告白未遂

「そ、そうよ……嫌。古川が合コンに行ったらヤだ」


 七条が、俺の胸に頭を預けてくる。

 シャンプーだけではない、鼻をつく甘い香り。


 瞬間、俺はドキリと心臓をすくませると、七条の肩に手を置いた。


「お、おい……誰かに見られたらどうすんだよ」

「ふんっ……今、あたし古川にメロメロだし。周囲の目とかどうだっていい」

「いや馬鹿やってる場合かよ。学校で噂立つのは面倒だって」

「古川はそんなに私と付き合ってるって噂されると迷惑なわけ?」


 目尻に涙を浮かばせつつ、恨めしそうに睨んでくる。


「いや、噂立つと七条に迷惑かかるだろ」

「あ、あたしは迷惑じゃない」

「……っ。あ、そ。じゃ、遠慮なく」

「ひぁ、な、なにすん──」

「他人の目、気にしてないんだろ」

「そ、そうだけど」


 背中に手を回してハグをする。

 七条は肩を上下させて狼狽えると、ぷしゅーと湯気が出そうなくらい顔を赤くした。


「古川、ホント訳わかんない……」

「俺に合コン行ってほしくないってことはさ」

「……な、なによ」

「その代わりを、七条が務めてくれるってことでいいの?」


 俺も俺で顔を赤くしながら、切り込んだ質問をしてみる。

 ハグって便利である。お互いの顔を見なくて済む。


「ちゃ、ちゃんと言ってくれないとわかんない」

「……っ。だ、だからさ……その」

「うん」

「お、俺の」


 そこまで言いかけて、俺は口を噤んだ。


「さ、最後まで言ってほしいんですけど」

「いや……今それは難しそう……」

「は? こんな時に、ヘタレないでよ」

「じゃなくて、その、なんつーか」


 さっきまで赤かった顔を、青く変色させていく。

 気がつけば、強い焦燥が全身を駆け巡っていた。



「もうHRが始まるってのに、良い度胸だな古川」



 冷たく低い女性の声。微笑こそ湛えているものの、そこに温もりは感じない。

 その声で気がついたのか、七条の身体にも緊張が走った。七条が俺から離れて、声の主の方へと向き直る。


「もう一人は七条か。朝っぱらから人目のないところで……貴様ら、なにか罰を与えた方がよさそうだな」


 白衣姿に、名簿表を右手に携えた女教師。四宮先生だ。俺たちの担任である。


「ち、ちが……これはその、なんといいますか」


 慌てて弁解を始めるも、上手い言い訳が思いつかない。

 七条も同様に、わなわな震えるだけで何も対抗できずにいた。


「喜べ。後でお前らだけに、宿題を用意しといてやる。……ちっ。朝っぱらからイチャつきやがって……これだから、教師業は嫌なんだ。研究だけしていたい」


 ぶつくさ文句を言いながら、教室へと進む四宮先生。

 俺たちもその後に続いた。肝心なときになると、間が悪く邪魔が入る。


 朝から怒られるし、もう散々だった。




 ★



「あ、おかえりお兄ちゃん」


 学校から帰宅して玄関扉を開ける。

 扉が閉まる音に気づいた妹の瑠璃るりが、ひょっこりと顔を覗かせてきた。

 洗面所から出てきたのを見るに、瑠璃もついさっき帰ったばかりらしい。


 とてとてと、アホ毛を揺らしながら駆け寄ってくる。


「な、なんだよ。別に土産はないぞ」

「違うよ。私が気になってるのは、結衣ちゃんとのこと。少しは進展があった? 付き合った? あ、それとももうご祝儀渡した方がいいかな」


 意気揚々と、勝手な想像を膨らませる瑠璃。

 俺は小さく嘆息すると、呆れ眼を向けた。


「付き合ってねぇよ。てかお前、七条に惚れ薬渡したろ。しかも俺にしか効かないとか言う馬鹿な設定の」

「渡したけど、それがどうかしたの?」

「どうかしたっていうか、変な事するなよ。おかげで朝から怒られたんだからな」

「そうなの? でもさ、お兄ちゃんだけ惚れ薬持ってるのズルくない? 結衣ちゃんされるがままじゃん」


 まともな事を言われる。

 確かに、俺だけ武器を持っているようなものだ。平等ではない。


「で、でも偽物だからな。本当に効果があるわけじゃ──」

「そこは関係ないでしょ。お兄ちゃん、鬱陶しいくらい捻くれてるんだから、惚れ薬でも食らって少しは素直になった方がいいよ」

「うっ……」

「結衣ちゃんに愛想尽かされたら、お兄ちゃん貰ってくれる人いないんだから。私、大人になってもお兄ちゃんと一緒に生活するとか絶対嫌だよ」


 ピシッと無遠慮に瑠璃が告げる。

 確かに、俺を好いてくれる人ってどのくらい居るのだろう。……妹にも、一緒に生活したくないとか言われているし。てか俺の妹ひどくない? 兄への愛がなくない?


「さっさと付き合えばいいのにな……。前から思ってたけど、お兄ちゃんと結衣ちゃんって普通にイチャイチャしすぎだからね。あれで恋人じゃないとか異常だよ」

「は?」

「普通に回し飲みとか、間接キスも全然してるしさ」

「いやそのくらいするだろ」

「普通しないから。そりゃ、陽のたみは別だよ? ただ、お兄ちゃんは陽キャとは程遠いし」


 ジト目で、瑠璃は右手を横に振る。

 改めて言われてみると、そうかもしれない。七条とは培ってきた関係があるから、間接キス程度気にしない。それこそ、昔に遡れば一緒にお風呂に入ったし、添い寝だってしたことがある。

 だから、間接キス程度、気にしたことがなかったが。──でも、よくよく考えると、付き合ってない男女にしては行き過ぎかもしれない。


「それに、夏祭りとか二人で行ったりするし。二人きりでよく出かけたりもするじゃん。あれとか普通にデートだし」

「ま、まじすか」

「そうだよ。そのくせ、誤解されると面倒とか言って登下校は別々にしてるし」

「うぐ」

「水面下で付き合ってるけど、周囲には公表してないカップルみたい。本人たちがバレてないつもりで周囲にはモロバレなやつ」

「……っ。で、でも俺と七条、ホントに付き合ってねぇし」


 今朝は、普通に告白しそうになったけども。

 結局、邪魔が入ってうやむやになった。


 瑠璃は心底面倒臭そうにため息を吐いた。


「はぁ……結衣ちゃん、肝心なところは自分から言えないだろうしなぁ……」


 やれやれと言わんばかりの表情で、踵を返していく妹だった。

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