30日目 はなむけ

 さてさて、どうしたものか。


 地主の蔵の鍵として生を受け幾星霜、蔵に毎年たくさんの米俵が積まれていた頃もあったが、いつしか物置に成り果て最後には取り壊され、いつか見かけた懐かしい我が家の土地はこんくりーとで均され自動車がたくさん停まっていた。余った土地を自動車の駐車場として地代を稼いでいるようだ。まあ、かつて世話になった人間のひ孫や玄孫がその金で壮健であれば良いと思う。

 物入れの中で十年か何十年か過ごしたときは、さすがに意識が薄れていることが多かった。人に使われ、思いを受けて意志を持つのが付喪神である。使われなくなった古道具に宿っていた意識は煙のように消えていく。

 何の因果か十把一絡げで売り飛ばされ、古道具屋、今風に言えばあんてぃーくしょっぷとやらで売り買いされるようになり、主に物好きの娘たちに買われてはまた売られ、人の間を渡り歩いてきた。

 人の思いは気まぐれで、意識を強く保てることもあれば薄れていくことも多かった。もともと限りある命持つ生き物ではなく物としてこの世に存在している以上、そういう物なのだろうと思う。朽ち果てるまで、移りゆく人の世を眺めるのも一興だと思っていた。

 あの娘に買われたときも、こうして動き出せるようになるとは思わなかった。もともとあの娘の家にいた、紙飛行機の存在が大きい。長く一つの家族に住まわれ、大切に使われたり変わりゆく家族の思いを受け止めることに、あの家自体が慣れていた。

 紙飛行機に聞いた話では、どうやら数年前に両親が亡くなってから、娘がやたら重苦しい。二親を亡くし落ち込むのは当たり前だが、どうやら外に友達もいないようだ、と紙飛行機は外での娘の様子を気にしていた。


 存外楽しいひと月だった。娘について職場へ通い、当世の流行を知り技術の進歩におどろき、娘の料理を見て百年経っても変わらぬものに安堵する。

 短い間で、あの子も随分変わった。紙飛行機は元々の望み通り飛び去ってしまったが、それは娘をおいて行っても問題ないと分かったからだ。

 とはいえ、わしまでこうして離れてしまうのは予想外じゃった。

 満員電車とはげに恐ろしきものなり。ぼとりと落ちた先は、かつての娘の鞄を彷彿とさせる、整頓されていない鞄だった。だがそのおかげで小さな手を伸ばして鞄のふちまで登るための足場がたくさんあった。人混みの中で一生懸命こちらに向かおうとしている娘が見えた。

 そんな顔をするものではないよ、小さな人の子よ。もともと出会い、言葉を交わし合えたのが奇跡のようなものだった。これまでの暮らしに戻るだけ。そしておまえは、これからはもう少し誰かと関わって、前を向いて生きていくことができるだろう、強い子だから。

 そんな思いを込めて娘を見て笑ってみせる。泣きそうだった娘の顔がくしゃりとゆがんで、それから泣き笑いのように、にっこり笑った。

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私と鍵の十一月 なかの ゆかり @buta3neko3

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