KAC2022

はいりょのない話*×××

 市場マーケットを歩いていたら、身に覚えのない言いがかりをつけられていた。


「お前。先ほど、ものを盗んだだろう」

「……盗んでいません」

「その間はなんだ、怪しい!」


 いきなりのことにただ驚いて、自分の行動を思い出していただけの間を怪しい呼ばわりされた。なるほど、こういうタイプは、すぐに答えても焦って答えるとは怪しいと言う人だ。自分の考えが思い込みだと思わないタイプ。これはかわすのに骨が折れそうだ。

 ドレスを着た貴婦人が日傘の影から面白そうに見てくるのも、彼は気にならないらしい。往来の端で声を張り上げる。


「さっき盗んだものを返せ!」

「ありませんよ、そんなもの」


 彼のサファイアのような冷えた瞳に両手を広げて示す。調べたければ調べろという風に。ジャケットやズボンのポケット、隠せそうなところを好きなだけ改めればいい。疑われるよりマシだ。

 ただ素直に従っただけなのに、眼光が強まりするどく睨まれた。

 鍛冶職人の親父達に比べたらへっちゃらだ。あの人達も頭が固いから説得するのに骨が折れたっけ。生まれたてのような子供みたいに馬鹿にされたが、成人はしていないがもう商売のいろはは骨の髄まで染まっている。根気よく通って、目と目を合わせて話せば最後はあっちが折れた。ほんのちょっと折れただけだけど。

 思い出にひたっていたので、彼が気後れしていることに気付くのが遅くなてしまった。拳と口をきつく結んで悩んでいる。噛みついてきたくせに取り調べをするのに悩んでいるみたいだ。

 真面目なのか、根性なしなのか。そんな風に突っ立っていたらスリの標的になるなんて考えないのだろうか。

 目深に帽子をかぶった男性が近付いてきたのを、彼の手を引いてやり過ごす。舌打ちが聞こえたが、当然、気にしない。


「どうぞ、気が済むまで調べたらいいでしょう。ってないって言葉、信じていないみたいですし」


 ほら、と手を導いて、ジャケットのポケットの上を叩かせる。

 おずおずと手を動かして、サイズの合っていないズボンのポケットも上から調べた彼はまだ難しい顔をしていた。

 ああ、面倒くさい。ジャケットの内側が気になるなら睨むんじゃなくて、ちゃんと言ってくれればいいのに。

 ジャケットを脱いで、内側を示す。最低限の金を入れた財布を入れているだけだ。振っても、はためく音がするだけでわずかな埃しか落ちてこない。

 どうだ、と彼を見返せば、目を真ん丸にする見本のような姿を見せていた。サファイアみたいだと思っていたけど、アクアマリンの方が近いなとどうでもいいことを考えていると、真ん丸の目の下の口がわななく。


「お前、いや、君、女なのか?」

「そうですね」


 ズボンをはいていても、カツラで髪の長さをごまかしていても、女は女だ。ジャケットでごまかしていた体の線がバレてしまったらしい。

 驚き顔はそのままに、また言葉が落ちる。


「どうして、男の格好を」

「長時間歩くときや、人の目が面倒なときはこちらの方が楽ですから」


 今度、女の姿で歩いたら苦労する意味がわかりますよ、とは言わないでおいた。口は災いの元だ。必要以上のことを答えてやる義理はない。

 淑女の体を、とか何とか言ってるが、そんな細かいことを気にするなら往来で声をひそめるぐらいの気遣いを持ってほしい。この辺りの店を回るのは今日はやめた方がいいだろう。ただ、市場調査したいのに変にからかわれたら面倒だ。

 ジャケットをはおり、面倒事の張本人を見上げる。無駄に背が高いのだ。


「もういいでしょう、わたし・・・は何も盗っていません」

「あ……ああ、そうだな」


 これで、一生出会うこともないだろうと別れた。

 学び舎で再会するのは、また別の話。



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