第32話 逆さま猫と嘘つきの鳥

 神社のお参りにはいくつかのマナーがある。かや道眞どうまと祖母から教えられた通り、参道では頭を下げてうつむいて歩いた。

 そう広くもない境内は電灯の一つもなく、暗い。入ってすぐ左の手水舎ちょうずやで手と口を清め、小さな神楽殿を横切ると、もう拝殿だ。

 懐中電灯に照らし出されたものに、茅は小さく息を飲んだ。


「わー……いかにもって感じい」


 光の輪の中に、所狭しと並べられた少女人形たちが浮かび上がる。

 地面や拝殿に直接、あるいは椅子やクッションに座らされたもの。腰のあたりにリボンを結びつけて吊されたもの。古い物から新しい物まで、様々だ。

 しかし、どれもこれも金髪と赤いリボン、水色のジャンパースカート、エプロンドレスと似たような格好をしている。


 これがすべて、アリスと名付けられた捧げ物だ。屋外なのに、お化け屋敷みたいな景色だなと思いながら、茅はふんすと気合いを入れて前へ出た。

 片手でがらんがらんと鈴を鳴らし、ポケットから出した五円玉を賽銭箱へ投げ入れる。神社参拝の基本は、「二礼二拍手一礼」。


 茅は賽銭箱の向こうに置かれた人形の間に隙間をつくり、ここまで抱えてきたアリス人形を座らせた。深々とお辞儀を二度くり返し、柏手かしわでを二回打つ。

 最後にもう一度お辞儀しながら唱える。


「知恵者猫さま、知恵者猫さま、どうぞお知恵をお貸し下さい」


 顔を上げた茅は、背負っていたナップザックから下敷きを挟んだノートとボールペンを取り出した。ペンは「左手」に握って、立ったままいつでも書けるようにする。

 セルロイドから編みぐるみまで、多種多様な人形に囲まれて、夜の神社で書き物の用意。なんだか変なことになったが、それを笑う気にはなれなかった。


「知恵者猫さま、知恵者猫さま、お答え下さい。……あたし、追切茅の母親は、どこにいますか?」


 一つ目の質問を口に出したら、あとは待つだけ。知恵者猫さまが霊餌たまえとして実在するなら、ペンを握った左手がひとりでに答えを書いてくれる。

 はたして、すぐ茅の手は動き始めた。本来は右利きなので、左で字を書けばめちゃくちゃになってしまうはずだが、それはきっちりと綺麗な文字になる。


『どこにでもいる。』

「え、ええ……?」


〝知恵者猫さま〟は質問に必ずあべこべの答えを返のだが……これの逆ということは、茅の母は「どこにもいない」ことになる。


(それって、もう、死んでるってこと?)


 ずぐん、と頭のてっぺんから喉の奥まで、太く長い針金が刺しこまれた気がした。それは茅が、これまで考えないようにしてきた可能性だ。

 決して茅自身が書いた文章ではありえない。実感としてそれが分かるから、確かに〝知恵者猫さま〟はここにいるのだ。


 祖母の別天が見つけてきたのだから、その占う力は確かなものだろう。けれど、でも、ああ、茅は必死で否定する材料を探してしまう。

 どくどくと、頭の中いっぱいに心臓がふくらんだみたいに、自分の鼓動がうるさい。涼しい神社の空気に反して、妙にねばついた汗が噴き出し、世界から自分をくり抜こうとするように思える。信じたくない、信じられない。


「ち、知恵者猫さま! 知恵者猫さま! おかあちゃんは生きていますか?」


 ペンを持った左手が走る。


『生きていないし、生きている。』


 それでは、あべこべにしても答えは同じだ。


「なにこれ!」


 拳を握って声を荒げると、足元のリリンコがびくっと尻尾を膨らませた。

 しまったと思いながら、「ごめんね、おっきな声出して」と謝ると、少し気持ちが落ち着く。黒猫がいっしょで良かった。


(おかあちゃんは『どこにもいなく』て、『生きているし、生きていない』ってことは……てっことは……って……こと、は。…………)


 茅は、その言葉が当てはまる実例を一つだけ知っている。生きていないのに死んでいない、死んでいるのに生きている、動く屍・神餌かみえとなった羽咋はくい道眞だ。

 そして娑輪しゃりん馗廻きえが本拠にしている実顕じっけんは、この世とは隔絶された他界たかいだと言う。

 知恵者猫さまもまた、娑輪馗廻に生み出された霊餌ならば、茅の母・泉も神餌や霊餌のような、よみがえった死者になっている可能性が高いのではないか?


「やだ。……やだよう」


 バキバキと、自分の肺が硝子になって、それが骨ごと握りつぶされるような心地がした。今日まで耐えてきた恐怖と不安が、いや、無視してきたものが、どっと実体を得て少女に襲いかかり、呑みこもうとしてくる。茅は足から力が抜けてふらついた。


 父が無惨に殺され、次は母まで。どうして自分が、自分の家族ばかりがこんな目にあわなくてはならないのだろう?

 茅の姉が死んだ六歳の時は、幼いなりに悲しかったが、それでも両親が大事にしてくれたから、耐えられた。

 でも、神さま。一度に二人を持っていくなんてあんまりだ。しかもそれは、コロシヲカンゾンという邪悪な神さまなのだ。


「シャリン、キエ。シャリンキエ!」


 娑輪馗廻。あいつら、絶対に許さない――胸をえぐる冷たい感情を怒りで押し返した時、茅ははっと思い出した。


「ああ――ッ!? 知恵者猫さまへの質問、三つまでだった!」


 リリンコがうるさいと抗議するように「んなん」とひと鳴きする。

 今ので二回使ってしまったから、残りは一回。訊く予定だったのは、キヨイの正体と、娑輪馗廻を探し出す方法。


(どうしよう? どっちを訊こう? 三つ以上訊いても、答えてくれないんだよね)


 キヨイは何者なのか? 娑輪馗廻を探すには、どうすればいか?

 何を、どのように訊くべきか。


「知恵者猫さま、知恵者猫さま、お答えください」


 茅は迷ったあげく、当初の予定通り質問することにした。


「百舌鳥ヤマトさんにとり憑いている、キヨイは何者ですか?」

『キヨイは百舌鳥繝溘リ繝�』


 それまで綺麗にしたためられていた文字は、急に判読不能の悪筆になる。茅が自分の左手で書いたって、日本語の面影もない謎の線にはならない。

 答えにはもう少し続きがあった。


『キヨイは嘘をついている。嘘しかつけない。』

「じゃあ、もずもずの兄弟なのは本当ってこと? あ、これ質問じゃないです!」


 結局のところ、キヨイ自身に聞いてみるしかないのだろう。知恵者猫さまが反対のことを答えるように、キヨイは「嘘をつけない」のなら朗報だ。

 収穫はあった。けれど、茅はどうしても満足がいかない。だって、事前にまとめた知恵者猫さまの情報に「三回以上質問してはならない」というルールはなかった。


「知恵者猫さま、知恵者猫さま、お答え下さい」


 だったら、四つ目の質問を試してみたい。


娑馗しゃき聖者しょうじゃには、どうすれば会えますか?」


 ぐいっと左腕が引っぱられた……だが違和感のある動き。説明しづらいが、これは腕「が」引っぱられているのではなく、腕「に」引っぱられている。

 その力は茅の体を軽々と持ち上げて、拝殿の奥へと連れて行こうとした。とっさに賽銭箱をつかもうとしたが、指がかからず、失敗する。


――『〝「三つ答えた。もうこりごりだ」父は息子を叱り飛ばす。〟』


(何の声?)


 茅の耳に、それは少女の声のように聞こえた。


――『〝「偉そうにするな! 何様のつもりだ? でてけ! さもなきゃ、ぶっ飛ばす!」〟』


 綺麗に手入れされた木の扉が迫ったかと思えば、何かにぶつかった衝撃と共に視界が暗転する。それは一瞬のことで、茅は明かりのついた廊下にいるのを発見した。


「……誰の家?」


 どう見ても神社の拝殿や本殿ではありえない。白い壁とフローリングの、見知らぬ住宅にぽつんと座りこんでいた。近くにリリンコの気配はない。

 手に持っていたノートとペンは、腕を引っぱられた拍子に落としたらしい。


(どうして、あたしはこんな所に連れてこられたんだろう?)


 少し力が入らない足腰を奮い立たせて、茅は辺りの様子を探った。

 どこからどう見ても普通の民家だ。まずは玄関を目指すか? ここから出られるのかはともかく、出た先はあの神社からどれぐらい離れているのだろう?

 とにかく行動あるのみ。茅は靴を脱いでナップザックに放りこむと、自分が向いていた方向へとりあえず、一歩踏み出した。


『……〝やつにぼくのことを言ったとか。彼女は、ぼくをほめたって、でも泳ぎはだめねと言ったとか。ぼくは行かぬとやつは言う。そうさ、ぼくらは知ってるの。〟』


 茅より少し歳上であろう少女の声が、足を向けた方からする。


『〝彼女が事を進めたら、君はどうなるの?〟』

『またそんなことをしているのかっ!!』


 唐突に怒鳴り声が響き、茅はぴっとすくみ上がる。見知らぬ成人男性の声だ。


『何度やめろと言ったら分かるんだ? 腕が勝手に、じゃない。私の言うとおり薬を飲んで、左手を縛っておけと言っているのに、それを守らないのは誰だ?』


(左手?)


 男が怒鳴りつけている誰かは、知恵者猫さまと関係があるのだろうか。この超常現象は、どう考えても霊餌の仕業だ。

 娑輪馗廻のことを訊いたからか、四回質問したからなのかは分からない。だが、ここに連れてこられたことには何か意味があるのだろう。


(知恵者猫さまは、あたしに何か見せたいの?)


 茅は怒鳴り声がする方に向かった。他人の家でこそこそと動き回るのはやましさがあるが、今は仕方がないと自分を納得させながら。

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