第11話「諸君の良き航海を祈る」

4月8日

ノルウェー ボド西方70海里

スコンヴェア灯台沖 英国海軍艦隊




 航海も作戦も、すべて順調とはいかなかった。

 それはまるで、会議のあとの『諸君に良き航海を祈る』という決まり文句が、これ以上ない皮肉となってこの世に現れたかのようだった。

 巡洋戦艦戦隊旗艦『フッド』から旗艦任務と司令官W・J・ホイットワース中将を継承した巡洋戦艦『レナウン』率いる艦隊は、4月6日に荒天により駆逐艦との通信が一時不能となり、気付いた時には艦隊はばらけ、荒波にもみくちゃにされていた。


 見たくもない気圧計を見ながら、ヴィクスは臣民海軍の威信にかけて『レナウン』に縋りついたが、戦艦『エジンコート』よりも二回りは小さい駆逐艦にそれを求めるのは酷と言うものだろう。ここで、駆逐艦『グローウォーム』が艦隊から離れた。

 翌朝には甲板から落下した乗員を捜索中だったG級駆逐艦の『グローウォーム』が、運悪くドイツ艦隊と鉢合わせした。

 旗艦との通信途絶、甲板から寒冷なる海へ投げ出された乗員、船体を圧し折らんとする荒波によりドイツ艦隊と対峙することとなった、たった一隻の旧式駆逐艦は、果敢なる反撃を試み、敵重巡洋艦に体当たりを仕掛けるも撃沈された。


 その後、巡洋戦艦『レナウン』と駆逐艦『グレイハウンド』は、ここスコンヴェア灯台沖にて第2駆逐群――嚮導駆逐艦『ハーディー』率いる駆逐艦『ハヴォック』『ホットスパー』『ハンター』のH級駆逐艦で編成された護衛部隊――と、第20駆逐群――E級駆逐艦『エスク』I級駆逐艦『インパルシヴ』『イカロス』『アイヴァンホー』の機雷敷設部隊――と合流した。

 機雷の敷設は成功した。ヴェストフィヨルド沖に第20駆逐群は4月8日朝、234発の機雷を敷設していた。

 これまでヘルゴラントバイトやエムス川河口沖で機雷敷設任務にあたっていた第20駆逐群の仕事は手慣れたものだったが、さすがの彼等もこの海での作業は相当身心に疲労を抱え込んでいる筈だった。

 

 『グローウォーム』艦長のジェラード・B・ループ少佐は死んだだろうかと、ヴィクスは艦橋で珈琲を飲みながら思った。

 なにも失礼なことではない。この極寒の海に叩きこまれれば、誰であろうとも心臓発作を起こし死ぬか、身体が凍り付いて海に沈み溺死するかの二つしかないのだ。

 生き残る道は敵の捕虜となることだが、はたして何名がその幸運にありつけたのだろうか。


 情報はあった。7日の時点で英国はドイツ艦隊を感知しており、大型艦三隻、駆逐艦十隻からなる艦隊であると、その全容も知っていた。

 だが、それをノルウェー侵攻部隊だと誰が思っただろうか。

 誰がドイツに、そんな海軍力があると思っただろうか。


 ホイットワース中将はさぞ足の遅い臣民海軍艦艇を置き去りにしたいに違いないと思いながら、ヴィクスは艦橋の外を眺める。

 現在時刻、二十時十五分。二時間ほど前にホイットワース中将はナルヴィクへ向かうドイツ軍艦隊の阻止を命じられていたが、どうやら中将はその命令には従わないつもりらしい。

 もしくは、会議が長引いているのだろうか。迫りくる交戦の気配に身体が委縮するのを何とかこらえながら、ヴィクスは背筋を伸ばし、席に座った。



「艦長、艦上の氷塊除去作業ですが……」


「夜間はなにがあっても禁止だと言ったはずだぞ、シルヴィア少佐」 


「ああ、いえ、そうかもしれませんが、機関砲の銃座や副砲の稼働部が凍り付いていまして」


「夜間はなにがあっても、なんであろうとも、禁止だと言った。分かったか、シルヴィア少佐」


「……イエス・マム」



 身体を固くして泣きそうな顔になりながら返答したシルヴィア少佐に、ヴィクスは憂いを抱く。

 こんな振る舞いはしたくはない。いつまでもシルヴィアをないがしろにしていたら、いずれシルヴィアの命令に誰もが疑問を呈すようになる。

 無能な指揮官は誰からも信頼されず、そのために命を捧げようとする者もいない。


 指揮官たる者、そうなっては指揮官としての意味がない。

 指揮官とは、人にして忘我の精神を持ち、団体のために決断を下す頭でなければならない。

 頭から下される命令に身体が刃向うのでは、頭などついている意味はないのだ。


 溜息を吐きたいのを堪えながら、ヴィクスはポットから珈琲をカップに注ぎ、温くなったタールのような液体を飲み下す。

 冷めた珈琲は不味いが、その不味さと苦さが意識を覚醒させる。

 こんなところで眠るわけにはいかない。



「艦長、旗艦『レナウン』より連絡が入りました」

 


 ヴィクスが珈琲の苦味に耐えていると、一人の士官が一枚の紙を持ってやって来た。

 会議が終わったかと、ヴィクスは内心胸を撫で下ろしたが、士官に内容を読ませていくと再び喉が詰まる思いに襲われた。



『発/WR/宛/VA/臣民海軍艦艇ハ,引キ続キ我ガ艦隊ニ同行,待機セヨ』



 これはどういうことだと、ヴィクスは士官に待てと命じながら悩んだ。

 まさか本当にホイットワース中将は、命令を無視するつもりなのだろうか。

 たしかにこの天候の中、フィヨルドの中へ入っていくのは困難なことだ。


 それが練度不足のドイツ海軍ならば、フィヨルドへの入港は日中に行った方が良いだろう。

 とはいえ、ヴィクスにはまず伝えるべきことがあった。

 同行する水上機母艦『ペガサス』は純粋な戦闘艦ではないのだ。



「――ペガサスへ連絡だ、艦隊後方から前へ出るなと」


「アイアイ・マム」



 敬礼する士官に返礼し、ヴィクスは再び珈琲を飲む。

 荒天の夜、エジンコートの艦橋で飲む温い珈琲はやはり、苦い上に不味かった。

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