第31話 普通のカップルかな、新妻くん?

 土曜日の朝目覚めると、隣で夢月さんが眠っていた。


 一応別々のベッドで寝ることになっているんだけど、ほとんど毎日いつの間にか僕のベッドに潜りこんでいる。僕の手を逃がさないように両手でしっかりと握っているから、先に起きることもできない。


 自然と夢月さんの寝顔を見ながら起きるのを待つことになる。


 以前の僕なら手を振り払ってでも起きて貴重な時間を勉強にあてていただろう。今はそんな気にすらなれない。これが夢月さんの言っていた脱落するってことなのかもしれない。


「んん?」


「おはようございます。夢月さん」


「なんで晶くんが私のベッドにいるの? 寝起きのご奉仕?」


 寝ぼけたまま目を擦っている。僕のベッドに潜りこんだ自覚はないみたいだ。


「こっちは僕のベッドですよ」


「そっか。じゃあ私がご奉仕する側ね」


 まだちょっと寝ぼけている夢月さんを抱き起こす。このままだとデートのはずが気付いたら夜になっていそうだ。


 朝食を済ませて着替えを、と思ったところで手が止まった。


「そういえば僕、外行きの服持ってない」


 どうせ学校から出ないだろうと思って寮に入るときに私服はほとんど持ってこなかった。あるのはパジャマと部屋着用のへろへろのスウェットだけ。とてもデートに着ていく服じゃない。制服で行くわけにもいかないし、今から買いにもいけない。


「晶くん、こっちに来て。服着替えなくちゃいけないでしょ」


 連れていかれたのは寝室脇のクローゼット。あの中には夢月さんの私服や謎のコスプレ衣装が入っている。


「スカートは嫌ですよ?」


「じゃあやっぱりメイド服?」


「今日のデートやめにしますか?」


「冗談。私だって晶くんのことちゃんとわかってるから」


 手渡されたのはシンプルなワイシャツと黒のベスト。それから細めのデニム。さっぱりしていて着やすそうだ。足元はヒールのついたショートブーツで少しだけ夢月さんと顔の距離が近くなる。それでも僕の方が頭半分は小さいのがちょっと悲しい。


 会長は立川で初めて会ったときと同じ紺色のワンピース。やっぱり何を着ても服は添えるだけだから似合っているという言葉はむしろ失礼だ。服が夢月さんに着てもらえて喜んでいるというのが正しい。


「夢月さんはワンピース好きですよね」


「どうせ私は胸が小さいもの」


「そういう意味で言ったわけじゃ。僕は夢月さんの胸、好きですよ」


 とっさに口走ってマズいと思う。ほら、なんだか目がとろんとして妖しく輝き始めている。今日はデートなんだから、せめて最後までは高校生らしいデートをするのだ。


「晶くんが好きって言ってくれるなら、気にしないことにする」


 そう言いながらも夢月さんは体を寄せてくる。ほら、こういう展開になる。今日は僕の自制心が試される一日になりそうだ。


 電車に揺られ、初めて降りた新宿を歩いていると通りからひときわ目立つ場所にある映画館。TOHOシネマズ新宿は僕みたいに初めて新宿に行く人でも見つけやすいのでデートでも安心。というのが中山さんのアイデアだった。確かにデートで迷子は恥ずかしい。


 夢月さんも新宿に行くのは初めてだ、と言っていた。確かにあの高校で過ごすなら外には出ないし欲しくなるものは駅前で十分揃う。通学組が予備校に通っているなら別として、遊びに出てくる人は少ないだろう。


 そのおかげで周りを気にせずにこうして二人でいられるんだけど。


 隣同士で席に座ると夢月さんの手が僕に重ねられる。体温が伝わってきて、映画に集中できなくなる。薄暗い館内は流行りの恋愛映画ということもあって、僕たち以外にもカップルらしい姿がいくらかある。僕たちも周囲からそういう風に見られているんだろうか。


 そんな感覚も映画が始まってしまえばきれいさっぱり消えてしまった。とてもおもしろかった。今まで娯楽作品と言えるものは国語の教科書に載っている作品しか触れてこなかった僕にとって、映画というものは革新的だった。


 世の中にはこんなにすごいものがあるのか。まるでタイムスリップでもしてきた気分だ。


「おもしろかったですね」


「えぇ。あれが正しい恋愛というものなのね」


「あれも物語ですから正しいかどうかは」


 正誤は別として、ストーリーとして人を惹きつける演出がされているから普通の恋愛とはきっと少し違うと思う。夢月さんが参考にしたものよりは一般よりだろうけど。


「えっと、この後は」


 映画館を出るとふと大きな看板に目が留まった。昼間でもネオンライトが周囲をチカチカと照らしている。


「ゲームセンター」


 これが中学のときに何度か噂話を耳に挟んだ場所。なんでも一度入ったら最後、財布の中の百円玉がすべてなくなってしまう恐ろしい場所なんだとか。興味はあるけど、今はデート中だし、お昼の時間は混雑するから早めにお昼を食べるお店を探したいんだけど。


「入ってみる?」


「いいんですか? 僕も行ったことないので楽しいかはわかりませんよ」


「だったらなおさら入ってみましょう。晶くんとなら初めてでも怖くないから」


 言われるままに手を引かれて中に入る。同時に様々に入り混じった大音量の音楽が耳に詰め込まれた。それにビビり倒した僕たちは店内を一周見回しただけでそろそろとコインを入れずに外へ逃げ出した。


「なんか、別世界でしたね」


「ちょっと私たちには縁が遠そうだった」


 二人して大きく息をはく。どちらともなく笑っていた。


「また晶くんの初めてをもらっちゃった」


「そういうこと、いきなり言わないでください」


 また、という言葉に含まれた意味に恥ずかしくなる。周りで聞いているだけなら何のことかはわからないだろうけど、万が一気付かれたらと思うと怖くなる。


「そろそろご飯にしましょうか。ここって決めてるところはないんですけど」


「だったら私、ラーメン屋さんか牛丼屋さんに行ってみたい!」


「え!?」


 予想外の意見だった。動揺を隠して相槌を打つ。だって中山さんから気楽に入れそうだからってラーメンと牛丼はダメ、って名指しされた二つなんだけど。匂いが強いし、男性の一人客が多くて、おしゃべりする雰囲気でもない。とてもデートには向かないって。


「珍しい感じですね」


「だって今まで食べたことないから。一人で、って考えるとちょっと怖いし」


「そういえば僕も行ったことないですね」


 外でご飯を食べるような機会なんてまったくなかった。出前で何度か食べた記憶はあるけど、どこのラーメンだとか牛丼だとかはよく覚えていない。


 中山さんはオススメしないって言っていたけど、このキラキラと興味深々な夢月さんの顔を見ていると断る気にもなれなかった。


「じゃあ、探してみましょうか」


 よくよく考えれば、出会いも付き合い方も過ごしてきた環境も特殊な僕たちが普通のデートになるはずもない。だったら普通のデートなら絶対に行かないところに行ってもいいじゃないか。


 先に歩き出した夢月さんの後を追って振り返る瞬間、視界の端に見覚えのあるふわふわに巻いた髪が揺れるのが見えた。


 慌てて二度見する。看板の陰に隠れたつもりで体が半分見えている。ついでに言えば他の二人は視線を逸らしているけど隠れていないから横顔で判断できる。


「まさかけてくるなんて」


 とりあえず見なかったことにして、僕は先を行く夢月さんの背中を追いかけた。

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