幼馴染のお家で

 日付は変わらずゴールデンウィーク最終日。


 俺は、清水の舞台から飛び降りる思いで幼馴染の家を訪ねていた。一時間ほど思考を重ね、腹を決めてきたのだ。


 インターフォンを押してすぐ、玄関扉が開く。


 そこから出てきたのは、七条だった。


 高二男子の平均くらいある俺より頭一つ分小さな背丈。

 線が細く、すらりと肩の辺りまで伸びた亜麻色髪。目鼻立ちはすっきりしており、容姿端麗と言って差し支えがない。


 そんな美少女たる七条が、俺に対して恋愛感情を持っているなんて仮定。自意識過剰も甚だしいのはわかっている。……が、それを理由に逃げ腰になるのは男が廃る。


 それに、ただの勘違いなら俺の黒歴史が一つ増えるだけのこと。さしたる問題はない。

 シャワー浴びてるときとかに、たまに思い出して死にたくなるだけ。いや、十分支障あるな。やっぱ辞め……くっ、なに弱気になってんだ。覚悟を決めたはずだろ。

 俺は心内で、自分自身を鼓舞する。


「……な、なんか用?」


 不思議そうに俺を見つめる七条。

 俺は、ポケットに隠し持った惚れ薬をギュッと握りしめながら、



「七条の部屋に行ってもいいかな?」




 ▼




「七条の部屋に行ってもいいかな?」



 久しぶりにウチを訪ねてきた幼馴染は、突然そんなことを言い出した。

 テンションがひたすら右肩下がりしていたあたしにとって、古川のその一言はかなりの衝撃的だった。


 心臓がバクバクと早鐘を打っているのがわかる。全力疾走した後みたいだ。多分、頬も赤い。


「……ど、どうぞ」


 今ひとつ冷静に頭が回らない中、あたしはそう端的に返事をして、古川を家の中に招き入れる。

 階段を上がってすぐにある部屋に入ると、組み立て式のテーブルを挟んで、あたしと古川は座った。


 古川を部屋にいる。その状況に、冷静さが保てそうにない。あたしは、得意のポーカーフェイスで平静を装いながら、遠慮がちに切り出した。


「えっと、それで何の用? 突然、あたしの部屋に来るなんて、なんかロクでもないこと企んでるんじゃないでしょーね?」


 それにしても古川があたしの部屋に来るなんて、どういう風の吹き回しだろう。古川はあたしに興味がないのは、さっき惚れ薬を使ってこなかった時点で分かっている。


「うぐっ……か、考えてねえよ」

「な、なにその反応……怪しいんですけど」


 古川は、目をウロウロと泳がせつつ言う。

 あたしがジト目を向けると、彼はさっと目を逸らした。


 あれ? なにこの反応。ホントにどうしちゃったんだろ? 


「いや、悪ぃ。ホントはロクでもないことを考えてる」


 あたしが不信感を抱いていると、古川はこめかみを掻きながら自白した。


 ロクでもないこと、ロクでもないことって……え⁉︎ 子供には見せられないようなことかな⁉︎ ど、どうしよう! 今日の下着はそこそこ自信あるやつだけど、でも心の準備がまだというか……!! 


 ──なんて、一人勝手に騒いでいると、古川は不意にポケットから何かを取り出して見せてきた。


「……その、これなんだけどさ」

「これって……」


 それは、あたしがつい一時間前くらいに渡した惚れ薬だ。

 といっても、ホントはただの香水。千円ちょっとの安物だ。


 どうして、わざわざこれを? 


 古川の意図が掴めない。偽物だとか、不良品だとか言って突き返しに来たのだろうか? でも、古川が誰かに惚れ薬を使う様子はなかったし……。


 ちなみに、あたしが惚れ薬と称してこれを古川に渡したのには理由がある。

 彼に惚れ薬を使って欲しかったからだ。もちろん、あたし相手に。


 古川には、かれこれ十年近く片想いを続けているわけだし、そろそろ恋愛的に何かアクションが欲しかった。


 だけど、これまでの幼馴染としてやってきた蓄積がある分、そう簡単に告白はできない。やっぱりこれまでの関係が崩れてしまうのは怖い。


 ならば好意がある素振りをすればいいと、大半の人は思うだろう。


 けれど、彼は突き抜けて鈍感なのだ。鈍感スキルなんてのがあったら、間違いなくカンストしている。

 さりげなく胸を身体に当ててみたり、スカートの丈を短くしたり、スキンシップを図ってみたりしたけれど、効果はなかった……。


 それで、色々試行錯誤を繰り返した結果、惚れ薬に行き着いた次第だった。我ながら、おかしな思考回路をしていると思う。


 でも、古川があたしに惚れ薬を使ってくれれば、胸の内に秘めた想いを隠す必要がなくなる。今後は好き放題、積極的にアピールができる。それが狙いだった。


 けど、結局古川はあたしに惚れ薬を使ってくれなかった。

 だから、彼はあたしに一切興味がないのだと諦めて傷心モードに突入していたのだけど。



 ……どうして今、古川は惚れ薬の発射口をあたしに向けているのだろう? 



「これを──お前に使いたいんだ」



 あたしが疑問符を浮かべる中、古川はハッキリと断言する。

 その瞬間、時が止まったかのようにあたしはその場で硬直した。


 時計の秒針がカツカツと進む音だけが部屋の中を木霊する。三十回ほど、秒針が動いたあたりで、あたしは固まっていた身体を徐々に動かしていく。


 それに呼応するように、顔はみるみると朱色に染まっていき、気づけば耳や首まで真っ赤になっていた。


「な、ななな……なに言ってんの⁉︎ 急に、うわ、ビックリしたぁ。頭沸いてんの⁉︎ それどういう意味かわかってる⁉︎」

「せっかく貰ったんだし、試さないのもアレかなと思って」

「そ、そうだけど! そうだけども! でもでも!」


 ホントに意味をわかっているんだろうか? 


 もし、その香水を使われたら、あたしは古川に惚れた演技をすることになる。……いや演技ではないけど。

 とにかく、その香水はあたしに限り有効なのだ。


 てっきり、古川はあたしに興味がないと思っていた分、衝撃的な展開である。あたしの動揺が収まりそうにない。



「……悪い、ちょっと確かめさせてくれ」


 あたしがわなわなと慌てふためく中、古川はあたしの都合など気にする様子もなく、身体を近づけてくる。


 ──ぷしゅっ


 次の瞬間、まだ使っていいとも言っていないのに、

 古川はあたしに惚れ薬を浴びせたのだった。

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