第50話「臣民海軍本国予備艦隊第11戦隊」
スカパ・フローで整備を終えた戦艦『エジンコート』に乗員たちが戻ってきたのは、1941年5月23日の午前中であった。
戦艦『エジンコート』がこの薄暗い陰気な母港に戻ってきた時、その優美な巨体を見せつけるように鎮座していた巡洋戦艦『フッド』や、最新鋭戦艦『プリンス・オブ・ウェールズ』、装甲空母『ヴィクトリアス』などがいたが、彼女たちはすでに出撃しここには居らず、今スカパの曇天の下で英国海軍旗を掲げているのは戦艦『エジンコート』を戦隊旗艦とした、臣民海軍第11戦隊であった。
戦艦『エジンコート』は地中海向けの塗装の上から暗色のブラウンとグレーが塗りたくられ、奇妙な三色迷彩となっていた。全体を塗り替える予定が、とある一報で取り消しになったためだ。
戦隊に所属する艦は、同じく臣民海軍の者たちだった。
E級軽巡洋艦3番艦『エンフォーサー』は、リアンダー級軽巡洋艦の実験艦として選ばれた名残の塔型艦橋と集合煙突、単脚式マストに水上機としてスーパーマリン・ウォーラスを載せている。
シアリーズ級軽巡洋艦『クーロン』は、防空巡洋艦に改装された一隻で、臣民海軍で唯一の防空艦としてダイナモ作戦など数々の戦いでドイツ空軍機と熾烈な戦いを繰り広げてきた猛者だ。
そして、そんな巡洋艦たちの隣には不細工な箱が浮かんでいる。
空母『セント・ヘレナ』、開戦後にドイツ船籍の大型商船を臣民海軍が鹵獲し、英国海軍の要請により飛行甲板を急遽取り付けた代物だった。
エレベーターや艦載機用の格納庫などは一切なく、搭載されているのは飛行甲板で野ざらしになっているブラックバーン・スクアのみだ。
これらの護衛として120mm砲搭載型へ改装がなされた旧式のW/V級駆逐艦が6隻加わり、第11戦隊を形成する。
戦隊旗艦は戦艦『エジンコート』であり、それに伴って戦隊司令官としてエドモント・K・ヒューム予備役少将とその秘書官、副官、従兵長が着任する。
ジョージ・ハワード予備役少将のときはそこまで気にせずに済んだが、エドモント・K・ヒューム予備役少将は違うようだった。
「ロンドンの連中め、あのようなガラクタを寄こされるこちらの身にもなって欲しいものだ。15ノットだぞ? 我々の戦隊は15ノットのガラクタに縛り付けられるのか?」
「もとが商船です、少将。それに艦長のメラニー・コーク大佐は信頼できます」
「当たり前だ、ヴィクス大佐。
自分も一度退役して戻ってきたというのに、とヴィクスは白手袋に包まれた手をぎゅっと握りしめ、表情が変わらぬよう努めた。
戦艦『エジンコート』の艦尾に存在する司令官室は今やエドモント・K・ヒュームの屋敷と化し、副官は部屋内の机で書類をまとめ、従卒長はヒュームの持ち込んだ物を飾り付けるのに余念がない。
秘書官は先ほど工廠員が誤って電話線を切ったせいで、ヒュームに怒鳴りつけられヒューム夫人への別れの挨拶を携えて艦から降りていた。
ジョージ・ハワード予備役少将のときは、とヴィクスはこれから何度も心の中で呟くことになるだろう台詞を、雑念として追い払う。
英国軍が世界に展開している以上、その人的資源は限界を超え、英国本土のみならず連邦加盟国すべてにおいて、将兵が募られている。
そうした中、英国本土において戦時中のみの将兵として
先の大戦における経験から、その
どんなガラクタであれボロ船であれ、海軍志願予備隊(ウェイビー・ネイビー)は命を懸けてグレート・ブリテンを守る盾となり、矛となっていたというのに。
ヴィクスはそんな思いすべてを胸の内に秘め、無表情でヒュームがパイプにタバコを詰めるのを眺めていた。
「それは置いておくとしてだ。マリア、E級軽巡洋艦『エンフォーサー』の艦長を知っているかね?」
いったい、誰がファーストネームで呼んでほしいなどと言った?
「はい、少将。存じております。レイモンド・ビスカイト大佐であります」
「ヴィンセントの息子だそうだ。面識はあるかね」
「ありません。『エンフォーサー』はこの艦と違って、フルタイムで戦っておりましたから」
「そうか」
レイモンド・ビスカイト大佐との面識がないと知れば、ヒュームは興味を失ったようだった。
軽巡洋艦『エンフォーサー』は二回の雷撃を受けてどちらも不発で、さらには搭載機ウォーラスの爆撃でUボートを一隻確定撃沈、もう一隻を大破させている。
スペイン内戦では英国商船や客船の中立護衛任務に従事し、ドイツ海軍の「ドイッチュラント」と二時間に渡って睨みあいを行ったこともあるのだ。
故障続きの戦艦『エジンコート』や砲術練習艦の『アイアン・デューク』と違い、『エンフォーサー』は臣民海軍の顔として存在している。
その艦長は英国海軍からの出向士官である、レイモンド・ビスカイト大佐だ。あの英海軍本部付臣民海軍本部幕僚長、ヴィンセント・ビスカイト中将の一人息子でもある。
縁故によらぬ出世であることは立ち振る舞いを見れば分かることだし、そもそもヴィンセントとレイモンドの仲は良いとは言えないというのがもっぱらの噂だ。
己の出世にレイモンドを利用しようとしているのだろうか、とヴィクスはヒュームを見つめながら思った。
親しげにファーストネームで呼ばれた嫌悪感はいまだに皮膚にまとわりついている。この不躾な老人なら考えそうなことだ。
ああ、まったく、―――ジョージ・ハワード予備役少将のときは!!
パイプに火を点け、従兵長の仕事ぶりを監視するように見つめるヒュームは、ミスを見つけるのに長けていそうな細い緑目の持ち主だった。
ジョージ・ハワードが歴戦の船乗りのような貫録を持っていたのに対し、ヒュームはやせ細った樹木のようで、すっかりとこけた頬はなにものかに抉られたようだった。
まるでコンパスが歩いているような神経質そうな歩き方に対して、言葉選びは激しく、見た目に似合わない。
港に現れた時の制帽のかぶり方はまるで先の大戦のビーティー提督のようで、写真写りのためか微かに傾けていた。
従軍記者を連れていきたいという話もあったし、戦隊の見回りのときには甲板の傷やペンキの剥がれに敏感に反応している。
平時であれば緩んだ将兵を鍛えなおす、良い提督になりえたかもしれない。が、今は戦時なのだ。
「『クーロン』のような艦よりも、重巡洋艦が我々には必要だ。そうだろう?」
ぷかぷかと、時代遅れの石炭炊きの船のように、パイプを口にしながらヒュームが怒鳴っている。
私は旗艦の艦長として落としどころを見つけなければなるまいと、ヴィクスは胸の痛みに耐えながら考えた。
戦隊司令官は艦長の一任によって解任することはできない。海軍は、軍組織であるからにして。
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