第17話「休日の戦い I」

四月二十二日

イギリス スカパ・フロー


 戦艦『エジンコート』は再びスカパ・フローの岸壁に繋がれ、重機に取り囲まれ、その細長い肢体を弄繰り回されていた。

 とはいえ、それは戦艦『エジンコート』の両舷船体中央部から後部艦橋に掛けて設けられたケースメイト式配置のMark.XI十五.二センチメートル単装砲十六基を、思い切って半分にまで減らしてしまおうという目論見が、ヴィンセント中将の許可を受け実行されているに過ぎない。

 甲板上に申し訳程度に取り付けられた十五.二センチメートル単装砲二基を大規模改修時に降ろした時と違い、今回は船体に埋め込まれているケースメイト砲を取り外す作業となるので、必然的に工員の数もかなり多く、その多くが、というよりも、全員が男性だった。


 そのため、戦艦『エジンコート』座乗海兵隊はこの全長210.7m、全幅28.6mの巨艦をどうにかシフトをやり繰りして常時見回り、トラブルの防止に努めることになった。

 女性と男性が同じ場所にいる場合、大抵問題と言うのは起こり易くなる。

 特に仕事疲れと退屈が合わさった時などは、なにが起こるか言うまでもない。



「ガンポートが寂しくなる。……しかし、十五.二センチ砲を八基、沿岸砲台として転用するというは、海軍卿はドイツが英仏海峡を渡ってくると考えているのか」



 紺色の軍服に身を包んだマーガレット・ボラン少佐は、左腰に下げた幅広の刀身を持つ剣の篭柄に左手を置きつつ、不機嫌そうに表情を強張らせながら言った。

 彼女の周囲にはマリア・ヴィクス大佐を除く、戦艦『エジンコート』常務士官のほぼ半数が〝海軍婦人部隊〟――通称レンズWRNSの運転する送迎車を待ちながら、ダズル迷彩で不気味に彩られた鉄の城塞を眺めている。

 特にボラン少佐を含めた砲術科――主砲及び副砲操作担当。第一から第四分隊――や、対空火器を操作する第五分隊の面々などは、自分たちの部署がまるでケーキのように切り分けられているような、複雑な心境を胸に秘めながら、各所で飛び散る怒声や掛け声、重機の駆動音に耳を澄ませていた。



「雲行きは怪しい。先にノルウェーを占領するつもりが、目の前で出しぬかれてしまった。あの極寒の地、あの剣呑なフィヨルド地形の中、陸軍がドイツ歩兵を蹴散らせるかどうか……専門家でなくても、困難だと言うことが分かるでしょう。戦艦『ウォースパイト』が籠城していた駆逐艦隊を殲滅できたのは朗報ですが、決定的ではないのですから」


「マクミラン少佐も海軍卿と同じお考えということか?」


「その通り、ボラン少佐。水雷畑出身者として、対潜水艦戦闘を学んだものとして言わせてもらいたいのですが……今のドイツ海軍でもっとも脅威なのは、あの巡洋戦艦ではなく、潜水艦だと私は考えています。もちろん、あの巡洋戦艦がまったく脅威ではない、とも言わないですが」



 タグボートの艇長から水兵が貰った、所どころが海水でふやけているスコッツマン新聞を捲りながら、目に隈の浮いたニーナ・マクミラン少佐は、いつもより少し気軽な声音で言う。

 いつもは艦長の頼れる副官として、まるで軍服の折り目のように丁寧かつ規則正しい、悪く言えば堅苦しい女として評判の彼女だったが、疲労と不眠がかなり堪えているらしい。

 眉間に皺を寄せ、篭柄に置いた左手に力を込めはじめたボラン少佐の前で欠伸を噛み殺す様など、ボラン少佐をよく知る掌砲長が見たら冷や汗を滝のように流すだろう。



「……デンマークがたった一日で降伏、か。チェンバレンが持ってきた紙は、いったいなんの役に立ったのだか。本格的に意味がなくなりましたね、あの紙」


「あんな紙は、ただの紙きれだ。カエル共がルールを占領したつけが回ってきたのだ。次は『ウィンストン帰る』ではなく『チェンバレン堕つ』と全艦隊に連絡がくるやもしれんぞ」


「いずれにせよ、ボラン少佐。我々は政治に関わり過ぎるのも良くないでしょう。とりあえず、煙草でもどうです?」


「うむ。よかろう」



 スコッツマン新聞を折り畳み、それを脇に挟むと、マクミラン中佐は口元に笑みを浮かべながら、ジャケットのポケットから使い古したシガーケースを、胸元からロンソンのオイルライターを取り出し、慣れた手つきでケースを開けると、そこからフィルターのない紙巻き煙草を一つ取って口に咥え、火を点け、紫煙を吐く。

 ボラン少佐は煙草を手に取り、口に咥えてから腰のポケットからくしゃくしゃになったマッチ箱を取出し、湿気で死にかけていたマッチに悪戦苦闘しながらなんとか火を点けた。

 唾で吸い口を湿気らせたり、葉が口に入ったりしないようにと適度に紫煙を吸い込み、煙草を口から離すマクミラン中佐と違って、ボラン少佐はまるでそれがフィルター付の煙草であるかのように吸い口を歯で噛み、葉が口に入るとこれまた不機嫌そうに舌打ちをしながら唾を地面に吐いた。

 マクミラン中佐の吸い方で出る煙は現在の戦艦の排煙のようだったが、ボラン少佐はというと、まるで前弩級戦艦の石炭が轟々と焚かれている旧式の石炭専焼ボイラーの排煙のようだった。



「時に、ロフォーテン沖ではすまなかった」



 口をへの字に曲げながら、ボラン少佐が言った。



「これで二敗目だ。あの忌々しい巡洋戦艦に手玉に取られたのは」


「藪から棒に。あれは砲術長のせいではないでしょう。練度の不足は我々全体の問題です。――ところで、今回の改装で砲術科の副砲操作員を文字通り半分に減らし、第五分隊と対空火器を増員するという噂を聞いたのですが、なにか知りませんか?」


「知るも何も、事実だ。甲板上に十五.二センチ砲の砲架があるだろう。あそこに五六口径の四十ミリボフォースを連装で乗せるそうだ。ポーランドのグロム級駆逐艦やらオランダの艦には載せていたからな、どんなものか知りたいのだろう。例によって、我々の戦艦は実験のために使われると言うわけだ」


「シカゴピアノではなくて、ボフォースの連装ですか」


「ピアノガンなど糞くらえだ。八連装でも断る」


 

 顔を顰めながら地面に唾を吐き、ボラン少佐は右足で地面を蹴飛ばす。

 シカゴピアノ、ピアノガン、ポムポム砲などと呼ばれるQF二ポンド砲は、英国海軍の主力対空火器の一つである。

 だが、ボラン少佐はこの対空砲の欠点を実証データと実務経験上知っていた。


 口径は大きいが有効射程は短く、弾道特性も悪い上に、曳光弾が用意されていないために咄嗟の照準修正は難しく、航空機の搭乗員に与える心理的効果が期待できない。

 さらに機械的な信頼性にも疑問符が付き、弾体と薬莢が分解して頻繁に弾詰まりを起こすのを実際に目で見ていた。

 四〇ミリの砲弾をベルトリンク式で扱う身にもなってほしいものだ。

 


「時代は変わる、マクミラン少佐。ウィリアム・ミッチェルというヤンキーの将軍がいた。彼は戦艦無用論者だ」


「私はその名前がドイツ人より嫌いですよ」


「そうか。彼が行った爆撃実験があるだろう。あれを知って私は、戦艦が生き残るには対空火器と制空権が必要だと考えた。だから戦艦『エジンコート』の改装計画が持ち上がるたびに、散々対空火器の増設を上申してきた。本来であれば、艦橋と後部艦橋、そして背負い式砲塔上部にも機関砲を備え付けたいところなのだ。ヴィクス艦長も頷いておられた。君の意見は、大砲屋のプライドに反するものであるかもしれないが、しかし、大砲屋だからこそ言えるものであると、そう仰って下さった」


「……ボラン少佐、戦艦無用論についての議論なら、パブでやりませんか。ここでは雨に打たれる」



 表情の変化がドイツ人のジョークの才能並みに乏しいとまで言われるマクミラン少佐であったが、自分が勤務する戦艦という艦種そのものを侮辱されたと感じたのか、さすがの彼女も眉を顰め、声を一段と低くしながら脅すように言った。

 そんなマクミラン少佐を見て、ボラン少佐はへの字に曲がっていた口元を吊り上げ、とても愉快そうに笑った。

 これには寡黙で仕事一徹のイングランド人であるマクミラン少佐も驚いたのか、口をぽかんと開け、煙草を落としてしまった。



「それは良いな。やろう。士官候補生も呼ぶか。きっと楽しいぞ」



 乗せられた、とマクミラン少佐が気付いた時にはもう遅かった。

 気難しいハイランダーが意味不明な笑みを顔面に張り付かせ、片手を剣――クレイモアにかけながらパブでの議論に参加するか否かと士官候補生たちに聞くと、誰もが迷わず首を縦に振った。

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