第14話「経過」


 ヴィクスの予想は半分ほど当たっていた。『シャルンホルスト』と『グナイゼナウ』は確かに囮であったが、敵はナルヴィクにおり、このフリードリヒ・ボンテ代将指揮下のナルヴィク攻略部隊は、既にナルヴィク港でノルウェー海軍のノルゲ級海防戦艦『ノルゲ』と『エイズヴォルト』を撃沈していた。

 この二隻の海防戦艦(一九○○年製)の最期はあまりよく知られていないが、ここに記さねばならないだろう。

 ドイツ海軍のボンテ代将が『エイズヴォルト』へ第二作戦部参謀のゲルラッハ大尉を汽船で送り、『エイツヴォルト』艦長であるウィロック艦長に、


「我々は、君たちの友人、および擁護者としてここに来た」


 と事実上の降伏を要請した。

 しかし、この屈辱的な要求を、海軍軍人が認める筈もなく、ウィロック艦長はこれを拒否し、ゲルラッハ大尉は『エイズヴォルト』から退艦した。おそらくは、その直後だったのだろう。ゲルラッハ大尉は交渉不成功を知らせる信号弾を打ち上げた。急ぎ『エイズヴォルト』が主砲を旋回させ一隻のドイツ駆逐艦に照準を定めたが、それよりも早く、魚雷が『エイズヴォルト』の身体を引き裂き、彼女はウィロック艦長と乗員を腹に抱えたまま海に沈んだ。

 姉妹の死を目の前とした『ノルゲ』はその旧式の身体を引き摺るようにして、アスキム艦長と共に勇敢にも戦いを挑んだが、旧式の主砲は照準精度もなにもかもが時代遅れであり、駆逐艦からの艦砲射撃と魚雷攻撃の中、姉妹である『エイズヴォルト』と同じように艦長と多数の乗員を道連れに撃沈された。

 海防戦艦の動きを止め、交渉不成功と知るや否や、魚雷攻撃を敢行する。降伏要請などではなく、それは儀礼に見せかけた罠だった。交渉中は海防戦艦は動くことも、砲を撃つこともできない。ドイツ側は柔らかな横腹を広げる老女に魚雷発射器の矛先を向け、信管を調定してやれば良いだけだっただろう。

 一方、二隻の巡洋戦艦と対峙した英国艦隊は海戦後、ホイットワース中将は第2駆逐群にヴェストフィヨルドでドイツ軍上陸部隊の阻止すべく派遣し、次にナルヴィク港内のあらゆる敵艦船を破壊せよ、と命じた。ウォーバートン・リー大佐は水先案内人のノルウェー人から前日に、六隻の大型駆逐艦がフィヨルドを通過し、潜水艦がフィヨルドに入っていると報告を受けていた。ナルヴィクは既にドイツ軍の占領下にあると聞き、ウォーバートン・リー大佐は、曲がりくねったフィヨルドを吹雪で四○○メートル先も見えない中航行し、夜明けとともにナルヴィク港を奇襲した。ちょうどボンテ代将が駆逐艦に給油を命じていた、その時だ。

 結果は、第2駆逐群の嚮導艦であり、指揮官であるウォーバートン・リー大佐の乗艦していた駆逐艦『ハーディー』が沈没。他にも『ハンター』が沈み、駆逐艦『ホットスパー』は大破した。ウォーバートン・リー大佐は戦死し、その四十四年の人生に幕を下ろした。

 水上機母艦『ペガサス』艦載機の偵察によれば、ドイツ海軍の損害は甚だしく、二隻の駆逐艦が沈没、三隻の駆逐艦が大破、一隻の駆逐艦が小破しているという。とはいえ、『ペガサス』艦載機はその帰還時に波浪に叩きつけられ、沈没した。パイロットは奇跡的に救助され、今は恐らくアリスン艦長の自室で、重要な情報を持ち帰った功労者として讃えられていることだろう。

 現在時刻、四月十日、十時○○分。戦艦『エジンコート』はドイツ艦隊の脱出阻止を目的とした増援として到着した軽巡洋艦『ペネローペ』に先導されるように、哨戒活動を行っていた。増援艦隊の内訳は、巡洋戦艦『レパルス』軽巡洋艦『ペネローペ』駆逐艦『ベドウィン』『キンバリー』『パンジャビ』『エスキモー』『ホスタイル』の七隻である。


「……薄いな」


 咀嚼し終えたサンドウィッチを胃袋に無理矢理流し込もうと、ポットから注いだ珈琲を飲んだヴィクスは、顔を顰めながら呟く。一連の戦闘があり、海戦が終結した後もヴィクスは眠らず、艦長席に深く腰を据え、時折、自分が人間であることを思いだしたように、珈琲や食事を取っていた。戦闘配置から哨戒配置に切り替わり、艦内も大分落ち着きを取り戻し始めている。

 艦長席の後ろには、赤毛で小柄なエレン・マクナマラが、例の小瓶を抱えていた。ヴィクスはマクナマラの手からその小瓶を取ると、蓋を開け、それを少しだけ珈琲に注ぎ、素早く蓋を閉めてマクナマラに突っ返す。 


「医務室に戻してきてくれ。それと、食堂に行ってもっと濃い珈琲を注文してきて、私の元に持ってくるんだ」

「アイアイ・マム。し、しばらくお待ちくださいっ」


 小柄な水兵が小瓶片手に敬礼し、ヴィクスの返礼を受けてラッタルを駆け下りていく。それを見送った後、ヴィクスはブランデーを垂らした珈琲を飲み、自分の体に再び熱が戻ってくる感覚に吐息を漏らした。いつも寡黙な艦長が珍しくリラックスしているのを見て、艦橋要員の何名かが意外そうな顔をしたが、それも副艦長であるマクミラン少佐に一睨みされては、再び目線を前方に戻した。


「……お疲れのようですね、艦長。少し仮眠を取ってはどうです。私の当直が終わり次第、起こしに行きますが」

「二時間ほどの仮眠か。いいかもしれんな。少し……少しだが、仮眠をとろうか。しかし、珈琲はどうするか」


 頼んだ手前、知らぬ存ぜぬでマクナマラを困らせるのは可哀そうだとヴィクスは思ったが、それを察したのか、マクミランは口元に笑みを浮かべながら言った。


「私が連絡しておきます。艦長は二人とおりませんから、適度に休むこともまた仕事だと本官は思っております」

「そうかもしれん。では、私は仮眠室に降りるとする。なにかあったら起こしてくれ、マクミラン少佐」

「アイアイ・マム」


 ブランデーを垂らした珈琲を飲み干すと、ヴィクスはゆったりとラッタルを下っていった。

 駆逐艦での勤務経験があるマクミランは艦長としての責務がどれほど重く、やらなければならないことがどれだけ多いかを理解している。だからこそ、ヴィクスの肩に圧し掛かるものを少しでも肩代わりしようとするのだが、どうやっても、ヴィクスはその身を自ら進んで磨り潰していくかのように、艦長と言う任務を全うしようとする。それが歯がゆくもあり、頼もしくもあり、ヴィクスに対する複雑な思いがマクミランの胸に浮かぶ。

 口では何も言わないが、ボラン少佐もヴィクスの信徒の一人である。マクミランは陸に上がった際、偶然ボラン少佐とパブで席を共にしたのだが、好戦的な持論の割に彼女はヴィクス艦長に負い目を感じていた。砲術家として敵艦に損害を与えられなかったのは恥であり、その責任を艦長がすべて背負い込んでいるのが、彼女の流儀に反しているらしかった。気難しいハイランダーと長らく言われ、ただの戦争好きだとさえ言われてきたボラン少佐の新たな一面を見た気がして、マクミランは思わず彼女にスコッチを奢った。

 水兵は相変わらずではあるが、この戦艦『エジンコート』に乗り込む士官は大多数が一つの柱を中心にまとまっている。それが、ヴィクスという一人の人間だ。信頼でき、彼女の下でならば安心して仕事ができるという、どの職種であっても存在するような良き上司。それがヴィクスであり、それこそが艦長に求められる人格だった。感情的で部下と溶け合う艦長も存在するが、ヴィクスはそうではない。艦の最上位に立ち、艦の最高意思決定者であり、艦の最高責任者である彼女は、すべてを甘んじて受け入れる器量を持っている。

 艦長とは本来、ああいうものなのかもしれないと、マクミランは常々思っている。やはり軍人であるからには、勇猛果敢な闘将をと思ってしまうのだが、地中海の海のように凪ぐヴィクスの仕事ぶりを見ていると、荒々しさよりもこのような理知的な静かさが重要なのではないかと、ふと考えてしまう。

 ともかく、多くの士官がヴィクスに抱いている感情は、ただ一つである。


「……尊敬、だな」


 口元に苦笑を浮かべながら、マクミランは前方を見遣る。

 軽巡洋艦『ペネローペ』が煙幕の様なものを発見するのは、それから数十秒後のことだった。

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