第20話「休日の戦い IV」
終わらない議論をしよう、とボラン少佐が店の前で言ったのは冗談でもなんでもなく、戦艦と航空機どちらが強力かという議論に関してはこの頃、終わりのない議論がなされていた。
そんな中、スカパ・フローのパブで女性士官たちが円卓を囲んでああでもないこうでもないと言った所で、結局はどちらも著名な軍事研究家の引用と実績を述べるだけで、それが終わるや否や、その実験や実績で証明されたのは〝このような前提条件があってこその結果である〟と致命的に痛いポイントを突き、相手を黙らせるという、殴っては殴られという堂々巡りになるのが目に見えていた。
それでも、この議論は繰り返される。堂々巡りというのは、何度も何度も繰り返されるからこそ、堂々巡りというのである。
「そもそも、航空機は爆弾投擲後に基地へ帰還し補給しなおさねばならない。ボラン少佐はウィリアム・ミッチェルの実験を持ち出してきたが、移動目標に対して爆撃がどれだけの命中率を出せるか甚だ疑問なのですが? 我らが海軍も先の大戦でクックスハーフェンやトルコで水上機母艦が攻撃を仕掛けました。しかし、ただの固定目標でさえ攻撃は困難で、これが稼働中の敵艦ともなれば、対空砲火は以前の比ではありませんよ。いくら航空機も性能が向上したとはいえ、武器は変わりません。爆弾と魚雷です。そこが変わらないなら、困難もまた同様でしょう」
紫煙を吐き、ブランデーをぐいっと一口飲み下しながら、赤ら顔のマクミラン中佐が陰険な声音で言う。
彼女は戦艦が必要であるという論者の代表であり、彼女の元にはボラン少佐の部下である掌砲長などがおり、これらが多数派だ。
駆逐艦乗りのマクミラン中佐を筆頭に、水曜日砲塔の砲塔付士官であるイーファ・オドンネル大尉や、さまざまな経歴ある士官や下士官たちが顔を揃えている。
「では、急降下爆撃はどうだ。ドイツ軍はJu-87、スツーカと呼ばれる急降下爆撃機を戦線に投入しているそうじゃないか。これらは移動目標に対しても相当の命中率を誇るそうだが、これに2000ポンド爆弾でも使われたらどうなる? いや、500ポンドだっていい。中身は100ポンド足らずの爆薬だが、それが直撃すればただではすむまい」
対する航空機優勢論を唱えるのは、ボラン少佐だ。
こちらも紫煙を吐きながら、ショットグラスに注がれたスコッチを一気に飲み下し、眉間に皺を寄せながらマクミラン少佐を睨んでいる。
こちらには航海科や士官候補生がおり、数的にやや劣勢ではあった。
「面舵でもなんでも取りようはあります。リヴェンジ級じゃあるまいし、操舵が下手でなければそれくらいは避けられるはずです。それにたしかに損害は出るでしょうが、上部構造物が一部吹き飛んでも蒸気は回るし、戦闘能力も喪失するわけじゃありません。標的艦にされた『アガメムノン』や他の艦のレポートを読んだでしょう? 機関銃程度じゃ、戦艦はビクともしませんよ。第一、急降下時の高速降下中には投下地点を大きく変更はできないでしょう」
「だが敵は編隊を組んでやってくる。投下地点の変更はできないが、投下地点そのものの数を多くすることによってその問題は解消される。試行回数を単純に増やすんだ。ドイツの帝国海軍は、その方式の艦砲の射撃方法でグランド・フリートをしたたかに噛んだじゃないか。たしかに、急降下爆撃に関しては面舵、取舵が有効なのは間違いないが、大柄な戦艦がそれだけ動き回れる海域にいなければならない、という前提もある。それにだ。マクミラン少佐、貴女は艦砲射撃は陸上兵力に有効と言ったが、戦艦の装甲と敵対する側の方にもよるが、不安定な水の上に浮かぶ艦から発砲する場合よりも、要塞砲の方が比較的有利という点もある。これに機雷源と潜水艦、そして夜間水雷戦をあわせればガリポリの完成だ。あそこで我々はちびでいさましいU-21たった一隻に戦艦『トライアンフ』と『マジェスティック』を失っているではないか」
灰皿に乗せてあった煙草を手に、ボラン少佐は対空砲火のように次々と言葉を飛ばし、おもむろに振り返って同意を求めるかのように両手を広げてみせる。
事実、第一次世界大戦において英国海軍はダーダネルス海峡を突破し一気にコンスタンティノープルを押さえようと考えそれを実行に移したが、結果は凄惨たるもので海軍は廃艦予定とはいえ計五隻の戦艦を失い、陸軍は多大な人員をガリポリで失った。
独立間もないオーストラリアとニュージーランドから派兵された
当然、マクミラン中佐がこのことを知らないわけもなく、彼女は一瞬怯んだように見えたが、すぐに落ち着きを払い、グラスにブランデーを注いでそれを一口飲み、反撃とばかりに口火を切った。
「同作戦に参加していた『クイーン・エリザベス』は撃沈されませんでしたよ。さらにいえば撃沈されたのは前弩級戦艦ばかりだ。そもそも、アジア方面に配備予定だった二線級の『カノーパス級』は戦艦というよりも海防戦艦に近いものでしょう。この戦いではボラン少佐、貴女の言う航空機運用母艦である現『ペガサス』が隊列に加わっていたが、なんの役にもたっていない。着弾観測すらできていなかったという事実は、この議論において無視されるべきではないのではないか?」
今度はボラン少佐が顰め面をする番だった。
彼女も士官である以上、部下たちの規範となるべしとその表情に至るまでを考えて表に現さなければならない立場なのだが、今はスコッチのアルコールが彼女からその判断力をまず奪い取っていた。
店の前でボケッとしていたシルビア少佐はと言えば、彼女は彼女でこの二大勢力の間にある
彼女たちは二人の極論を敢えて避け、それぞれ航空機を空母、戦艦はその護衛、盾であるという大雑把な推論を固めていた。
空母の運用やその能力についてシルヴィア少佐は詳しくは知らなかったものの、先のノルウェーでの任務中、水上機母艦『ペガサス』が行った偵察行動よりもより安全でより規模の大きな行動ができるのではないかと考え、装甲が皆無に等しい空母を守るのならば、抜群の兵器搭載量と装甲を持つ戦艦が相応しいのではないかと思った。
とはいえ、これでもまだ空母の安全性は保障できないため、空母は装甲甲板がいいのではないかと議論していた。
このグループだけは、戦艦と航空機ではなく、通常型空母と装甲空母の比較検証をしようとしていたが、英国海軍ですらまだ装甲空母『イラストリアス』は艤装中で就役は来月、もちろん実戦経験はまだない。
前例がないということは、推測だけが飛躍するだけだった。
「『クイーン・エリザベス』は当時、新鋭戦艦であり旗艦だ。そうおいそれと危険海域に出したわけはない。それにカタパルトなどの技術進歩により、それこそ我々でさえ酷いと思うような天候であっても航空機は発艦できるようになった。ノルウェーで『ペガサス』が航空機を一機大破させながらも偵察を果たしたのを、我々は見ているはずだ。この二十年、兵器も我々も戦術も進歩したのだということを忘れてはならない」
「忘れていたわけではないが、戦史において未だ行動中の戦艦が航空機によって撃沈された例はない。―――ああ、まったく。ボラン少佐、このような議論に付き物な、月並みな最後ではあるが、やはりここは後の戦史に委ねるしかないだろう。酒まで議論になびいてマズくなってしまっては、休むに休めんよ」
結局はそうなるか、とボラン少佐が不満げに鼻を鳴らすと、マクミラン少佐は苦笑を浮かべながらシルヴィア少佐に言った。
「――シルヴィア少佐、君たちは立場的には中庸だと思う。よって、君たちが賭金を管理せよ。我々は戦艦が以後も建造され海軍の主力を担うとする」
「であるならば、我々は航空機が戦争を左右し戦艦は廃止されるものとして、この国王陛下より賜った我が給金のほんの一部を賭けよう。シルヴィア少佐、横領などすればどうなるか分かっているな?」
「あ、アイアイ・マム。承知しています」
それぞれの派閥が紙幣や金貨をシルヴィア少佐の前に、それぞれの派閥ごとに分ける。
その金額をシルヴィア少佐は計算し、この賭けに勝った者がそれぞれいくら貰うことになるのかも算出しなくてはならないのだが、先任の前で面倒くさいとも言ってはいられず、二つの袋に賭金を収めた。
終わりのない議論は、その結果がでるまで持ち越しにし、結果が出た時にその論理を提唱していたもの達が賭金を得るのだった。
もちろんそれには、戦争の中で生き残るという大前提があったが、これについて触れるものは誰も居ない。
死ぬときは死ぬものだと誰もが確信し始めていたからである。
死神は鎌を振るう時にわざわざ、執行の号令を出したりはしないのだ。
「では諸君、我々は議論の最中必要に駆られ、三つに分派していたが、これより先は酒を片手にしたただの酔っ払いの飲んだくれ仲間である。さあ飲むぞ、乾杯! 我らがスコットランドに!」
ふらふらとよろめきながらボラン少佐が立ち上がり、ショットグラスに注いだスコッチを一気に飲み干すと、他の士官たちもそれを真似して各自が持つ杯を掲げながら己が出身地にそれを捧げた。
「我らがイングランドに!」
マクミラン中佐がシルヴィア少佐の肩を抱きながら杯を掲げ、
「我らがウェールズに!」
いつの間にかそこにいた機関長のエディス・プリチャード中佐が叫び、
「我らが北アイルランド、そして隣国アイルランドに!」
くるくると軍靴で器用にダンスを踊りながら、イーファ・オドンネル大尉が歌う。
「「「
そうして士官たちは戦争で麻痺した人格を癒すために酒を飲み、腕を組み合って、肩を組んで、オークの心やルール・ブリタニアを熱唱し、足元が覚束なくなったあたりで店を出た。
酒と喧騒の熱気から出でた士官たちは、厚く垂れ込めた雲を見つめ、いったい何千、何万の水兵たちがこの空を見上げてスカパの曇り空へ悪態を呟いたのだろうかと思いながら、道端に胃の中身をぶちまけ、ぼんやりとした目をしながら寝床へ戻っていった。
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