第25話 一緒にお昼を食べようよ、新妻くん

 生徒会役員から外されたことは、あっという間に学校中に広まった。翌日、教室で僕の首にチョーカーがないことに気付いた中山さんたちが噂話をはじめ、昼休みには新聞部の号外として学校中にバラまかれた。


 新聞部始まって以来の重版だと千波先輩は喜んでいたけど、昨日何があったのか、どうして解任されたのかについては決して聞いてこなかった。


 普段は他人のことなど興味がないかのようにふるまう生徒たちさえ、生徒会役員の失脚となれば口々に噂を立てた。結局僕が会長に告白して玉砕したことから関係が悪くなり、解任されたという俗っぽい話が生き残ったようだった。


 僕は生徒会の仕事から解放され、昼休みも放課後もすべて勉強に使うことができるようになったというのに、少しも身が入らないままだった。


 すべて失ってからようやく気がついた。

 僕はあの生徒会の時間が、会長と過ごす時間が大好きだったんだと。


 もっと早く気付いていれば、あの日の会長はもっと違うことをしてくれたのかもしれない。


 数日経った昼休み、今日もまた生徒会館に向かおうと昇降口まで向かう。そこでようやくそれが不要だということに気がつく。昨日も同じことをしたっていうのに、僕は学習しないな、と嘲りたくなる。学生食堂と購買部はどこにあったか、昨日の記憶も曖昧ではっきりとしない。


 ぼんやりとした頭で不確かなまま廊下を歩いていると、後ろから強く背中を叩かれた。つんのめった体をなんとか堪えて振り返る。そこには少し寂しげな顔をした中山さんが立っていた。


「ごめん、勢いよすぎた。あの、よかったらさ、今日はアタシとお昼食べようよ。いいとこ知ってるからさ」


「あんまり食欲ないんだけど」


「でもさ、なんか食べないと体壊すって。朝から声かけても全然反応なかったしさ」


 中山さんが僕の手をとる。それを反射的に大きく振り払った。


「あ、ごめん。別に嫌とかじゃなくて」


「アタシも急に触って悪かったよ。ほら、パン買ってきたから一緒に行こ」


 乱暴に手を振り払った罪悪感もあって、僕は黙ったままいつもよりゆっくりと歩く中山さんの後ろをうつむいたままついていった。


 どこに連れていくのかと思いながら階段を上っていると、見慣れない扉が現れる。さっき新聞部の部室のある四階を通ったから、ここはその上。つまりこの扉の先は立入禁止の屋上に繋がっているはずだ。


「ちょーっと待ってね」


 中山さんはスカートのポケットから何かを取り出すと鍵穴に二本の針金のようなものを差し込み、小さく動かしていく。


「ここの鍵って古いままみたいでさ、ネットで調べたピッキングで簡単に開いちゃったんだよねぇ」


 一分も経たないうちに鍵が回り、扉が開かれる。真昼の青空の下に飛び出すと、陰鬱だった気持ちが少しだけ晴れるような気がした。


「アタシもヤなことがあったときはここに来るんだ。お日さま浴びて昼寝したら、ちょっとは気が晴れるからさ」


 今は使っていない給水塔の少し高くなっている足場に腰をかける。二人並んで座ると、僕の膝にカツサンドが投げ込まれた。


 誘ってくれた中山さんは反応の薄い僕なのに諦めずにいろいろと語ってくれた。


 楽しかったのは入学した最初だけで、勉強がまったくついていけなかったこと。五月さんと有馬さんには感謝しているけど、付き合わせて悪いと思っていること。本当は転校しようと思っていたこと。


「新妻には感謝してるよ。学校サボって脱獄した日、アタシ本気で学校辞めてもいいって思ってたんだ。それで五月と有馬が助かるならそれでいいかな、って。でも新妻が守ってくれたから、アタシはまだここにいるんだ」


「そっか。じゃあ僕が生徒会にいたことは中山さんが覚えていてくれるね」


「当たり前じゃん! 新妻はあのときも、その前もアタシを守ってくれたじゃん」


 ひょいと体を浮かせて、中山さんとの距離が詰まる。驚いた僕の体に中山さんが肩を預けるようにもたれかかってくる。


「会長にフラれた、って話。ホントなの?」


「当たってるような、ちょっと違うような」


「はっきりしないね。ま、アタシは嘘だと思ってるけど。会長、絶対新妻のこと好きだし」


 自信ありげに中山さんははっきりと言った。それも前に言っていた女の勘、っていうやつなんだろうか。実際、セックスしてと言ったんだから、嫌われるってことはないと思う。でもだからこそどうしてあんなことを言ったのか理解できなかった。


「どうしてそう思うの?」


「それ聞いちゃう?」


 中山さんはおどけるように笑って、僕の肩を抱くようにさらに体を寄せる。会長と違って大きくて柔らかい感触が腕を包むように押し付けられる。


 静寂が僕たちを包む。中山さんが何かを言おうとして口を開いては何も言えないまま閉じる。繰り返した回数はよくわからないけど、結局何も答えてくれなかった。


「あー、やめやめ。なんか辛気臭いし」


 僕の体を突き飛ばすように離れる。女の子は不思議だ。言いたいことがあるならまっすぐ言ってくれればいいのに。僕はこういう経験がないから察してあげることも欲しい言葉も返してあげられない。勉強だけじゃ彼女たちの心の奥を見ることはできない。


「アタシ、こういう感じだけど雰囲気は大事にしたいんだよね。だから今日はダメ。明日もお昼休み付き合ってくれるなら、明日は言うから」


 それだけ言うと、中山さんは足場から飛び降りて僕を置いて逃げるように校舎の中に戻っていってしまった。


 残されたカツサンドを口に入れる。そういえばここ数日ろくに食べていない。かじりつくと全身が栄養素を奪い合うように脈動する。


「明日も一緒に食べようかな」


 いつまでも悔やんでいられない。この気持ちを消化するには時間がかかるかもしれないけど、今は前に進むしかないのだ。


 翌日、約束通りに僕は中山さんと二人で教室を出た。


 会長にフラれたから早くも次に狙いを変えていった、と後ろ指をさされる。でもいちいちそんなことを気にしていられない。どうせ彼らも数日すればそんなことを忘れて勉強に追われることになる。


 もう中間考査までは一週間を切っていた。僕は役員じゃなくなったからきっと十位以内に入るという約束も対象外になってしまったんだろう。会長一人ならあんな条件なんでもない。校長は僕が副会長を解任されたことを苦々しく思っているだろう。


 屋上への扉は鍵がかけなおされていた。見回りのときに鍵を閉めているのかと思ってバレているんじゃないかと心配になったけど、中山さんが放課後に戻ってきたらしい。いつもは戻るときに閉めているけど、昨日は僕が残ってしまったから。


 今日は購買でメロンパンを買ってきた。家にいた頃はお菓子はもちろん、菓子パンも禁止だった。


 頭が疲れたときは甘いモノというけれど、実際は一時的に糖が脳に回って気分がよくなるだけでむしろ長時間で見ると効率は悪くなるのだ。こんな抜け道があったなんて、早く知っておけばよかった。


「そっか。ずっと生徒会館で食べていたから」


 そんなことを思い出してしまう。たった二ヶ月だけど、僕にとってはそれが高校生活のすべてを占めていた。簡単には上書きできない。


 給水塔の足場に昨日のように二人並んで座る。中山さんはコロッケパンとピザパンというガッツリ系総菜パンを二つも買ってきていた。見た目の通り豪快だ。


「え、新妻ってお昼いつもどっかに消えると思ったら生徒会館で食べてたの?」


「そうだよ。あそこに食堂があったでしょ。毎日手作りして」


「一人で便所飯してんのかと思ってたよ。さすが、新妻ムーブ。裸エプロンとかした?」


 するわけないでしょ。時間がないから却下されただけで未遂ではあったんだけどさ。


「そっかー、どうせなら新妻と一緒に学食とかも行きたかったなぁ」


「まだ高校生は始まったばかりだよ。今度行けばいいよ」


「ううん。たぶん無理だと思う」


 中山さんは見たことのない考え込む表情で、頭の中で何かを整理している。


「アタシが今から言うことを聞いたら、新妻はきっとアタシとお昼を食べてくれなくなると思うから」


 至近距離で見つめられて、体が止まった。こんな真剣な表情の中山さんは初めて見た。彼女がこれから紡ぐ一言一句をすべて聞き逃してはならない。そんな気分だった。

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