いいえがおの日


 ~ 十一月二十五日(木)

    いいえがおの日 ~

 ※一笑千金いっしょうせんきん

  わずかでもほほえめば、

  千金に値するほどの美人




「待ちに待った週末!」

「……なにかやりたい事でもあるのか?」

「は、八時間かかる実験が、いよいよできる……!」

「そんなお前に朗報だ」

「え?」

「今日、まだ木曜」

「があああああああん!!!」



 俺は。

 たまにこう思う。


 もうちょっと言い方を考えれば。

 もうちょっとこいつが笑顔でいられる時間を延ばすことができるんじゃないかって。


 俺のぶっきらぼうな言葉のせいで。

 しばしばへこんでしまうこいつの名は。


 舞浜まいはま秋乃あきの


 艶やかな飴色のストレートヘアが。

 心無い一言を聞いて、途端にはねっ毛だらけ。


 しょうがねえじゃねえか。

 文句は俺じゃなく。

 明日が金曜日だって決めた。

 グレゴリウス13世にでも言ってくれ。


 ……すっかり日が落ちるのが早くなった秋の夕暮れを。

 家に向かって歩く道すがら。


 秋乃は、不機嫌そうに尖った口で。

 とつとつと呟いた。


「学校が終わった瞬間とかにね?」

「おお」

「すっかり忘れてて、明日がお休みだって思い出すと、すごく得した気分になるでしょ?」

「わかる」

「今、その逆……」

「わかる」


 恐らく、世界中の誰もが共感してくれる現象だ。

 だというのに、この現象に対する適切な対処法を誰も思い付いていない。


 ここはもう、諦めて愚痴を聞き続けるか。

 それとも、俺が世界で初めて。

 この現象に打ち勝った男になるか。


 駅前の、ちょっと気取った慌ただしさを後にして。

 活気のあるショッピングセンター前に差し掛かる。


 ……うん。

 ちょっといいことを思い付いた。


 こんなのはどうだろう。


「でもさ。もし仮に、今日が金曜だとして」

「うん」

「木曜日にやれなかったことができるんだぜ? 一日増える。得したじゃねえか」

「木曜にやれなかったこと……? 具体的には?」


 あれ?


 勉強とか、家事とか。

 なんかやり残したこと思い出して。


 てっきり、前向きに考えてくれるようになると思ってたのに。

 なんという頑固なネガティブ。


「…………例は、考えてなかった」

「じゃあ、今考えて?」

「ドラマ見るとか」

「今日見れる」

「いやそういうこっちゃなく」

「他には?」

「……親父と、時代劇見れる」

「あ、あたし、そんなテレビっ子じゃない……」


 いや、結構見てると思うけど。

 でも例えが悪かったのは俺のせい。


 他には……。

 ええい、そんなの自分で考えろ。


「何かねえのかよ、一日増えて得すること」

「木曜日が増えたところで」

「まあそうなんだけど」

「月火水木木金。……たった一日増えただけで、週末がものすごく遠い」

「まあそうなんだけど」


 相変わらず尖った口したまま。

 茜色に染まった寂しそうな顔を空に向けた秋乃。


 青と赤。

 そんな複雑な色合いを乗せていた表情が。


 ふと、感情を消し去って。

 まるで彫刻のように白く染まって停止する。


「ん? 木曜? ……何かあったような?」

「お、よかった。何があったか思い出せ」

「……あ! 思い出した! 特売日!」

「そうか、良かったな。思い出したのは俺のおかげだ、感謝しろ」

「うん、感謝……」

「そういうことなら荷物持ちがいる今がチャンスだ。何の特売やってるんだ?」

「鉄アレイ」

「なぜ思い出させたんだ、俺!」


 嬉々として腕を引っ張る秋乃に。

 無理やりつれられて入ったショッピングセンター。


 何に使う気なのやら。

 五キロの鉄アレイを五個も買って。


 宣言しちまった通り。

 俺にすべて押しつけて来た。


「うわ重いっ!!!」

「ほ、ほんとに良かった、今日思い出せて……」

「おお。すげえ感謝しろ、とことん感謝しろ」

「うん、感謝……」

「そして感謝するなら、一つ持つとか、もっとゆっくり歩くとか……」

「あ! 木曜日!」

「うおおおい! これ以上思い出すな!」

「もうすぐドラマがはじまる!」

「うはははははははははははは!!!」


 ああもう、ほんとお前は俺を笑わせる名人だな。

 楽しませてもらった礼だ。

 困った顔してねえで先に帰れ。


 そんな思いを口にしようと思ったんだが。

 さっき学んだばっかりだからな。


 今のまんまを口にしたら、こいつは俺に合わせてゆっくり歩くだろう。


 言い方ひとつだ。


「……ここは俺に任せとけ。お前は、そわそわしてテレビの前で待ってる凜々花を一刻も早く安心させてこい!」

「りょ、了解!」


 一歩立ち止まって。

 選んだ一言は。


 一笑千金の美女を。

 輝くばかりの笑顔にさせた。


 そんな秋乃は。

 くるりとスカートを翻して。


「あ、ありがと……、ね?」


 ちょっと照れくさそうに、お礼を口にすると。


 茜色に染まった髪をなびかせて。

 飛び跳ねるように駆けていった。



 ――出会ってから。

 一年八か月。


 こいつのことを、くっしゃくしゃで、無様な笑い顔させようと。

 躍起になっていた俺に。


 小さな変化が訪れた。



「…………こういう笑顔も、いいな」



 だが。

 自分の中で決めたこと。


 秋乃を無様に爆笑させて。

 そして告白してやるんだ。



 まあ、一緒に暮らしてるんだ。

 すぐにでも笑わせることができるさ。


 俺は、肩の重みを、ちょっぴり幸せに感じながら。

 楽しくなりそうな週末を迎えるために。

 一人、家路についたのだった。




 秋乃は立哉を笑わせたい 第18笑

 おし……



「いや待て週末じゃねえ!!! 今日は木曜日!!!」


 幸せな雰囲気に包まれて。

 すっかり今週を締めくくろうとしちまったが。


 まだ、今週はもう一日ある。


 どうしてこんな勘違いをしたのか。

 何か、嫌な予感がする。


 まるで、今の幸せを。

 すべてひっくり返すほどのことが起こりそうな…………。



「おい、小僧」

「げ」



 …………この、背中からかけられたバリトンボイス。


 振り返る必要すらねえが。

 そういう訳にも行くまい。


 俺は、自分にできる最大限の苦々しい顔をして。

 声の主に首だけ向けると。


 そこには予想通り。



 秋乃の親父さんが立っていた。



「…………ここで偶然会った機会を生かすとしよう。教えろ」

「何を聞かれても、お前に教えてやる気はねえ」

「秋乃は今、どこで暮らしているんだ?」


 げ。


 あいつ。

 親父さんに内緒にしてたのかよ。


 ……いや。

 もし話してたりしたら。


 俺んとこで暮らすことなんかできやしねえか。


「返事をしないとは……。貴様、何か知っているな?」

「いや? 知らねえぞ?」

「まさか。……………………まさかっ!!!!!」

「いや、群馬県になんか住んでねえ」

「真坂のことなど話してない!」

「ウガンダになんか行ってねえよ」

「マサカ県でもない! 誤魔化すな!」

「誤魔化してなんかねえよ。じゃあ、先急ぐんで」

「待て貴様!」

「これは秋乃の大切なものだから、春姫ちゃんに届けとけよ?」

「うわ重いっ!!!」



 鉄アレイを押しつけて。

 ひとまず逃げる事に成功したが。


 これはまずいことになった。



 幸せなはずの週末を迎える前に。

 もう一仕事。


 波乱の金曜日が待っていようとは。

 まさか。

 思いもしなかった……。

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