異端審問特級神官グレーテルによる異端審問会記録 一


 神の門はすべてのものに開かれている。



 聖経典タンニの典30の1の教句。

 聖典の言葉はすべて美しく、光であり、あれかしという言葉であふれておりますが、わたくしがもっとも心打たれ、導きとしている教句です。

 この教句について、ぜひとも貴君の考えをうかがいたいと、常々思っていたのですよ?


 あら。本日は教理問答ではない、と。

 ええ、確かにそうでございました。

 本日は、わたくしの異端審問のためおこしくださっためにわざわざおこしいたいだ――いえ、こちらの審問室をご準備してくださったのですもの。ご挨拶をするのが筋というもの。


 ごきげんよう、異端審問特級神官、グレーテル司祭。

 わたくしこそは104代目の聖女アリスでございます。


 ……あら、申し訳ございません、不躾に見てしまいまして。

 特級司祭となるには、異端審問派の一月にわたる教理問答をならびに、実際の異端審問の経験も必要だとお伺いしておりましたので、勝手ながら壮年のかたをご想像しておりまして。思っていたよりもお若くて驚いてしまった次第です。不愉快にさせてしまったら申し訳ございません。

 ですが貴君の実力は聞き及んでおります。かの高名な異端審問派顧問官との教理問答でも一歩も引かず、聖経典への理解と研究では飛びぬけたおかただと。ええ、こうして対面してその話が本当であるとわかりました。貴君の瞳には、神への篤い忠誠心が宿っておりますもの。

 え? 驚いたのは見られたことではなく、貴君を恐れないのか、ということですか?


 ――ふ、ふふふ。


 おもしろいことをおっしゃられますのね、グレーテル司祭。

 わたくしが何故、貴君を恐ろしく思わねばならぬのでしょう?

 確かに、異端審問にかけられるというのはほとんどの市民から――結果の決まった魔女裁判、行われるのは形ばかりの審問という名の尋問、ただ異端を処断し悪魔を排除するためにすべてを是とする教会のひとつの組織であると、そう思われていることは重々承知しております。


 ですが。


 それは結局、教会のことも、哀れなるかな聖経典のことも、貴君ら異端審問官がなにをしているかも知らない、無知なるものたちによる恐怖ではございませぬか?

 で、あるからにして。

 何故、聖女であるわたくしが、異端審問官を恐れることがありましょうか?


 わたくしは聖女です。神の声を聞き、神の奇跡を、冬のはじめ降り落ちる雪の白き一片の欠片にも満たぬ小さな力で示すもの。ほんのすこしの、他者を癒すという、我らが唯一の神から力を授かりしもの。

 わたくしが恐れるものは、ただひとつです。

 それは決して、異端審問官である貴君でもなく、また、異端審問にかけられる自分の身でもありません。

 たとえ、聖教会でももっとも権威ある、聖サロメ大教会本部に属する異端審問特級神官にかけられた異端の疑惑は、これまで一つの例もなく、すべて処刑の末路を迎えるということを知っていても。

 わたくしが恐れるべきことはそのようなことではありません。


 ……失礼いたしました、わたくしとしたことが少々熱がはいってしまったようです。道理のわきまえない少女のような、詮ないことを申しました。お許しくださいませ。


 ええ、これよりグレーテル特級神官による異端審問を、わたくし、聖女アリスは、いまこの時より、受け入れます。


 ――王太子ハンスを殺したか、という問いでございますね。




 ――はい。わたくしは王太子殿下ハンスを殺めました。



 『汝、偽るなかれ』――原初、神と交わしたはじまりの十の約束、その四番目のこの言葉に従い、嘘ではございません。

 神に誓い、原初の約束に誓い、貴君から尋ねられた事柄に対して、わたくしは嘘偽りを、述べることはございません。

 それであれば、王太子を殺めることは、十の約束の二の言葉、『汝、殺めるなかれ』と矛盾する、と?

 ええ、そうでございますね。

 ですが、一つの約束を破ったからと言って、他の約束を破っていい理由にはなりませんでしょう?


 ひとは弱きものです。人の営みをおくる中で、一度として十の約束を破ったことがないと、胸を張って宣言できるものがおりますでしょうか。

 もしいるとするならば。それは自覚がないだけのものでありましょう。

 常に自己と向き合い、神に祈りを捧げるものであれば、自分の足が踏み出した先に、偶然そこにあった小石を蹴り上げ、それが他者に当たったことを故意ではなくても罪であると認識するでしょう。

 逆に。己の行為を顧みず、対話をやめ、神に祈るための方法を知らぬものは、服のすきまに小石だけでなく、金貨で満たし、それを他者へと投げるのです。ですが、そのものたちはこう言います。

 『たまたま服からはみでた石が当たっただけだ』と。


 斯様に考えれば、我々が胸に刻むべきは――常に神の恩恵が与えられていることに感謝し、神に報いるために日々を生き、常に自己との対話を通し、神に恥ずべきことをしていないか、神に誇れる今日を過ごしたかを問い続けることではありませんか?

 もしこの先、『嘘』をつくことがあったとしても――もちろん、わたくしはこの審問会のあいだに嘘を言わないと誓っておりますが――それは神の約束を破ることではあれど、神に対する反逆ではない、そうではないでしょうか?


 ――ふふ。そんな怖い顔をしないでくださいませ。グレーテル司祭。

 貴君が『なに』に怒っていらっしゃるか、わたくしはある程度は把握できている、と自負しております。

 わたくしとしては、是非、あなたのその怒りの理由をお尋ねしたい気持ちです。

 ですが。悲しいことに、生者に時間は有限です。

 わたくしの楽しみのために、貴君の大切な役目の時間を奪ってしまうことは望むことではありません。

 ですので、どうぞ異端審問の続きをしてくださいませ。

 グレーテル司祭。


 わたくしのこれまでのことを話せ、ということをお望みですか。

 わたくしのことを説明する、でございますか……。

 ふうぅむ……。

 ああ、いえ。なにかを隠そうとしたり、騙すための言葉を探しているわけではありません。

 ただ、そうですね。わたくしは、聖女である、としか、言えないものですから。


 僭越ではございますが、つまらない話にしばしご清聴、おつきあいくださいませ。


 知ってはおられるでしょうが、わたくしは地方の農村部に産まれました。

 この栄えた王都に比べれば、特にいうべきこともない田舎でございまして。村のなかでは通貨による交換よりも、農作物や織物を通じた物々交換をしておりました、といえば、よくある農村部の村だとわかっていただけますでしょうか?

 そしてそういった集落の運命に漏れず、つねに生と死は隣り合わせでございました。

 貧困によって。

 わたくしが、一番はじめに、人の死を理解した死は、姉の死でしょうか。

 童子のわたくしよりも大きく、機転の働く姉は貴重な稼ぎ手でした。いつもその手でわたくしを優しく撫で、たまに甘い果物をわけてくれました。

 そんな優しい姉が大好きでしたし、尊敬しておりました。

 ですが、姉は死にました。

 理由は簡単です。病気と栄養失調。

 とても明快で、よくある話のひとつでございましょう?

 貧しい村々では、病気や怪我を負えば簡単には治らない。そうなればその先にあるのは死、のみです。

 それまでもわたくしは人の死を見てきたはずですが、幼すぎて死とはなにかを理解できておりませんでした。

 そうしてわたくしは姉を失い、代わりになるように稼ぎ手として働きだしました。そして、姉の死を通じて、『死』なるものを知りました。


 そこからあとの具体的なことは、異端審問派の貴君のほうがご存じでありましょう。

 聖女という存在は我が王国で代々うまれてきた存在。先代聖女が没すれば、国中総動員をして次代の聖女を探し出す。

 この聖女探しのために、我が国では戸籍管理が進んだそうですね。


 その仕組みによって、わたくしは聖女として、無事発見されました。


 かといって、地方への目はなかなか届かないものですし、わたくしたち地方からも声を上げるには遠い距離でございました。わたくしのいた村は王都から離れておりましたから、先代聖女の死すら、わたくしを見つけられにいらっしゃった役人がくる半年の間、知らないでいたほどでした。


 ……ええ、この力が姉の死より前にあれば、と頭によぎることもありました。

 もしも聖女の力があるならば、寝台から腕のひとつもあげられず、汚れた髪を汗で肌にはりつけ、排尿と汚物の混じった毛布のなかで死ぬ姉の行く末を変えられたのかもしれない、と。

 ですが、それは先代聖女が、早く没してくれればいい、という願いと同じことです。

 そのような願いは聖女であるわたくしは持ちません、いえ、持てません。

 人の命とは、神の前にして等しく同じです。

 人の命とは、神の前においてすべて均一の重さとなります。

 人の命とは、神の前に立つときにのみ測られるものです。

 それは聖女であれば――聖女となれば誰でも知っていることです。お話したことはありませんが、おそらく先代聖女もおなじお考えだったのでは、と。


 ――ああ、やはりそうだったのですね。先代聖女オーロラも同じことをおっしゃっていたのですか。

 だから異端審問のかたがたに嫌われていたのですね。

 そんなに睨まないでくださいまし。

 もちろん、貴君でれば、わたくしが述べ言葉をもって異端であると断ずることは容易でしょう。

 ですが。今回の異端審問は、わたくしの教理問答によって異端を暴く場ではございませんでしょう?

 ええ、そうです。

 あくまで、これはわたくしが王太子を殺したことに対する、異端審問。

 もしも審問の結論がでて、時間が余れば――。


 そのときは、とことん、我らが神についてお話いたしましょう、グレーテル司祭。

 両手両足に枷をはめられ、鎖で身動きがとれなくとも。

 聖女としての服は取り上げられ、穴のあきカビがはえかけている、薄い一枚の衣しか着ておらずとも。

 貴君と心行くまで、神の教えについて語り合いたい。

 これもまた、わたくしの嘘ではない言葉なのですよ?


 ああ、ただ……。

 両手が手錠で重たいので、優雅なお茶会といかないのは残念です。


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