幼馴染限定の惚れ薬

「誰か来てたの? お兄ちゃん」


 七条が帰った後、俺も自室に戻ろうと踵を返すと、目の前に妹の姿があった。


 今年で十五歳になる中学三年生の妹……瑠璃るりだ。


 やや明るい栗色の髪を右側頭部にまとめたサイドポニー。あどけない顔立ちだが、暴力的なまでに胸は膨らんでいる。


「ああ、七条が来てたよ」

「そうなんだ。ウチになんか用事?」

「これ渡された」

「これって……香水?」

「惚れ薬らしい」

「へえ、惚れ薬か。……は? 惚れ薬⁉︎」


 さすがは血の繋がった妹である。

 一言一句、俺と同じ反応をしている。


「声でか……。もうちょい静かにできないか?」

「いやだって、急にそんなこと言われたら驚くって。……で、それ本当に惚れ薬なの?」


 瑠璃は、俺の手元にある惚れ薬をじっと見つめる。

 俺は、ため息混じりに、


「そんなわけないだろ? 偽物だよ偽物」

「ま、そうだよね。実在したら大問題だもんね」

「……あ、そうだ。瑠璃これいるか?」


 そう言って俺が香水を差し出すと、瑠璃は「え」と頬を軽く引きつらせた。


「いや、お兄ちゃんが結衣ちゃんにもらったんでしょ。それを私にあげるのは常識なすぎ」

「でもこれ絶対ただの香水だぞ。俺、香水とか使わねぇし、瑠璃の方がまだ使い道があるだろ」

「あのねお兄ちゃん──」


 瑠璃は、いつになく真剣に俺を見つめてくる。

 そして、俺との距離を詰め、親が子供に言い聞かすように、


「──結衣ちゃんが、お兄ちゃんに、惚れ薬を渡したんだよ。その意味、よく考えた方がいいと思う」

「考えるって……」


 どうして、七条が俺に惚れ薬を渡したのか。


 正直、そこに深い意味はない気がする。

 ただ要らないものを俺にくれただけ。もしくは、


「……俺を揶揄からかうため、とか?」

「はあ……論外だよお兄ちゃん」

「いや、だってそうだろ? 例えば、俺が惚れ薬を本物だと勘違いして、なりふり構わず使いまくったとしたら、滑稽だし。見てる側はそこそこ面白いだろ?」

「確かに面白いけど、結衣ちゃんって、そんなくだらないことする人?」

「……それは、違うな」


 幼馴染として、七条の性格はある程度熟知している。彼女は、俺を揶揄って楽しむのような人間ではない。

 しかし、俺に惚れ薬を渡す理由なんて、他に思いつかないのも事実……。


「前途多難、だね」


 瑠璃は頭を悩ませる俺を見て、落胆気味に言うのだった。




 ◆




 自部屋に戻ってから、俺は香水(惚れ薬)を訝しむのように見つめていた。


 手の平に収まるサイズの入れ物に、薄紫色の液体が入っている。

 キャップの部分に凹みがあり、そこを指で押し込めばミスト状となって空気中に散る仕組みだ。


「あれ? なんだこれ……?」


 ふと、俺は裏側に注意事項的なものが書かれているのに気づいた。それを注視する。



 ①中の液体を吹き掛ければ、相手はあなたにメロメロになります。


 ②ただし、あなたに近しい人物でなくてはいけません。例えば、幼馴染とか幼馴染とか幼馴染とか! 


 ③れっつとらい! 勇気を出して使ってみよう! (幼馴染に) 



 惚れ薬といえば、どんな相手にも使えるイメージがあるが、これは自分と距離が近い人物でなくてはいけないらしい。随分と、限定的な惚れ薬である。幼馴染推しがすごいな。


 ……………………。


 ふと、瑠璃の言葉が脳裏をよぎる。

 コレを俺に渡してきたってことは、つまり七条は俺のことが──。


 いや、まさかな? 

 あり得ない。仲は悪くはないけれど、これまで恋愛沙汰に発展したことはないし……あくまで幼馴染の距離感だった、はず。でも、この惚れ薬を渡してきた理由を他にどう説明つけたらいい? 


 七条が俺のことを実は好いていて、でもそれを胸の内に隠していた。

 俺が惚れ薬を七条に使ったタイミングで、隠していた気持ちを打ち明けるつもりだったとしたら……この突飛な行動に整合性がとれてしまう。


 だが、それこそ現実味を帯びない話だった。

 七条は俺のことを、異性として見ていないと思っていたから。


 俺は勉強机の前で、深く頭を抱える。みるみると顔が赤くなっていくのを感じていた。


「ど、どうするよ……?」


 当然ながら、その質問に対する返答は返ってこなかった。

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