ち止まることも声を出すこともせず、顔を正面に向けたまま、歩き去ろうと必死だった。

 いや違う。

 立ち止まることも、声を出すことも、出来なかった、のだ。

 もっと簡単に考えていた。

 こんなにも美香の視線が痛いとは思わなかった。

 それでも僕は、腹立たしいのだ。

 それは美香に対してではない。

 自らの中の、欲望、憤怒、哀しさ、不安、そんなものが混ざり合いドロドロとした気持ちの悪い何かしらが、ぐちゃぐちゃと胸の辺りを漂っていて、何とも言えない自分自身への嫌悪感。

 ならば、立ち止まって、全てを振り出しに戻せば良かった。でも出来なかった。

 美香は泣いていた。それは分かった。

 僕の為に泣いている。それも嫌だった・・・。



 無言のまま、僕は部屋の鍵をドアノブに差し込み、そして回す。

『カチャ』と、乾いた音を立てて解錠したドアを開け、先に玄関脇の照明スイッチを押してから、智恵美先輩を室内へと促した。

 智恵美先輩も黙ったまま、そして促されるままにパンプスを脱ぎ、僕の寝室兼居間へと進む。

 僕がキッチンでグラスとつまみ用の皿を用意してから部屋に入ると、智恵美先輩はまだコートも脱がない状態で、そこにジッと立っていた。

「どうかしました?」

 テーブルにグラスと皿、そして先ほど購入した買い物袋を置き、それから自分の着ているコートを脱ぎながら、僕は如何にも平静を装って、「じゃ、飲み直しましょう」とも言った。

「うん、いえ・・・。ねぇ、富永くん、さっきの女の子たちって・・・ひょっとして・・・」

 何と答えて良いか分からない僕は、まるで聞こえていないかのようなフリをしながら、壁からハンガーを一つ取って、「どうぞ」と、智恵美先輩に手渡す。

「・・・ねぇ、良いの?彼女さん、よね?」

 流石に聞こえないフリをするのにも無理があると感じた僕は、「あ、ええ・・・。でも、もう随分前に別れましたから・・・」と、如何にも素っ気ない調子を装って答えてみた。

 暫し無言の時間の中、彼女が今しがた僕から渡されたハンガーを握り締めたまま、僕をジッと見詰める視線が、何とも居心地を悪くさせるのだが、次の言葉を僕が発するべきなのか、それとも彼女の言葉を待つべきなのか、正解がどちらなのか、全く見当も付かないでいる僕に、智恵美先輩は、小さく、掠れるような声で、呟くように、言った・・・。

「・・・ダメ、だよ・・・。富永くんは・・・、ダメ、だよ・・・。あの子、泣かせちゃ・・・」

 彼女が何を言っているか分からない。

 いや、違う。

 本当は、嫌というほど理解出来たし、けれど、理解したくなかった。

 僕は思わず智恵美先輩との距離を詰め、その華奢な身体を抱き締めようと自らの両腕を伸ばそうとした瞬間、彼女は僕の脇をすり抜けるように、そして、今の僕の動きがまるで無かったかのように、更には、そのことに彼女自身がまるで気付いていなかったとでもいうように、ニッコリと微笑んで、今度はハッキリとした口調でこう言うのだった。

「あーあ、なんかさぁ、酔いがすっかり醒めちゃったよ。そういえば、私、今思い出したんだけど、明日の九時半に、空港で待ち合わせがあったのよね。やだ、もうこんな時間・・・」

 智恵美先輩はワザとらしく自らの腕時計にオーバーアクション気味に目を遣ると、それから続けて言う。

「なんか、押し掛けておいて悪いんだけど、私、帰るわね。明日の用事、結構大事なんだよね。私の将来が掛かってるかもしれないから・・・」

 一方的に捲し立てるように喋り続ける彼女に、僕は成す術もなく、立ち尽くし、動揺し、黙り込んだまま、彼女の輪郭をボンヤリと見詰めることしか出来なかった。

 もう一度、もう一歩、そしてもう少しの『我儘』という名の『勇気』さえ僕にあったならば、その日、僕と彼女は結ばれていたかもしれない・・・。

 それが、良い悪いは、別として・・・。


 彼女が出て行った部屋で独り、僕は、何を考えるでもなく、煙草の煙を目で追っていた。

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