第0.5話 やっと会えたね、姫路さん
毎年訪れる四月も、今年だけはいつもとは違う意味を持っていた。
あの子が入学してくる。そう考えるだけで眠れない夜が続いた。例年ならやらない在校生代表挨拶も入学式に組み込んでもらった。
理由はただ一つ。壇上から新入生を見渡してあの子を探すため。五分ほどの挨拶文は目を閉じていても暗唱できるようにした。時間いっぱい使ってあの子を探すつもりだった。
入学式の当日、初々しいと言うにはあまりにも冷淡な新入生たちの前に立つ。全神経を両目に集中して、力を込める。
「新入生の皆さん。ご入学おめでとうございます」
話し始めた口なんてまったく意識していない。でも三二〇人いる新入生から半年前に一度会っただけの男の子を探すなんて普通は無謀だ。
いない。興味なさげに俯いている子もいる。時間が過ぎていく。
言葉に力がこもる。全身が浮かぶほどの気持ちで目を見開いた。
気付くと体育館内のすべての人が私を見ていた。新入生も在校生も教員も。ひまわりが太陽に向かって花を咲かせるように、私の顔を見つめていた。
その中に、あの子がいた。私の方をじっと見つめながら、ちょっとだらしなく口を開けて。
あの並びは一年二組!
私は壇上を降りてすぐさま近くにいた二組の担任の青山先生に声をかける。
「一年二組のクラス名簿を写真付でください」
「い、今? まだ入学式の途中だから」
「今です。職員室にあるなら取りに行きます」
生徒会長の権限を押しつけて青山先生を体育館から引きずり出す。
「ほぼ中学生の男の子を見られるチャンスがー」
「この後のホームルームでいくらでも見られます」
「鮮度が、鮮度が落ちていくのー」
訳の分からないことを言っている青山先生を連れて、職員室に向かうと、取り出された名簿を奪い取って中身を確かめる。
脳裏に焼き付けた少し成長したあの子の顔を名簿から探す。
「いた。新妻晶くん」
あの時より少し顔に明るさがあるような気がする。大人っぽくなったかな。私のことは覚えているかな。
「ふーん。会長さんはいい趣味してるのね」
「どういう意味ですか?」
「いえ、なんでも」
青山先生は少し含みを持たせた言い方で、新妻くんの顔写真を見ている。青山先生のあの胸は新妻くんならすぐに触りたくなってしまうかも。今から担任を変わってほしいけど、さすがにそれは難しい。
一年生が教室に戻ってくるのを待って、職員室を出る。頭の中でこれからのセリフを何度も繰り返す。
新妻晶くんを副会長に任命します。
たったそれだけ。でも厳格に。表情を殺して、声色を抑えて。だって他の一年生がいる前でデレデレするなんて恥ずかしいもの。新妻くんを誘うのは生徒会室で二人きりのときだけ。それまでは生徒会長らしく振舞わなきゃ。
一年二組の教室の前で、ぐっと表情を固める。
私は生徒会長。威厳のある生徒の代表。
自分に暗示をかけて教室の扉を開いた。ぐるりと教室を見回す。視覚に神経を集中して、一人ひとり、記憶の中の顔と照らし合わせていく。
いた。新妻くんは自分の席に座って、ぼんやりとした顔で私を見上げていた。
「立ちなさい」
私の声に新妻くんが慌てた様子でわたわたと立ち上がる。長い前髪から覗く目が焦ってキョロキョロとしている。かわいい。
首筋に手を伸ばすと、細くて白い肌に手が触れる。それだけで電気が走ったみたいに体が痺れた。にやけそうになる顔を必死に作って、新妻くんの首にチョーカーをつける。
錠の落ちる音を聞くと、彼が私のものになったような錯覚を覚える。
無理。これ以上ここにいたら顔が緩んじゃう。
「放課後に生徒会室に来て」
それだけ言うのが限界だった。私は足早に教室を出て、廊下からトイレの個室に逃げ込むと、誰も見ていないことを確認して、固めていた顔を崩した。
「やった。言えた。副会長になってくれた」
両手でほてる顔を覆う。後何分かければいつもの自分に戻ってくれるかわからなかった。
「あとは放課後に生徒会室で」
生徒会室で、どうしよう?
人助けのためとはいえ、新妻くんは知らない女の子の胸を触るような子なんだから。油断はできない。主導権は常にこっちが持っていないと。新妻くんは私の従者で私がご主人様。そこにちょっとだけご褒美を与えるだけ。
そういう設定なんだから。
放課後、急いで生徒会室に向かった私は最後の掃除を済ませて新妻くんを待っていた。
「いきなり二人きりで大丈夫かな」
だって新妻くんくらい大胆な男の子なら、二人きりになったらいきなり押し倒されたりして、その勢いのままに襲われたりしちゃったり。
頭の中でシミュレーションする。いつも勢いに負けて情事に至る自分の姿でゲームオーバーになる。
最終的にはそれで間違いないんだけど、そうじゃなくて。新妻くんが私のことをちゃんと好きにさせてからじゃないと意味がない。一夜限りの関係じゃ意味がない。
私から誘って、でもじらして。少しずつ少しずつ、私のことを考えるようになってくるのが大切なこと。新妻くんがどうしようもなくなって私に手を出したとき、それはつまり既成事実の元に新妻くんが私のものになる瞬間になる。
考えていたらだんだん落ち着かなくなってくる。そろそろ来るはずだけど、まだ来ないのかな。自然と私の足は生徒会館から出て校庭へと向かっていく。
一秒でも早く新妻くんに会いたい。どんな気持ちでいたのか聞いてみたい。なにより本当に私のことを覚えてくれているのか知りたかった。
校庭を回って帰ってくると、ちょうど新妻くんが生徒会館の前に立っていた。思わず肩をつかむ。もう離したくない。ここから一歩も出したくない。でもそれを悟られないように、表情をぐっと固める。
私は真面目な生徒会長で、襲いかかるのは新妻くんの役目だから。生徒会室に入れたらその立場をわかってもらうために用意しているものもある。
参考書の中で一番気に入ったシチュエーション。主人の魅力に耐えきれずつい襲いかかってしまうかわいいメイドさん。きっと新妻くんには似合うはずだから。
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