第28話 すべて伝えるよ、新妻くん
天稜高校に行こうと思った理由さえも忘れていたのに、あんなに嫌いだった勉強を必死に続けることができたのはきっと深層心理の中で会長との約束を覚えていたんだと信じたい。
「あの日のお詫びをするんでしたよね」
「お詫びをされる前にもう一回触られちゃったからなぁ」
「それは、会長が寝ている間にベッドに入ってきたからで」
会長は笑いながらも抱きしめる腕は少しも緩まない。僕の言い訳を許さないとでも言いたげだった。
「それで、僕は何をすれば」
「それは自分で考えて」
いたずらっぽく会長は笑う。自分で考えるって言われても僕ができるお詫びなんて土下座か指でも詰めるくらいしか思いつかないんだけど。
とりあえずお詫びにはならないけど、いつものようにコーヒー入れて落ち着こう。もぞもぞと体をくねらせる。全然会長の腕の中から抜けられない。
「あの、一度離れませんか?」
「やだ」
「もう昼休み終わっちゃいますよ。授業に行かないと」
「出ない。新妻くんと一緒がいい」
会長は僕を抱きしめたまま、ソファに向かって歩き出す。僕を座らせてその隣に身体を預けるように僕にもたれかかった。
「本当はお詫びなんてどうでもいいの。新妻くんが天稜に来てくれて、そうしたら副会長になってもらって、二人で生徒会をやろうと思ってたの。それで、あの本みたいに新妻くんに迫ったらきっとすぐに反応してくれると思ってたのに」
「なんでそんなことを」
「だって見ず知らずの私の胸をいきなり触ってきたから。それで既成事実を作ってから告白すれば絶対に成功するでしょう?」
会長はミステリーの犯人が自白するように、微笑みながら自分の計画を語り始めた。
メイド服を着せたのは、読んでいた官能小説がメイドモノだから。
官能小説から卑猥な言葉を選んで使ったのは僕がそういうのが好きだと誤解したから。
体の関係を迫ったのは、確信が持てないまま、告白してフラれたくなかったから。
会長はそんなことを憑き物が落ちたみたいに話し続けていた。失敗した自分のことを話しているはずなのに、すごく楽しそうだった。
それを聞いた僕の感想は、一つしかない。
「……順番が、おかしい!」
普通の恋愛って、もっとこうちょっとずつ仲良くなって、告白して恋人同士になってから、そういうことをするものなんじゃないの?
「だって、私も初めてだったから。よくわからなくて。でもこういう本だとだいたい最初にエッチなことをして、だんだん好きになってきて最後に恋人になるみたいだったから」
「それはそういう本だからですよ! っていうか他にも持ってるんですか?」
「新妻くんには内緒にしたかったけど、もういいかな」
会長は立ち上がって僕の手を引くと、腕に絡みつくように体を寄せて生徒会室から連れ出した。一階に降りて寝室の前に向かう。会長はその間もぴったりと僕の腕に絡みついて離れなかった。
「ここって掃除してないから使えないって言っていたはずじゃ」
二つ並んだ寝室。片方は入ったことがある。一度生徒会館に泊まったときに入った。そのときは部屋を分けようと提案したけど、掃除していないからと断られたのだった。
鍵がかかっていたはずの部屋の扉は何の抵抗もなく開く。同じ広さの部屋の中で違いはベッドが一つになっていること。その代わり片方にテーブルと椅子。その上には少し古めのパソコンが置かれていた。
「実はここにね、隠してあったの。だから新妻くんはこの部屋には入れたくなくて」
会長はベッドの下から小さめの段ボールを二つ引っ張り出してくる。
「これがね、生徒会長に代々受け継がれている伝説の参考書、たぶん」
会長に目で許可をもらって箱を開ける。中から出てきたのは、表紙に裸の女性が描かれたマンガ、淫靡なタイトルの官能小説、ヌードグラビア写真集。決して他人には見つかってはいけない男の子だけの宝箱。
「最初は処分してしまおうかと思ったんだけど、新妻くんのために勉強するのに使ってたの」
「それであんなことに」
どうして生徒会の人たちはまともな恋愛作品を引き継いでくれなかったんだ。そうしてくれれば、僕だって気付けたかもしれないのに。
一冊を手に取ってパラパラと中身をめくる。小説と違ってマンガは視覚情報として直接目に入ってくるから恥ずかしい。家ではもちろん、高校に入ってからもこういうものに触れることはなかった。
僕はきっとそういうものに興味がないんだ、と自分に言い聞かせて、勉強に集中できるように自分に嘘をつき続けていただけだった。今目の前にあるこの中身をすべて読み
これはきっと僕にはどうすることもできない。人間として、いや有性生殖をする生物として生まれてしまった以上、抗うことのできない欲望。
「新妻くんもやっぱりそういうことに興味があるのね」
無心でページをめくっていた背中に会長の体がぴたりとくっついた。
背中の全神経が集中する。背中に会長の柔らかい胸の感触。肩に置かれた手の指先が首筋に触れる温かさ。吐息が起こすわずかな空気の動きにさえ、僕の体が反応する。
このくらい近くまで会長と触れ合うことなんて今まで何度もあったじゃないか。そのときは何とも思っていなかったのに。今は鼓動が早くなって、振り返ることすらできない。
「興味があるなら読んでおくといいわ。私がいたら読めないだろうし、次の授業に行くから」
「いや、それなら僕も授業に」
「いいえ、これは命令。放課後に私が戻ってくるまでしっかり勉強しておいて。新妻くんがどんなお詫びをしてくれるのか、楽しみにしてるから」
僕を一人寝室に残して、会長はにっこりと笑って出ていった。勉強しなきゃ、なんて口ではずっと言っていたのに、今は目の前に積まれた宝の山にしか意識が向かなかった。
「これは、会長の命令だから」
言い訳を口に出す。言ったところで誰も聞いていないのに。そんなことよりも僕の意識は最初に手にとったマンガに奪われていった。
普段の勉強と同じか、それ以上のペースで宝の山を崩していく。会長も同じようにこうやって恋の、いやそれ以上の関係の勉強をしたんだろうか。血液が脳ではなく下半身に溜まっていく。何度か自分の息子に触れようとして、ここが学校だということに気付いて思いとどまった。
だんだん座っていられなくて、ベッドに横になった。ときどき会長が言っていた誘い文句がマンガにも出てくる。あのとき僕が気付いていたら、このマンガみたいな展開になっていたんだろうか。
この後、会長にお詫びをする。そう約束をした。
会長が何を求めているか。それはもう聞いている。
「本当に、こんなことするの?」
ちょっぴり怖い。
でもそれ以上に、僕は期待している。今までの人生は勉強ばかりで楽しくなかった。それが世界がひっくり返るほどに変わろうとしている。やるしかない。僕は会長へのお詫びの内容を考えつつ、次々にページをめくっていった。
放課後、会長が僕のいる寝室に入ってくる。
「新妻くん、どうだった? ってその格好は」
僕は生徒会の制服として何度も袖を通したメイド服を着て待っていた。最近は勉強のために着るのは免除され、その後副会長でなくなってしまったから着たのは本当に久しぶりだ。
「会長に、ご奉仕させていただきます」
いつも手元に置いていたあの一冊。それはたぶん一番のお気に入りだったからなんだろう。
だとすれば、僕が選ぶべきはきっとこれだ。
会長は少し驚いていたけど、すぐにとろりとした艶やかな目を僕に向けると、僕の頬に細く白い指を伸ばす。合図を感じて目を閉じる。柔らかな唇と唇が重なる。その勢いのまま僕は会長をベッドに押し倒した。
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