ご奉仕させたい、姫路さん
第0話 生徒会長になってよ、姫路さん
姫路夢月は、平凡な女の子だった。
ただ一つ、生まれつき色素生成が弱く、日本人としては白い肌と青白い瞳、そして絹糸のように光る銀色の髪を持っていることを除いては。
その姿を見た両親は、神様からの贈り物だと思った。この子にはきっと特別な何かがあると信じて疑わなかった。何の才能があるのか、それを楽しみに両親は夢月にあらゆることに挑戦させた。
スポーツ、芸術、音楽、ダンス。
子どもが出来るすべての習い事に向かわせたと言っても過言ではない。そのすべてで夢月は平均以上の成績をおさめた。それでも天才、神童と呼ばれる子どもたちには遠く及ばない。
それが純然たる事実だった。
たった一つ、夢月に残されたのは子どもが嫌がる勉強だった。必死に取り組めば努力の差で周囲の子どもたちより前に出ることができる。両親を失望させたくないと子供心に願った夢月は、他の誘惑をすべて断ち切って勉強に努力を傾けた。
唯一の才能だったのか、努力の結晶だったのかは本人にも定かではないが、とにかく夢月の成績は高位をキープし続けた。それは鬼才、秀才が
あらゆる誘惑を耐え忍んで勉強してきた夢月にとって、勉強以外の選択肢がない高校生活はむしろ救われてすらあった。
銀髪を黒く染めることを条件に合格したときは、両親は辞退を勧めたほどだったが、夢月は入学を選んだ。この髪色を特別視しない環境が心地よかった。
その環境が天地が返るように変わったのは、二年生の秋のことだった。
「私が、生徒会長」
候補者演説も応援演説も何もない、ただ成績上位五名の中から選ばれ投票される生徒会選挙の結果を見て、夢月は呆然とした。
目立たないように人との交流も避けてきたつもりだった。友人と呼べる存在もいない。候補者に名前が挙がったことは知っていたが、自分が選ばれるなどつゆとも考えていなかった。
引き継ぎのために生徒会館に呼ばれ、生徒会特権の話を聞いても、まだ自分が会長になるという事実が理解できなかった。
生徒会館は役員のみが自由に出入りできること。
禁制品も生徒会館の中では利用できること。
役員を三人まで自由に任命できること。
生徒会費として特権のために必要な資金であれば無限に提供されること。
恐らく普通の生徒なら、二年近くこの学校に閉じ込められて溜まった鬱憤を晴らすために権力による暴虐を繰り返すのだろう。
事実、引き継ぎをした前生徒会長は特権を持った副会長の暴走を止めるために役職を剥奪し、退学させていることを夢月は知っていた。
それが自分にも起こりうることを夢月は恐れた。誘惑がないからここまで無心で努力できたのだ。その鎖が緩んでしまったら、自分はどうなってしまうのだろう。
考えただけでも冷や汗が首を流れていった。
他の生徒が約二年間の鬱憤なら、夢月は物心ついてから十年以上の鬱憤だ。
なんでも好きにしていい。
両親に言ってほしいと願っても叶わなかった言葉は、監獄と呼ばれた高校から初めて与えられた。
我慢はすぐに効かなくなった。積み木の城を崩すように自分の努力の結晶を無惨に消し去りたいという自虐的な精神は、生徒会長から引き継いだ参考書たちから得た知識で実現しようとした。
電車に乗って立川に向かった。八王子はさすがに近すぎるから次に近い大きな市街というだけの理由で選んだ。
美容室で髪を整え、愛用しているメガネをワンデイコンタクトに変えて、目についた中で一番性的だと感じた服を、勢いで買ってすぐに着替えた。通りのガラス窓に映った自分は本当に自分なのかわからないほどに変わっていた。正面から話しかけられても誰も夢月だとは気付かないだろう。
すれ違う誰もが振り返って夢月を見る。それは自分の髪を染める前、銀髪を揺らして歩いていた時以来の懐かしい感覚だった。
目的の相手はすぐに現れた。
「それ、誘ってんの?」
こうなることを望んでいたはずなのに、いざ声をかけられると、何も言えなかった。
「いくらでヤレんの?」
「それともこんな早くから神待ちとか?」
畳みかけられる言葉に何も言い返せない。こういうとき、読んだ官能小説ではどんなことを言っていたか、と思い返してみるが、頭が真っ白になって何も浮かんでこなかった。恐怖の感情が目からこぼれそうになるのを必死に抑える。
その夢月の前に人影が急に現れた。
自分よりも背の低い、中学生くらいの男の子だった。
誰もが見て見ぬふりをする中で、夢月を守るように飛び出してきた背中は誰よりも頼もしかった。
胸を触られたことなど取るに足らない些細なことだった。常に周囲から期待され、与える側でなくてはならないと思っていた夢月にとって守られるのは初めての経験だった。
慌てる男の子の手を引いて、私は走り出していた。息が上がるのも、涙が止まらないのも、顔がにやけて止まらないのも気にせず路地を走り続けた。
「来年、天稜に来なさい」
強がりが言葉に乗ってしまったことを後悔した。あんな言い方では約束は守られないかもしれない。
名前を聞くのも忘れてしまった。本当はもっと話していたかったのに。恥ずかしくてその場を立ち去ることしかできなかった自分が憎かった。
約束は守られる。そう信じて夢月は行動を開始した。
黒髪に染めるのはやめて、目立つように。
冷蔵庫には精力のつく食べ物を用意できるように。
そして、名前も知らない自分の胸を触るような男の子をリードできるように、今まで知らなかった知識を身につける。そのために、前生徒会長から引き継いだ参考書に余すことなく目を通して、勉強する。
夢月にとって初めての楽しい勉強の瞬間だった。
そうして年が明ける頃、初めて姫路夢月は、私は自分のために生きていると感じられるようになっていた。
「あの子、受験勉強頑張ってるかな?」
寝室の古いパソコンで全校アンケートを作りながら、私はまだ役員のいない生徒会館で一人呟いた。
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