第10幕 専科へ進むの段


       ( 1 )


「あんた、(人間国宝)宣言、あれはびっくりしたよ」

 国会議事堂での公演の翌日、一般紙に掲載された。


「文楽研修生の坊屋正樹くん(17)、高らかに人間国宝宣言!」


 取材では、(人間国宝のような義太夫三味線弾きになりたい)

 と語ったが、どの新聞も「人間国宝宣言」の文字が宿った。

 その日から、文楽界では正樹の事を(人間国宝)と呼ぶ事になった。

「ちょっと、人間国宝呼んで来てくれ」

 と人間国宝の梅太夫が云う。

「人間国宝に云え」

 と今年度新たな本当の人間国宝になった竹之輔まで云う。

「今年は、文楽にとって、ええ年やったな」

 梅太夫は顔に笑みを浮かべて云う。

「そうですか」

 正樹は、(来た)と思った。

「ああ、何しろ二人の人間国宝誕生やからな」

「師匠、人間国宝は竹之輔師匠一人です」

「阿保、お前も入ってるがな」

「あれはマスコミの勇み足です」正樹は弁明する。

「どんな足でもええがな。足手まとい以外はな」

 ここで梅太夫は大きく笑った。


「あんた、とうとう国会議事堂での演奏会やってのけたわねえ」

 照子は云う。

「はい」

「もう次は、アメリカブロードウェイじゃな」

 三郎がにやりとする。

 年末照子と三郎が上京して来た。

 二人同時は初めてだった。

 四畳一間の二階の正樹の部屋で、親子三人が紅白歌合戦を見ていた。

「まさか、親子三人がこうして東京で紅白歌合戦見るなんて」

 感慨深い照子だった。

 このテレビは照子が買ったものだった。

「カラーテレビは華やかでええわあ」

 正樹はそうは思わなかった。

 液晶フルハイビジョン、4Kを見ていた正樹の目には、

「ぼやけた色の画像」としか映らなかった。

(この当時の人はこんなぼやけたテレビ見てたのか)

 と改めて思った。

 デジタルではなく、アナログ放送だから仕方ない。

 テレビ録画機が普及するまであと10年くらいかかる。

 だからテレビは、リアルタイムでしか見れない。

 だから紅白歌合戦視聴率80%と云う今では考えられない数字を叩き出していた。

「お父さんは、誰の歌が好きなの」

「そらあフランク永井、水原弘」

「女性歌手では」

「藤圭子、美空ひばり。朱里エイコの(終着駅)もええ」

「どうせ、ミニスカートがええんやろ」

「ばれたか。母さんは」

「尾崎紀世彦、沢田研二、にしきのあきら、西郷輝彦もええなあ」

「正樹は誰がええの」

「天地真理、南沙織、小柳ルミ子」

 この年の紅白では南沙織は「17歳」は歌わずに「純潔」を歌った。

「どうして17歳歌わないの」

「去年歌ったから」

 尾崎紀世彦も出ていたが、去年「また逢う日まで」の大ヒット曲歌ったので、今年は「ゴッドファーザー愛のテーマ」だった。

 にしきのあきらも去年「空に太陽がある限り」の大ヒット曲歌ったので、今年は「嵐の夜」。

 山本リンダ「どうにも止まらない」を見ている時だった。

「正樹の文楽での活躍も(どうにも止まらない)か」

 三郎はにやけて云った。

「お父さん、黙ってて」

 照子に親父ギャグは通じなかった。

 ちあきなおみの「喝采」の時、照子は涙を流していた。

「ええ歌やけど、悲しいねえ」

(これが紅白歌合戦だ!)と正樹は思った。

 視聴者のこころに迫るヒット曲が、この時代、毎年生まれていた。

 子供から年寄りまで知っているヒット曲だ。

 しかも歌詞がべらぼうに良い。

 文楽も同じだ。

 市井の人々のこころを突き動かした。

 だから400年近く生き残ったのだ。

 夜、寝る時、照子は階下の大家、小町と一緒に寝た。

 正樹は久し振りに、父三郎と枕を並べた。

「実は、仕事始めたんよ」

 おもむろに三郎が話し始めた。

「何の仕事なん」

「探偵」

「探偵?なして」

「お前や母さんにとって大事なもんを見つけようと思ってな」

「大事なもんて何よ」

「それは秘密」

「なして云わんの」

「見つけたら云うから」

「ああわかった」

 正樹はあっさり引き下がった。

 これまで三郎は、数々の仕事についていたが、どれも長続きしなかった。

 今回の探偵稼業もすぐにやめるだろうと思った。


 昭和48年(1973年)。1月元旦。

 三人は浅草寺へ向かった。

 混雑を避けるために、早朝の電車で生き、午前6時には雷門の前にいた。

 それでもかなりの人々だった。

 昨日から徹夜で遊ぶ若者グループがあちこちにいた。

 浅草寺本堂で拝む。

 少し奥まった所まで行く。

「昔、ここに九代目団十郎の銅像があったんよ」

 三郎が照子に云った。

「何でないの」

「戦時中の金属供与で壊された」

「惜しかったねえ」

「父さん、お母さん大丈夫。昭和61年に再建されるから」

 思わず正樹は云った。

「ほうら始まった、正樹の予言遊び。もうええ加減な事云うて」

 照子は正樹を睨んだ。

「僕、50年先まで未来が覗けます。何故ならずっと生活して来ましたから」

「それほんまけ」

 三郎は照子を無視して聞いた。

「ああ本当です」

「本当やと嬉しいなあ」

 参道を歩いていた。

「おーい!」

 こっちに向かって手を振る人がいた。

「上条?」

 上条、秀美だった。

 照子、三郎を紹介した。

「いつぞやは、有難うございました」

 銀座ホコ天での事を上条は云った。

「こちらこそ」

「お父さん、お母さんは?」正樹が聞く。

「父が体調崩して、検査入院したんだ」

「母は、付き添いで一緒です」と秀美が云う。

「どこが悪いの」

「肝臓いや脾臓かなあ」

「とにかく、検査入院です」


 五人は、都営浅草線で「東銀座」に出た。

 照子の要望で、歌舞伎座前に出た。

「立派な建物やねえ」

「ほんに」

「正樹もここに出られたらええねえ」

「母さん、ここは歌舞伎の劇場。文楽と違うから出られない」

 三郎はたしなめた。

「母さん大丈夫。ここに出れるようになるから」

「また始まったか、予言遊び」

 三郎が茶化した。

「正樹くんの予言は当たりますから」

 上条が太鼓判を押す。

「本当?じゃあ私、誰と結婚するの」

 正樹の頭が急速に逆回転する。

 どうしたんだろうか。

 23歳で文楽やめて、25歳で歌舞伎の世界に飛び込む。

 どうしても秀美が出て来ない。

 上条も卒業以来出て来ない。

「わかりません」

 正直に正樹は答えた。

「何だ。じゃあ正樹くんは誰と結婚するの」

「いやあそのう」

 指折り数えた。

 途中からやめた。

「色々あります」

「ええええっじゃあ一回じゃないんだ」

「わかりません」

「ずるい!」

「占い師って、わりと自分の事がわからないらしいからな」

 照子と三郎を東京駅まで見送る。


      ( 2 )


 季節は急速に過ぎる。

 文楽研修生11名は、一人も落伍者もなく二年めに入った。

 これに一番安堵を覚えたのは、文楽協会だった。

 最悪、11名全員やめるかもしれないと考えていた。

 そうなると、マスコミの餌食になるのは、明らかだった。

 昨年秋の専科希望者への面接と協議で、全員それぞれの希望の職種に行けたのも、その配慮が多分にあった。


 義太夫三味線・・・5名

 太夫    ・・・5名

 人形遣い  ・・・1名


 文楽協会としては、とにかく11名全員の来年の卒業を願っていた。

 でないと、次の二期生の受験者に多大な影響が出るからだ。

 もし誰も卒業せずにやめたら、

「そんなに授業が厳しいんだ。じゃあ受験やめよう」となるから。

 文楽協会として、二期生には、ぜがひとも、「大阪出身者」が日しかった。

 文楽は、大阪が発祥である。

 発祥の地から誰も来ないのは、問題だったからだ。

 大阪、東京それぞれ四か月ずつ公演をしているが、大阪公演は悲惨な状況だった。

 よく入って三割。

 慢性のがら空き状態だった。

 協会としては、大阪に悲願の国立文楽劇場建設だった。

 中田首相は、約束してくれたが、首相は変わる。

 首相が変われば、約束も変わる。


 専科となり、正樹は講師と一緒に義太夫三味線を教えていた。

 公演で講師が出れなくなると、代役を任されるようになった。

「正樹は、何でそんなに出来るの」

「一七歳でそれだけ弾けるなんて、天才だよ」

「どうしたら出来るの」

 いつもこう云われる。

 口に出してはいけないが、

「何でこんな簡単なものが弾けないんだ」

 と思ってしまう。

 義太夫三味線には、幾つかの型がある。

 その中に「メリヤス」と云うものがある。

 本来、義太夫三味線は上手、太夫の横で弾くが、大勢のにぎやかしの一つとして、大勢で、短い旋律を繰り返して弾く場合がある。

 初心者にとって、一つ目の関門だった。

 まずこれが出来ないようなら、先へ進めない。

 正樹が教室で弾く。

 隣には、青磁がいた。

「はい。ご苦労様。次皆さんどうぞ」

 それまでぽかんと口を開けて見ていた他の四人は、慌てて両手を動かす。

 もう少し、青磁から説明があると油断していた。

 案の定、誰も弾けない。

「じゃあ正樹くん、今度は暫く長く弾いて見て。私がストップ云うまで弾いて下さい」

「はい」

 正樹が弾き出す。

 義太夫三味線の音色をバックに青磁の説明が始まる。

「この(メリヤス)の言葉。編み物用語から来てます。つまり伸び縮み出来る効果音楽と云う事です」

 青磁が合図する前に、ぴたっと正樹はやめた。

「とまあいかようにも止める事が出来ます」

 青磁が頭を下げる。

 再び正樹は義太夫三味線を奏でる。

「ご覧のように、非常に短い旋律を繰り返してます。ただここで注意すべきは、慣れて来ると段々早くなります」

 と云う前に、どんどん早く義太夫三味線をかき鳴らす正樹だった。

「メリヤスと違ってここまで来たら(ヤリスギ)と云います」

 受講生から失笑が漏れた。

 青磁と正樹の抜群のコンビネーションだった。

 次は、青磁と正樹の二人が受講生の近くまで行き、指、義太夫三味線の持ち方、バチの握り方の基礎を手を取り教えた。

 専科なので、たっぷりと時間がある。

 それが出来ると、

「オクリ」

「三重」

「ノリ」

「ソナエ」

 等の型のある弾き方に移る。

 実は、正樹は教えるのは苦手である。

 対面だと手の動きが真逆になる。

 自分がすらすら弾ける能力と教える能力は別物である。

 対面でネクタイの結び方を教えるようなものである。

 手の動きが逆なので、教えづらい。

 その思いは、青磁も同じだった。

「ええええ、つまり」

 受講生が間違った手の動きをしたら、その手を持って教えないといけないが、青磁はすぐに

「こうです」

 と自分で弾いてしまうのだ。

 横で見ていた正樹は苦笑した。

 全く同じだった。

 研修生は、

「難しい」と云う。

「いやいや、簡単でしょう」

 口を揃えて青磁、正樹は云い返す。

 小学生が、掛け算で悩んでいるのを、傍で見ている感じだった。

「何で解らないのかなあ」

 事ある毎に、青磁は大きなため息つきながら云う。

「そうですね」

「いらつくよなあ」

 青磁は正樹と二人きりの時に、こころの奥底に溜まった泥をすくっては、正樹に投げつけた。

「長い目で見て下さい」

 正樹は、笑って懇願した。


 正樹の指導方法は、事務局、梅太夫にまで聞こえて来た。

「正樹には、講師料払った方がええで」

 梅太夫が云う。

「しかし、事務局としましては」

 頭取の原田は答えに窮す。

「国会議事堂で義太夫三味線弾いた奴やからな」

 昨年の出来事は、かなりの影響を与えた。

 東京公演での入りが三倍に増えた。

 アンケート用紙には

「坊屋正樹さんは、いつ出られるのですか」

 と真剣に問うものがあった。

 定例会議で、梅太夫が、

「卒業まで長すぎる。11名全員出れる試演会やったらどうや」

 と云い出した。

 時を同じくして、同様の名乗りを上げた人物が二人いた。

 一人は、波頭。

 伊予北条で世話になった人物。

 目の前の島、鹿島に「近松門左衛門」記念碑を建てた人物である。

 もう一人は、赤坂料亭「春葉」の女将の春葉夏子。

 陽子の母親である。

 突然出て来た事案なので、東京で行うホール、会館の押さえが難航した。

 人気ホールでは2年前から予約を受け付けていたからだ。

 意外な場所での公演が実現した。

 国立劇場に、直接春葉夏子が顔を出した。

「場所が決まりました」

「どこですか」梅太夫が聞く。

「今から云う場所は、一つ条件があるんです」

「何ですか」

「竹松新喜劇の連中との対決公演として開催したいんです」

「また対決?えらい物騒な事ですなあ」

 物腰は、柔らかい梅太夫だったが、目が笑っていなかった。

「それを了承するのなら、場所提供しましょうと」

「で、場所は」

「赤坂離宮迎賓館です」

「えっ?」

 会議室で行われた会合であった、居並ぶ文楽関係者は、全員自分の耳を疑った。

 春葉夏子によると、自分とこの料亭をよく利用する中田首相であった。

 懇意の秘書官に場所の事について助けを求めると翌日、電話があったそうだ。

「中田首相の提案で、赤坂離宮迎賓館で在日外国大使、夫人、関係者を招いて、晩餐会の催し物の一つとして、上演してみてはどうかと提案がありました」

 すぐに動くと定評がある中田だった。

 当日はアメリカを始めとする外国の通信社、特派員も呼ぶそうだ。

 夏子が必死で動いた理由がわかった。

 娘の陽子は、竹松新喜劇の座員である。

 今はその他大勢であまり、役どころがよくない。

 今回の赤坂離宮迎賓館での公演は娘の起死回生の逆転満塁ホームランを狙っていたのだ。

 陽子が、義太夫三味線の稽古をつけてくれと云って来たのはこのためだったのか

 正樹は疑い出した。

 しかし、あの時点ではまだ決まっていなかった。


     ( 2 )


 赤坂離宮迎賓館。

 正式名称は、迎賓館赤坂離宮。

 明治42年(1909年)大正天皇の皇太子の住まいである、東宮御所として建てられた、日本で唯一のネオ・バロック様式である。

 太平洋戦争、東京大空襲を奇跡的に免れた。

 戦後、国に移管された。

 本格的な外国との要人との場を確保するために、昭和43年から本格的な改修、補修工事に入った。

 昭和50年には、ほぼ改修工事も大詰を迎えていた。

 しかし、この昭和48年当時は、一般公開はしていない。

 まもなく改修工事を終えるので、ほぼ完成の部屋もあった。

 今回の特別イベントのために、使用する部屋への完璧な仕上げとイベント挟んだ一週間は、改修工事のストップを中田は命令した。

 敷地は12万㎡もある。

 当時は庶民にとっては、夢の宮殿であり、中に入る事は出来ない。

 建物の正面には噴水がありその前に西洋花壇が広がる。

 そして、さらに奥に広がる日本庭園を、明治の作庭家小川治兵衛を京都から呼び寄せて作らせた。

 治兵衛は、平安神宮、円山公園など、京都の有名な別荘、寺社の庭の作庭を一手に引き受けていた。

 明治政府のこの建物と庭への意気込みが見て取れる。

 情報もほとんどなく、どでかい宮殿しか思い浮かべない。

 一般公開の歴史は新しく、2016年(平成25年)に入ってからである。

 建物の設計は、片山東熊である。

 片山は、京都国立博物館も設計していた。

 当日夕刻から始まったパーティーはまず庭でのセレモニーから始まる。

 花壇のあちこちに篝火が焚かれる。

 篝火の炎が秋の風に揺れている。

 揺れる風景に赤毛氈、着物、琴が幻想的に浮かぶ。

 異世界への誘い。

 外国大使、夫人は

「ワオッ」

 と大きく叫んで写真、動画を撮っていた。

 赤毛氈を敷いてあちこちで琴の演奏と抹茶の振る舞いが始まっていた。

 演奏者、抹茶の振る舞いも竹松新喜劇の座員だった。

 これらの監修を一手に引き受けたのが「春葉」の女将、陽子の母親でもある春葉夏子だった。

 これだけでも、夏子も人脈、竹松新喜劇の意気込みが感じられた。

 正樹は、目で追う。

 春葉陽子は見つけても、藤川トンビの姿が見えない。

「トンビさんは?」

「さあどうなんでしょうねえ」

 陽子に聞いても誤魔化された。

 深まる秋の風が心地よかった。

 東京都心とは思えぬ、樹木、緑が回りを取り囲んでいた。


 特設舞台は、「羽衣の間」の部屋に作られた。

 国宝級の建物のため、釘は一切使わず、直に所作台を置かず、クッション、養生シートをかませて作った。

 背後の大きな松羽目をかたどった屏風は、京都から特別に取り寄せたものだった。

 クリスタルガラスで出来たシャンデリアは、フランスから直輸入したものであり、柱はノルウェー産のものだった。

 天井画は、フランス人画家が描いたものだった。

 壁面レリーフは、洋楽器の他に、琵琶、鼓等の和楽器も描いていた。

 絶妙な和洋折衷の造りは、外国大使らに気に入られていた。

 去年の国会議事堂での公演も緊張したが、今日はそれをはるかに上回るものだった。

 控室に中田首相が秘書官連れて顔を出した。

「よお!人間国宝少年、元気か」

 気軽に正樹に声を掛けた。

 正樹は慌てて席を立った。

「はい」

「今回は外国の大使、夫人が相手じゃ。がつんと義太夫三味線で脳みそを打ち付けてやれ!」

 正樹は、いつもなら舞台上手端に陣取るが今回は中央だった。

 「羽衣の間」には元から中二階にオーケストラボックスが部屋の隅の中央に設えてあった。

 その前に特設舞台があった。

 今回も同時通訳システムが取られていた。

 中にはイヤホン外して日本語わかる大使も何人かいた。

 まず正樹が義太夫三味線を二丁持って行く。

 簡単な義太夫三味線の構造を説明した。

「一般的には、三味線の棹は三つに分かれますが」

 ここまで云って、目の前の三味線を分解し出した。

 これなら言葉が解らなくても、見ればわかる。

 そう思って、正樹は特別に用意した。

 黙々と分解した。

 棹は、九つに分かれた。

「ナイン、セパレーツ!」

 上半身を乗り出して、皆に見せた。

 盛大な拍手、口笛喝采の嵐だった。

 アメリカCNNテレビがアップで映し出す。

 すぐに元に戻した。

「マジシャン!」

 のフレーズがここでも囁かれた。

「アイム、マジシャンアンド、ブンラク三味線!ジャパニーズギター!」

 と叫んですぐに義太夫三味線を弾き出した。

 中田をはじめとする自由党閣僚集団もいた。

 彼らも興味津々だった。

「只者ではない!」

 そんな空気が正樹を覆う。

 義太夫三味線を弾き出してすぐに、会場がざわつく。

 暫く出て来なかった「音符」が義太夫三味線の胴、正樹の口から出て来たからだ。

 それまでと違うのは、空中で音符が、天使に変わった事だった。

 天使は小さな三味線、琵琶、太鼓を持っていた。


 創作浄瑠璃「赤坂(あかさか)離宮(りきゅう)舞踏(ぶとうかい)三味比(しゃみせんききくらべ) 」

 ♬

 明治の宮殿   舞踏会

 着飾る男女   舞うステップ

 夢の世界に   舞い降りた

 初の三味の   音に立ち止まる

 四方八方の   絵画人も見惚れる 

 音符天使と   戯れる

 非日常の    世界人

 輝く宝石     ネックレス

 一番輝く     義太夫三味線

 初見の驚き    こだまする

 見よう見まねの  手さばきか

 マダム興味津々  笑顔増す

 笑顔の充満    世界平和

 音の響きは    心地よい

 万国共通の    感性身体

 今宵夜更け迄   三玄世界

 さあ皆さんは   立ちあがれ

 三玄舞踏会    始まり始まり

 一の糸には    輝く宝石

 二の糸には    夢がチラチラ

 三の糸には    虹希望の音

 あなたの横顔   伝播する笑顔

 さあ踊りましょう 歌いましょう

 義太夫三味線   世界平和の鑑

 光り輝く     鏡となり

 今日も地球の   何処かで結ばれる

 義太夫三味線に  幸あれ

 舞うあなたにも  幸あれ

 幸と幸が     ぶつかる先に

 地球の宝石箱   山積みされる

 マダムマダムよ  ダンスダンス

 マダムマダムよ  永遠(とわ)に舞え

 

 続いて、竹松新喜劇連中の喜劇義太夫三味線ショーが始まった。

 驚いたのが、全員英語での台詞だった。

 そこへ出演しないと云われていたトンビが出て来た。

 トンビだけ日本語を喋り、英語が出来ない設定だった。

 何度も相手に英語の単語を云わせる。

「何?何?」

 何度もやらせる。

 一つ「間」の取り方が例によって上手く、大使らにバカ受けだった。

 拍手の嵐の中で終わる。

 続いて正樹ら文楽研修生11名による、古典のお披露目だった。

 この頃、まだ文楽は、外国ではほとんど知られていなかった。

「パペット・ショー」と英訳されるが、一体の人形を三人が操るのは、世界でも珍しい。

 文楽が、ユネスコ無形文化遺産に登録されるのは、この昭和50年から実に30年後の2003年(平成15年)まで待たなければならない。気が遠くなる話だ。

 しかしそれは、世界が認めるまで時間がかかった証しでもある。


 今回は、文楽研修生11名全員が第二部で出る。

 人形遣い希望は一人なので、技芸員が協力した。

 大使、夫人ほぼ全員初めて目にする「文楽」だった。

 この赤坂迎賓館での特別公演が、後年アメリカ公演に結び付くのであるが、正樹以外それを知るものはいなかった。

 今回文楽研修生十一名が選んだ演目は、

 古典 芦屋(あしや)道(どう)満(まん)大内(おおうち)鑑(かがみ) 葛(くず)の葉(は) 子別れの段


 だった。

 これは、安部保名が、白狐を助けるが、その狐が許婚の葛の葉姫の姿に化けて、現る。

 二人は、子供まで設けて幸せに暮らすが、ある日二人の前に本物の葛の葉姫が現る。

 もうこれまでと、狐は我が子を抱きしめて、泣きながら去って行く話である。

 時代物ではあるが、母と子の別れは万国共通であるし、登場人物も少なく分かりやすいと思ったからだ。

 さらに、今回「赤坂迎賓館版」とも思える、今までにない趣向を凝らした。

 もちろん、上演に当たっては、協会、長老の会の公認を貰っていた。

 太夫志望の舩田は、普段話す声が小さい。

 授業中、梅太夫から

「何でそんなに声が小さいんや」と指摘された。

「はい、長生きしたいから、エネルギー消費を抑えるためです」

 と答えて、教室は久々に爆笑の渦に包まれた。

「けったいな奴ちゃ」

 梅太夫はそうぼやいただけだった。

 その声の小さい舩田さえ、志望通り「太夫」コースに行けたのだから、文楽協会の気の使いようがよくわかる。

 舩田にとっても、今日は晴れの舞台だった。

 まさか卒業公演の前に、赤坂迎賓館でデビューするとは思わなかっただろう。

 ♬

 妻は衣服を   改めて

 しほしほと   奥より出

 ふしたる童子を 抱き上げ

 乳房を含め   抱きしめて

 いはんとすれど せぐりくる

 涙は声に    さきだすと

 しばらくむせび 入りけるが


 船田の語りが、大勢の外国大使、夫人、中田内閣閣僚が見守る中、響いた。

 横で今回は義太夫三味線弾きだけの役割の正樹は思った。

(何だ!きちんと大きな声、声を張り上げて出来るじゃないか)

 ただ、表情がよくない。

 今にも倒れそうな気配だ。

 体重100キロが邪魔しているのだ。

 

 狐の葛の葉の語りも大詰を迎える。


 成人の後までも 小鳥一つ

 虫一つ

 無益の殺生ばしするなえ

 必ず必ず わかるとも

 母はそなたの かげ身にそひ

 行方長く   守るべしとは

 いふ物振り捨て

 是が何とかへられふ 

 名残り惜しや   いとおしや

 離れがたなやこちよれ


 去って行く狐葛の葉の子別れの心情は、外国人にも容易に理解出来た。

 これに哀愁帯びた正樹の義太夫三味線の相乗効果は、絶大なるものがあった。

 皆泣いていた。

 中田首相も泣いて何度も目頭を拭う。


 この後、歌舞伎の場合、幼子を抱いたまま狐葛の葉は、別れの歌を障子に書き残す。


 恋しくば 尋ね来てみよ和泉なる 

 信太の森の 恨み葛の葉


 最後は、口に筆を加えて書く。

 大詰の見せ場である。

 しかし、文楽ではこの行いはなく、淡々と分かれ行く幼子への思いを云うだけである。

 今回の「赤坂迎賓館版」はそのどちらでもなかった。


 人形の狐の葛の葉が、障子戸の後ろに隠れる。

 と次の瞬間、障子戸を突き破って出て来たものがいた。

 狐・・・ではなく、狐の恰好をしたヒロコ猫だった。

 「羽衣の間」場内は、大きくどよめく。


 恋しくば 尋ね来てみよ和泉なる 

  信太の森の 恨み葛の葉


 もう一枚横に障子戸が作られた。

 ヒロコ猫は、幼子を抱いたまま、口に筆を咥えて、今度は英語で、同じ内容の文を書く。

 外国大使は拍手し始めた。

 夫人の中には、立ち上がっている者もいた。

 ヒロコ猫が恨めしく、英語で述べる。

 するとどうだろう。

 観客席、特設舞台がふわっと浮き始めた。

 小さな悲鳴も上がる。

 天井画まで手が届くまでせり上がる。

 次の瞬間、ヒロコ猫は、ぐっと観客席に向かって見得を切る。

 そして天井画に吸い寄せられるように消えた。


 カーテンコールが始まる。

 全員立ち上がる。

 何度も何度もお礼をする。

 正樹がヒロコ猫を連れて来る。


「えっ本物の猫?」

 何人かがそうつぶやく。

 この後、「花鳥の間」でお疲れ様会パーティが始まった。

 伊予北条の波頭は、正樹の手を強く握りしめた。

「もうこれで思い残す事はない。ほんまに有難う」

「はい」

「文楽の力を貰った。文楽に助けられた。ほやけん、あいつら二人を許す」

「あいつらって誰ですか」

 波頭は答えなかった。

「わかりました」

 梅太夫が答えた。

 人混みの中に消えた。

「師匠、あいつらって誰ですか」

「それより、お前はんをお待ちかねの人、仰山いてるで」

 梅太夫が指さした。

 外国大使と婦人連中だった。

 正樹も船田も人形遣いも質問攻めにあった。

「その猫は、本物なのか」

「どんな仕掛けで客席、舞台が浮かび上がったんだ」

「君たちは、マジシャンでもあるのか」

「いいえ、マジシャンではありません。もちろんこの猫も普通の猫ですよ」

 正樹はヒロコと見つめ合った。

 正樹が手を広げた。

 ヒロコは天井画に向かってジャンプした。

 一瞬にして消えた。

「おい、猫はどこへ行ったんだ」

 皆の視線があちこちに飛ぶ。

「あそこですよ」

 正樹は指を指したのは、食器棚の左右にある、西陣綴錦織の絵の中にいた。

 多数の猟犬の中に一匹だけ白い猫がいた。

 じろっと、外国人大使を睨む。

「ウオー!」

 その声は響き渡った。


 何故か翌日の日本の新聞、テレビは一切報道されなかった。

 秘密のパーティーだった。

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