狸の恩返し~みどりの日~

青海月

たぬきは、ココロをかきあげる。

 小学生の頃の私は、家に居る時間がキライだった。だから休日の昼間はいつも、お湯を注いだ「緑のたぬき」と勉強道具一式を持って、この小さな寂れた公園に来ていた。


 ある日(それも今日のような、ゴールデンウィーク終盤の悲しい程よく晴れた日)の食事中、狸と目が合った。まだ子供だったのだろうか、とても小さな毛玉だった。それがゆっくりと、此方に向かって歩いて来る。今思えば単に換毛期だっただけかもしれないが、そんな事など知らない当時の私には、とても痩せ細っているように見えた(いずれにせよ、お腹を空かせていて食べ物の匂いに釣られて来たことは間違い無さそうだが)。


 野生の動物にエサを与えるとか、動物に人間の食べ物を与えるとか、諸々良くない事なのは当時から分かっていた。今だったら絶対にしない。だが当時の私はどうしてもその狸を放っておけなくて、ついつい「緑のたぬき」を分け与えてしまった。


 その後、お腹を満たした狸は満足気な足取りで茂みの中へ消えていった。その姿を見ているだけで私の心も満たされたので、反省や後悔は覚えなかった。



 ――それからちょうど十年後の今日も、私は自宅を飛び出して、同じ公園に居る。


「あれ? こんな所でどうしたの?」


 声を掛けて来たのは、同級生の本渡ほんど君。一年の秋に転校してきた、タヌキ顔で明るい性格の男子。たまたま隣の席になったこともあってすぐに仲良くなり、それ以降の高校生活を充実したものに変えてくれた恩人でもある。


 ――両親が仕事で殆ど家にいない私にとって、それまでの学校行事はただの苦行だった。授業参観には誰も来ないし、運動会や学芸会の写真や映像は残ってないし、三者面談に来るのは遠方に住む叔父か叔母……。そんな私に対して誰もが変に気を遣ってくるせいで、友達にも相談相手にも恵まれなかった。


 それが高校に進学して、本渡君に出会って、漸く変われた。体育祭も文化祭も修学旅行も、全て彼が写真を撮ってくれている。彼を介して、他の同級生達とも仲良くなれた。そして「私と同じような境遇の子がいたら私が理解者となって寄り添いたい」と……そのために教師になるという、将来の夢も見付けられた――。


 なのに。それなのに……心配そうに顔を覗き込んでくる本渡君の目の前で、私は泣き出してしまった。


「わわっ?! え、えーっと、何があったの? オレでよかったら話聞くよ?」


 本渡君はアタフタしながらも、私の隣に座り懸命に慰めてくれる。どうしてこんなに優しいのだろう?



 少し気持ちが落ち着いたところで、私はポツポツと経緯を話し始めた。


「親が急に帰ってきて、この大学のこの学部に行けって、全然興味ないトコ押し付けられて。しかも卒業したらどっかの家の息子さんと結婚しろって、一度も会ったことない知らないオジサンの写真見せられて。今の時代にそんなの有り得る? しかも今まで親らしいこと何もしてくれなかったくせに、こういう時だけ親の権限濫用してきて……ホント信じらんない!」


 再び涙が溢れ出し、それ以上は喋れなかった。


「そっかぁ……」


 本渡君はただ、そっと背中を擦ってくれる。それから暫くは、沈黙が続いた。


「私、どうしたらいいのかな……?」


「とりあえず、ウチおいでよ!」


 涙が落ち着いて口を開くと、本渡君はそう言って立ち上がった。



「ね、ねぇ……何処まで行くの、かな?」


 知らない山道をズンズン進む本渡君の後ろを歩いていると、段々不安になってくる。既に陽も傾き始めていることに気付くと、益々心細くなる。


「だいじょーぶ、もうちょっとだよー」


 私の心境とは裏腹に、本渡君の声は底抜けに明るい。普段ならその声が疲れを吹き飛ばしてくれるのだが、さすがに今回ばかりは疲れが取れない。ヘトヘトな私とは逆に、本渡君はまだまだ元気だ。しかも両手には「緑のたぬき」がパンパンに詰まった大きなビニール袋をひとつずつ持っているというのに。その有り余る体力は何処から来ているのだろう?


「ほら、見えてきた!」


 どうやら「もうちょっと」というのは本当だったらしく、程なくして本渡君が前方を指差した。するとそこにあったのは……石造りの、立派な、鳥居!?


「おう、おかえり。一緒におっとは前に話しよった彼女かね?」


「なっ、ちげーし! ただの友達だし!」


 私は珍しく照れている本渡君よりも、中から出てきた着流しの中年男性――本渡君のお父さんらしき人が気になって仕方なかった。何故なら……頭に、丸みを帯びた茶色の耳が生えているからだ。


「とりあえず入らんね~!」


「お、お邪魔します……」


 お父さんらしき人に促されて遠慮がちに鳥居を潜ると、緑溢れる綺麗な境内が広がっていた。本渡君の家が代々神職を務めている家系だという話は聞いたことがあったが、まさかこんな立派な神社に仕えているとは。


 そしてそんな立派な神社の広くて美しい境内を、狸の幼獣達が縦横無尽に駆け回っている。その姿はなんだか、十年前に「緑のたぬき」を分け与えたあの狸によく似ている気がする。


 呆然とその光景を眺めていると、一匹が此方に駆け寄ってきた。


「ねぇねぇニンゲンさん、だっこして! ボク、だっこされるの好きなの!」


 私は言われるがままその子を優しく抱き上げると、とても喜んでくれた。フカフカで可愛くて、つい笑みが零れる。何で狸が喋ってるの?なんて疑問すら、どうでもよくなってしまった。


「もしよかったらなんだけどさ、この子達の先生になってくれないかな?」


「えっ……?」


「風呂トイレ別・冷暖房完備の宿舎に食事付き、皆大好き『緑のたぬき』も食べ放題。週休二日・有給有・病気ケガもバッチリ保障。福利厚生は完璧ばい!」


 本渡君の提案に驚き、お父さんらしき人の補足に心が揺らぐ。確かに、家に帰って親が敷いた行先不明のレールの上を歩くよりもずっと良い。まるでおとぎ話の主人公になったような気分なのも快い。けど……。


「どうして?」


「ん? 何が?」


「何で私を此処に連れて来てくれたの? しかもこんな素敵な就職先まで斡旋してくれるなんて。どうして本渡君は、私にそこまで良くしてくれるの?」


 子狸を可愛がりながら、私は尋ねる。そして少しの沈黙の後、本渡君は答えた。


「それはね……オレが、あの時キミに助けてもらったタヌキだから」


「!?」


 驚いて彼を見上げると、その頭には狸の耳……。それを見て私はを悟った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

狸の恩返し~みどりの日~ 青海月 @noon_moon

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ