第16話「彼女たちの最期」
四月十日、午後十時五分。
戦艦『エジンコート』及び軽巡洋艦『ペネローペ』がヴェストフィヨルドを哨戒中に発見したのは、ナルヴィクの激戦を生き延びたドイツ駆逐艦二隻だった。
彼女たちはドイツ本国からの撤退命令――駆逐艦『Z9・ツェンカー』及び『Z12・ギーゼ』は午後八時四十分までにナルヴィクを脱出し、本国へ帰還せよ――を受けてフィヨルドから這い出してきたのだが、その眼前には旧式とは言え戦艦である『エジンコート』と、軽巡洋艦『ペネローペ』の二隻が立ちふさがっていた。
単純な武装量だけで言えば、ドイツ駆逐艦は英国海軍の軽巡洋艦にも匹敵する装備を搭載していたが、安定した土台を持つ、長距離航海を前提とした巡洋艦と比べれば、その船体は小さく、凌波性にも劣っている。
さらにいえば、四月十日の午後十時は雲も少なく、理想的とは言えないものの視界は良好だった。
とはいえ、この時点ではまだ戦艦『エジンコート』と軽巡洋艦『ペネローペ』は二隻の駆逐艦を発見しておらず、照明弾を撃ち上げる兆しも、戦闘配置についているわけでもなかった。
追い打ちをかけるように言わせてもらえば、この日の午前中を目一杯使って修理に励んだドイツ駆逐艦の中で健在なのは、駆逐艦『Z19・キューン』と『Z13・ケルナー』そして『Z18・リューデマン』のみだ。
『煙幕を展張せよ。針路反転。フィヨルドへ戻る』
先の海戦で戦死したフリードリッヒ・ボンテ代将の後釜であるエリッヒ・バイ大佐は、この状況下で言った。
無傷の駆逐艦『Z9・ツェンカー』と『Z12・ギーゼ』はこうして煙幕を焚き、再び傷ついた姉妹たちが取り残されているフィヨルドの奥地へと戻っていった。
死に体となった姉妹たちを残し、本国へ帰還せよと命令されたこの二隻は、逃げ場のない、剣の様な岩場が乱立するあのフィヨルドの奥地へと、その小さな船体で波を切り裂きながら戻っていく。
煙幕を展張し、このヴェーザー演習作戦のために乗せてきた山岳歩兵たちを陸揚げした時の歓喜は程遠く、今あるのは、敗残の兵そのものの寒々とした小さな背中だけであった。
二日後、四月十二日、午前七時三十分。
北緯六六度二七分、東経六度地点において、巡洋戦艦『レパルス』及び『レナウン』は、英国本国艦隊旗艦『ロドネイ』及び戦艦『ウォースパイト』と合流。
午後には航空母艦『フューリアス』から飛び立った第八一六及び第八一八沿岸飛行隊のソードフィッシュ雷撃機がフィヨルドへ殺到したが、悪天候もありたったの九機が敵艦を発見しただけで、大した戦果は上げられず、ドイツ駆逐艦隊の息の根を止めるにはまったくの力不足であった。
それを聞いたホイットワース中将は、選択を迫られた。フィヨルド内に籠城するドイツ駆逐艦隊の息の根を止めるには、殴り込みしか方法は残されていない。
となれば、その任務は戦艦が負うべきである。
ホイットワース中将の前には戦艦が三隻あった。
一隻は本国艦隊旗艦『ロドネイ』であり、二隻目は臣民海軍戦艦『エジンコート』、そして最後に、あのユトランド沖海戦で〝死の行進〟を歩んだ戦艦『ウォースパイト』である。
とはいえ、選択肢などは存在しないのと同じであり、戦艦『ロドネイ』は前甲板に三連装十六インチ砲を三基詰め込んだレイアウトが、戦艦『エジンコート』はその装甲防御力と兵の練度が問題となり、ホイットワース中将の前にある戦艦は必然的に、古傷を抱えた老女『ウォースパイト』のみとなった。
『将旗を『レナウン』より戦艦『ウォースパイト』に継承せよ』
こうして本国艦隊B部隊(巡洋戦艦戦隊)の将旗が、戦艦『ウォースパイト』に掲げられた。
選抜から外された戦艦『エジンコート』は、ホイットワース中将の命令により、水上機母艦『ペガサス』と共にノルウェーより遠ざかり、母港スカパ・フローを目指して静かに航行していく。
戦艦『ウォースパイト』とイギリス駆逐艦隊がドイツ駆逐艦隊を全滅させたという華々しいニュースが入った時、戦艦『エジンコート』は海原で、ただ冷たい雨に打たれていた。
本来であるならば、『ウォースパイト』の妹となるはずだった『エジンコート』の名を持つ戦艦は、姉となるはずだった彼女の勇姿をその灰色の装甲に思う浮かべ、灰色の雲の下、母なる港だけを目指して進んでいった。
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