第β話

「は?!偽装結婚?!」


 イザークは耳を疑った。なぜ?どうして偽装結婚?そしてまた偽装かよ!!イザークは心の中で舌打ちする。


「うーん、この間あんたに気をつけろって言われて、確かに言い寄られることも多いしじろじろ見られるのも面倒くさいかなって。」


 イザークの返事も気にせずアデルナは頬杖をついて話を続ける。


「まあ結婚指輪してれば虫除けにくらいなるんじゃないかと。」

「虫除け?そんなことで結婚するんですか?!」

「偽装だし。フリだけならいいでしょ。」

「全っ然良くないです!!」


 このお姫様はぶっ飛んでいるが、今回は酷すぎる!!偽装?虫除け?俺をなんだと思ってるんだ?!イザークは片手で顔を覆う。

 焦燥が一気に募る。焦がされて痛いほどなのに、この姫は無神経この上ない。


 一方のアデルナは反対されて不平顔だ。困ったように思案する。


「そうなると何かいい方法ないかしらねぇ。」


 その発言にイザークはハッとする。


「姫。誰かと偽装結婚するのもダメですからね?」


 釘を刺せば、流石のアデルナも呆れた声を上げる。

 

「しないわよ。当たり前でしょ?そんなのもっと面倒くさくなるわ。あんたと一緒に住んでる説明ができなくなるし。もう指輪だけでもつけようかしら?」

「俺もつけないと余計おかしなことになるでしょ?!」

「じゃあさ!イザークも指輪だけつけてよ!」

「だから偽装はしませんって!」


 指輪だけ、のくだりにイザークはさらに心がざわめいた。人の気も知らないで!なんなんだこの姫は!

 仕方ないなぁ、とアデルナが嘆息した。


 偽装駆け落ち、偽装結婚。偽装という言葉にがんじがらめにされて身動きが取れない。この戒めが、アデルナからなんとも思われていないんじゃないかと不安を煽る。それがさらにイザークの身を焦がす。大声で喚きたい!もう発狂してしまいそうだ!


 俺はあなた以外なんにもいらないのに!



 喉渇いたから何か飲む?と席を立ち背中を向けたアデルナのうしろ姿に怯え、十年積み上げた理性があっけなく崩壊した。イザークの手が伸びる。


 次の瞬間、イザークはアデルナを呼び止めて、背中から抱きしめていた。


「イザーク?」

「行かないでくれ‥‥」


 追い詰められてそれしか言葉が出なかった。震える手が更にきつく華奢な肩を抱きしめる。アデルナがその腕にそっと手を添えた。


「どこにも行かないわよ?」

「‥‥違う、‥そうじゃない。」


 アデルナは静かに微笑んだ。


「—— じゃあ何が欲しいの?」

「あなたの‥こころがほしい。」


 イザークが声を絞り出す。焦がされて焦らされて狂わされて、じりじりとした、痛いを通り越して身を引き裂かんばかりに苛む焦燥の中でイザークはただ欲しいものを言う。


「なら乞うてみなさい。」


 アデルナの静かな声に抱きしめる腕の力が抜けた。


「私に乞うてみなさい。そうすれば叶うかもしれなくてよ?」


 抱擁が解けた腕の中で振り返るアデルナは慈悲深い聖女のように微笑む。イザークは差し出されたアデルナの手を弱々しく取りひざまずく。


 アデルナを失えばそれこそ何も残らない。十年前、一度その孤独を味わっている。この人を失って自分は生きていけるのだろうか。その孤独と絶望を思いイザークは体を震わせ慄く。

 今までアデルナと重ねた日々を思えばそんなことはありえない、と脳内で声がする。それでも震えが止まらない。掠れた声で想いを紡ぐ。


「あなたの傍にいたい。あなたのこころがほしい。あなたの慈悲を、憐愛れんあいを俺に与えてくれないか。」


 痛いほどの沈黙が部屋に落ちる。イザークには永遠に感じられるほどの時間だった。


「ほんと、馬鹿な人ね。」


 嫣然えんぜんと微笑んだアデルナの言葉にイザークは青ざめる。だからアデルナが抱きついてきて、驚いて固まってしまった。


「私のこころなんて十年前から差し出していたのよ?なんで気が付かないのかしら?」

「え?」

「あんたを路上で見つけた時からずっと私はあんたのものだったのよ?本当に鈍いんだから。」


 そうしてアデルナはイザークの雫を舐めとった。右目から涙が溢れていた。泣いたのはいつ以来だろう。それくらい俺は不安だったのか。それを舐め取られた事実にオタオタするも、抱きついてくるアデルナの体を壊れないようにそっと抱きしめた。


 ああ、やっと手に入れた!十年かけてやっと!手に入れた‥んだよな?


 アデルナの柔らかさと甘やかさを満喫しながらふと頭を疑問がよぎった。この姫のことだから確認しておかないと危険だ。


「えーと、これでもう偽装はなしということでよろしいですか?」

「そうね、偽装はなしよ。でもまだまだあんたはダメだから、私が連れていってあげるわ。安心なさい。」


 え?連れて行くってどこに?もうこれ以上は懲り懲りなんですが。イザークはゾッと体を震わせた。

 アデルナはそんなイザークの頬をするりと撫でて蠱惑の笑みを浮かべる。そして指輪を二つ取り出して一つをイザークに渡した。


「偽装用に準備した指輪。明日きちんとしたものを買いにいきましょうね。」


 そう言ってアデルナはイザークの左手薬指に指輪をはめた。なんの飾りもない質素な指輪。下賜品ではなく、アデルナからイザークに初めて贈られたもの。


「いや、これでいいです。これがいい。」


 そういってイザークもアデルナの指に指輪をはめた。


 きっとこれからもこの姫には焦らされて焦がされて狂わされる。それは終わりのない甘い苦しみ。俺はそれに苛まれながらこの姫の傍に立つ。これでいいんだ。


 そうしてイザークは愛しい姫を抱きしめ口づける。


 

 ほしいのはあなただけ

 あなた以外なんにもいらない

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