#3 路地裏の激闘

 あきらめると言いながらも心残りな様子でたたずむアイレン。一方的なお礼が逆に迷惑になると理解はしているが、すぐには割り切ることができずにいた。


 しかし、なぜ彼女はそこまでお礼にこだわるのだろうか。はなはだ疑問ではあるが、シュウトはそんなことには1ミリも興味を持っていないようだった。


「ゴミと間違えて拾われたとはいえ、助けてくれたのがあなたでよかったです」


 さびしげな笑みをうかべながら、アイレンは去りゆこうとするシュウトの背中にむけて声をかけた。


「拾われた、だと……」


 シュウトはこの場を去ろうと歩きだしていたが、その言葉を聞くと同時にピタリと足を止め、肩を震わせはじめた。


「どうかされましたか?」


 不思議そうに問いかけるアイレンをよそに、シュウトは自問していた。


「そうだ、おれは彼女を拾った。ほんの一瞬とはいえ、たしかに拾ったんだ。そしていま、おれは彼女を見捨てようとしているんじゃないのか? 助けておきながら、無責任にも見捨てようと。見、捨てる……ぐはぁ!」


 シュウトは口から勢いよく血を吐きだし、かたい石畳に顔面から倒れ込んだ。


「きゃあ!」


 アイレンが短い悲鳴をあげた。目のまえでいきなり人が吐血して倒れたのだ。驚くのも無理もない。


『捨てる』という絶対に許すことのできない行為を自分がしてしまったとき、シュウトは心身ともに大きなダメージを受け、血ヘドを吐いて倒れるのである。


「あ、あの……大丈夫、ですか?」


 アイレンはシュウトに駆け寄り、しゃがんで彼の肩をツンツンと指でつついてみるが、うつぶせに倒れたままピクリとも動かない。


 ひとけのない薄暗い路地裏。血だまりに倒れる動かない男。その様子はまさに、殺人事件現場そのものだった。


 シュウトはその姿勢のまま、ブツブツとつぶやいていた。


「捨てる……このおれが? 一度拾ったものを捨てるだと? ありえない……あってはならない! だとすれば、おれのやるべきことはひとつ!」


 シュウトは「うおおおおっ」とおたけびをあげながらガバッと立ち上がる。多大な精神的ダメージを受けた彼はぜえぜえと荒く呼吸している。


 息絶えたかに見えた人間が動きだす。その様子はまさに、ゾンビそのものだった。


 驚いたアイレンは尻もちをついた。


「あの、おケガは──」


 アイレンの心配する声をさえぎって、シュウトは決意に満ちた表情で彼女を見つめ、力強く宣言する。


「おれは決めた! おれはきみを見捨てない! 責任をとると約束しよう!」


「えっ……」


 アイレンはきょとんとした顔で見つめかえした。


 出会ったばかりの男による突然の告白。責任をとるとは、やはり男としての責任ということだろう。


「責任をとるだなんて……それではまるで……」


 赤く染まったほおに手をあてて言い淀むアイレン。


「そんな……わたしたち、まだ知り合ったばかりで、お互いのことをほとんど知らないのですよ。それに、こういうことには順序というものがあります。まずはお友達からはじめませんと──」


 照れながらあわてふためくアイレンは早口になって口走る。そんな彼女にかまわず、シュウトは言い切った。


「拾ったからには、責任をもってきみの面倒を見よう!」


「え?」アイレンは目を丸くした。「それではまるで……捨て猫みたい……」


 嬉しいような悲しいような、なんとも言えない気分で苦笑するアイレン。


 シュウトの言う責任とは、男としての責任ではなく、拾った犬や猫を責任を持って世話する、という意味だったのだ。


「おれは見捨てるという行為が大嫌いだ! 許せないんだ! だから決めた。きみのことはおれが面倒を見ると」


「──あれ? ちょっと待ってください」


 アイレンは首をひねった。


「なにか?」


「助けてもらったのはわたしですよね」


「うむ」


「そのうえ面倒を見てもらおうとしている」


「そうなるな」


「…………そんなのダメです! 恩を返すべきはわたしのほうなのに、それではあべこべではないですか!」


 シュウトの一方的な提案に対し、アイレンは声を大にして反発した。


「恩だとか礼だとか、そんなのは気にしなくていいとおれが言ってるんだ」


「いいえ、それではわたしの気が済みません! 助けてもらう、面倒を見てもらう。もらってばかりいては、ミグメイア一族の名折れです。『与える者になりなさい』というミグメイア家に伝わる家訓に反します。これは、わたしのご先祖さまであり、千年前に人々を救済された聖女アイリーアさまのありがたいお言葉なのです」


「それならおれにだってある。『絶対に見捨てない』というのが、おれの……あの、なんというのかな……そう、俺訓だ!」


「俺訓? そんなものはありません!」


「ある! ないけどある!」


「ないです! 百歩ゆずってあったとしても、わたしのとは歴史が違います。千年も昔から言い伝えられてきた重みがありますからね」


 ふふん、と誇らしげに胸を張るアイレン。


 ふんっ、と鼻を鳴らして負けじと言い返すシュウト。


「古ければいいわけじゃない。だいたい千年だなんてホントのことなのか? 信用できないね。聖女さまってのも、実在の人物かどうか怪しいもんだな」


「事実です! この布は聖女の衣といって、聖女アイリーアさまがお召しになったもので、千年ものあいだ、ミグメイア家に受け継がれてきた由緒正しいものなのです!」


 そう言って、アイレンは自分がマントのようにまとっている布を見せつける。薄汚れてボロボロの古くさい布。とても『聖女の衣』という風には見えないものだった。


「ふっ、語るに落ちたな」


 シュウトはニヤリと口をゆがませた。


「なにがですか?」


「たしかに古そうではある。でもな、大事に保管されていたわけでもない千年前の布が、そんなにはっきりと残ってるわけがない!」


 ビシっ! とシュウトは聖女の衣を指さして勝ち誇ったように言った。アイレンの主張には無理があると判断し、自分の勝利を確信して攻め立てる。


「おれはこれまでに同じようなボロ布を何度も拾ってきたが、せいぜい二、三十年がいいとこだろう。そんなボロ布は、古着屋だって買い取ってくれないだろうさ」


「あなたがどう思おうと、これは事実なのです!」


「ええい、ホントかどうかはこの際どうだっていい。とにかく、おれはきみの面倒を見ると決めたんだ!」


「それならわたしも決めました! わたしがあなたのお世話をして恩を返します。わたしには『受けた恩には恩で返す。受けた仇には恩で報いる』というモットーがあるのです。恩返しが終わるまで、あなたのおそばを離れませんから!」


 いいや、おれが。いいえ、わたしが。ふたりは顔を突き合わせ、お互いに一歩も退かない攻防戦を繰り広げる。相反する意見が衝突するとき、どちらかが譲歩するまで戦いは終わらない。このまま平行線の議論が延々と続くことになれば、ふたりは路地裏の藻屑となってしまうだろう。


 終わりの見えない戦いのさなか、不意にアイレンが顔をほころばせた。


「なんだか似ていますね、わたしたち」


「似てる……おれたちが?」


「はい。どちらも譲れない信念を持っていて、そのためにぶつかり合ってしまう。不器用で頑固な似たもの同士なのかもしれませんよ」


「──たしかに、そうかもな」


 シュウトもつられて笑みを浮かべる。


 先ほどまでの勢いはどこへやら。互いに自分の意見を押し通そうとする言い争いから一転、なごやかな空気が流れる。


「このまま言い争っていても仕方ないし、こうしよう。おれは勝手にきみの面倒を見るから、きみは勝手におれの世話をする。これでどうかな?」


「いいですね、それ。お互いの意思を尊重し合っていて。これでわたしも落ち着いて恩返しができます」


「よし、決まり。まずは──とりあえず路地裏から出るとするか」


「はい!」


 決して捨てない者、シュウト。与える者、アイレン。並々ならぬ価値観を持ったもの同士による、常人には理解しがたいバトルは終わった。よくわからないが、おそらく当人たちにとっては円満な解決となったのだろう。


 シュウトとアイレンのふたりは、表通りから射してくる光のなかへと進んでいく。かくして、住所不定無職で一文無しのふたり組みによる物語が、この路地裏からはじまったのである。

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