夕焼け笑顔

草野隼

第1話

 「優紀、お昼どうする?」

寝ぼけまなこで二階から降りてきた私に、台所に立つ母が尋ねてきた。

「ごめーん。こんな時間に起きてきて。」

「いいよ。昨日は、大変だったんだから。…まあ、お父さんがいたら、何か言われたかもね。」

肩をすくめて、フフッと笑う母。

昨日は、父の四十九日だった。

父と母の兄弟、泊まりがけで来た姉家族も昨日帰り、家にはまた母と私だけになっていた。

「確かに、お父さんがいたらこの時間の起床はヤバイ…。」

私は、真新しい仏壇に目を向けた。この家に暮らしてきて、初めての仏壇。そこに、父の写真が置かれている。笑顔の父だ。遺影は、たくさんある家族旅行の写真の中から選んだ。躾に厳しく、小さい頃は怒られるのが怖い、と強く思っていた。その反面、色々な所に連れていってくれて、たくさん遊んでくれる父でもあった。

「この写真の両側に、お母さんとお姉ちゃんと私がいるんだよね。」

父は、楽しそうに笑っている。

「この旅行の時、私、初めて釣りしたんだよ。」

「そうそう。お姉ちゃんは、魚を怖がっちゃってダメだったけど、あんたは全然平気で。」

母が、お茶を持って、台所からやってきた。

「そんなもんだから、お父さんがうれしがっちゃって。」

「うん。その後も、よく釣りに連れていかれた。おかげで、今も仕事に行き詰まったりした時、釣り堀に行くもん。」

「へえ、そうなの?」

「結構、リセットできるんだよ。」

「へぇ。あんたも、色々大変な事があるんだねぇ。」

「失礼な!あたしだって悩む事あるわ!」

「あらそう?あんた、何も言わないから。」

私は、一瞬、戸惑ったが、

「もう、悩みを相談する歳でもないし。」

と、お茶を飲んだ。

「まぁ、自分で解決できてるんなら、いいけどね。」

そう言って、母もお茶を口にした。そして、庭に目を向けた。

「これから、この庭どうしよう…。」

母は、ぼんやりと庭を見つめた。父は、出先で気にいった植物をやたらと買ってきては庭に植えていた。小菊やりんどうもあれば、バラやクリスマスローズもある。はっきり言って父は園芸のセンスが無かった。そんな統一感ゼロの庭を眺めながら、二人でため息をついた。

「お母さんは、英国式庭園みたいにしたかったんでしょ?」

「うん?まぁ…私だって、うまくできるかどうかね。」

肩をすくめる母。私は、壁に飾ってある郷土祭りの版画の額縁を見上げた。

「これも…ちょっと…お母さんの趣味じゃあ無いよねぇ。」

玄関の靴箱の上には、ふくろうの木彫りと信楽焼のタヌキ。ソファに掛けてある母手作りの花模様のパッチワークが、ささやかな母の主張を感じさせる。私は、額縁を指差した。

「これからはさ、こういうの外しちゃって、お母さん好みの家に改造しちゃえば。」

「ええ?それは…ちょっと…どうなのかねぇ?」

「いいじゃん!ずっと、お父さん優先だったんだから。庭だって、今度はお母さんの好きな花とか植えればいいんだよ。私、手伝うよ。ね?」

「うん…まぁ…そのうちね。」

多分、やらないだろう、と思える返事。確かに、四十九日の次の日にする話ではなかったかもしれない。

「それより、あんた、ホントにいいの?アパート引き払って、うちに住むって。」

「だって、お母さん一人にしておけないもん。ここからなら、仕事も通えるし。お母さんと一緒なら、色々やってもらえるしさ。」

「それが、本音かい!」

「あはは。冗談だよぉ。」

姉が嫁いだ後、結婚の予定もまったくなかった私は、段々と家に居づらくなっていった。リビングでゴロゴロしていると、父が小言を言ってきたりする事が増えた。まぁ、三十八歳にもなろうという女が、実家に居座り、家事全般を母親に頼っていれば当たり前だ。という訳で、私は家を出たのだった。最初のうちはちょこちょこ帰っていたけれど、帰る度に父から小言を言われ、段々と、仕事を理由に家から遠ざかるようになった。今思えば、母も寂しかったと思う。後悔先に立たずとはいうけれど、もっと帰ってくればよかった。もっと父に会えばよかった、と思う。父に小言を言われるのが嫌ならば、自分が小言を言われないように生きればよかったんだ。大手を振って家に帰れるように努力すればよかった。父もそんな私を見たかっただろうと思うと、胸が苦しくなる。

「で、あんた。お昼、どうすんの?何でもいいなら、チャーハンにするけど。朝のご飯が残ってるから。」

母は、出来合いの物を私達に食べさせなかった。父がそういう物を許さなかったのだ。忙しかったり体調が良くなかったりしても、よっぽどでない限り、母は手作りを貫いた。本当に大変だったと思う。

「お父さんいないんだから、作らなくてもいいよ。」

立ち上がろうとする母を、引き止める。

「お昼ご飯なんてさぁ、面倒くさくて作りたくなくない?」

「えぇ?」

母は、キョトンとした。

「お母さんて、買ったお惣菜とかインスタントの物とか、ほとんど私達に食べさせた事無いじゃん。」

「だって、お父さんが嫌いだったから。」

私は、ため息をついた。

「よく言うこと聞いたよね。今時、ダンナがそんな事言ったらね、嫌なら食うな!ってなるよ。」

「仕方ないよ、そういう時代だったから。」

「いや、時代の問題じゃないね。」

「お母さんだって、昔、カップラーメン食べた事あるんだよ。」

「え?そうなの?」

「まだ、お姉ちゃんが赤ちゃんの頃。お父さんが仕事の日のお昼に食べてみたんだよ。そしたら…美味しくなかったんだよねぇ。」

「えー、そうなの?」

「まだ、カップラーメンなんて、売り始めの頃だったと思うから…今なら技術も上がって美味しくなったんだろうけど。だからもう、お母さんも食べたいと思わなかったんだよ。」

「でもさ、お惣菜なんかは、買ってもよかったんじゃない?たまにはさ。」

「それは、お父さんが、いい顔しなかったから。」

「でも、大変な時くらいはさぁ。」

「だって、お父さん、手をつけないから。」

「食わないなら、それでいいじゃん!」

「そういう訳にもいかないでしょ。お母さん、家にいるんだから。お父さんは働いて帰ってくるんだよ。」

「うわ!出た!それ、今の社会じゃ通用しないから。」

「そう?」

「そうだよ!ホント、お父さんて昭和の親父だよねぇ。」

「まぁ、お父さんくらいの歳の人は、大体そうだから。その時代の女の人は、みんなそうやって暮らしてきたんだからいいんだよ。あんたは、お父さんみたいな人と結婚しなけりゃいいでしょ。」

「そういう話を聞くと、結婚したくなくなるよね…。いや、違うな。これは、言い訳だな。そうじゃなくて、私は…。」

「いいよ。無理に結婚しなくたって。」

急に母の声が優しくなった。

「え?」

驚いた私に、母は微笑んだ。

「お母さんは、あんたが結婚してもしなくても、どっちだっていいよ。あんたがしたいようにすればいいんだよ。」

「お母さん…。」

「お父さんが、あんたに小言を言ってたのは、私達が死んだ後、あんたが一人きりになるのが心配だったんだよ。」

親の心子知らず、とはよく言ったものだなぁ。父は、「女は年頃になったら嫁にいくものだ」と思い込んでいるんだと思っていた。父の小言を、鬱陶しく感じていた自分が情けない。気まずい思いで父の遺影を見る私。父は、笑っている。

「…そうだ!ねえ、お昼、うどん食べない?」

私は、ふと思い立って、膝を叩いた。母が、キョトンとして答える。

「うどん?ああ、乾麺ならあるよ。」

「違う違う!ちょっと待ってて!」

私は、階段をかけ上り、部屋から夜食用の赤いきつねと緑のたぬきを持ってきた。

「これ!食べよう!」

「えー?カップ麺?お母さん、遠慮しとくよ。」

「いや!現代のカップ麺は、劇的に美味しくなってるから!騙されたと思って、食べてみてよ!」

マルちゃんの回し者?

「でもねぇ…。」

「いいから!いいから!」

有無を言わさず、二つを母の前に置く。

「きつねとたぬき、どっちにする?私は、どっちでもいいから。」

「えー…どっちがいいの?」

観念した様子で、母が尋ねる。

「どっちも美味しいよ!じゃあ…まずは、きつね食べてみなよ!」

私は、両手にカップを持ち、威勢よく立ち上がった。赤いきつねと緑のたぬきに、乾燥ワカメを投入し、お湯を注ぐ。

「お母さんが、カップ麺食べるよ!うひょー!」

妙なテンションで、長ネギを素早く刻む。そして、出来上がったうどんとそばにパラッとかける。

「おまたせー。」

私は、いそいそと母に赤いきつねを差し出す。訝しげな顔で、器を覗き込む母。

「あら、いい匂い。」

その顔が、ほころんだ。

「でしょ?食べてみてよ。」

「じゃあ…いただきます。」

母は、汁を一口飲んだ。そして、ふぅ、と息を吐いた。

「うん…美味しいねぇ。」

「でしょ?進歩してんのよ、カップ麺の世界も。」

自分の手柄のように言う私。母は、ウンウンと頷いてうどんをすすった。

「どう?」

「うん。おいしいよ。」

母は、満足そうに微笑んだ。

「おいしくなったんだねぇ…。すごいね、技術の進歩って。」

箸で持ち上げた麺を見つめる母。私は、思わず、笑ってしまった。

「よかったね。」

「うん。食べてみてよかった。」

そう言って、うどんをすする母。私は、ホッとして、

「たぬきも、味見してみる?」

と、そばを指差した。

「ううん。そっちは、また今度食べてみるよ。」

母は、苦笑いで、顔の前で手を振った。

「そう?じゃ、たぬきは、また今度ね!」

晴れた日の昼下がり。母と二人だけの静かな家に、麺をすする音だけが響いた。

「ねぇ。」

コーヒーカップを両手で持って、母が呟くように言った。

「お庭、頑張ってみようかな。お父さんの花も残して、うまくやってみようかな。」

私は、大きく息を吸った。そして、答えた。

「うん。手伝うよ。」

母は、照れくさそうに笑った。私は、父の遺影に向かい、

「お母さん、カップ麺食べたよ。庭も、頑張るってさ。」

と、ニンマリ笑ってみせた。遺影の父は、夕焼け色に染まり、更に楽しそうな笑顔に見えた。







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