第33話 白銀の娘②
この国の重鎮である董将軍の娘、白蓮と出逢った次の日の朝。
俺は早起きをして彼女の住んでいる屋敷へと向かっている。
いや、彼女の屋敷は街にあるから、こんな村からだと片道四刻(約一時間)もかかるんだけど……。
「とはいえ、行かなかったりしたらどうなるか……」
そもそも、この辺り一帯を治めている董将軍の娘なんだぞ? 逆らったら最後、俺も父上も命はないかもしれない。
というか、今まですり寄っていたあいつだって、昨日の一件で今日明日にでも……。
急に悪寒を覚えた俺は身震いをすると、首を左右に大きく振った後、少しでも気を紛らわそうと街へと全力で走った。
で、彼女の屋敷に到着した俺だけど。
「遅いぞ子孝!」
……既に門の前で腕組みしながら仁王立ちしていた彼女が、俺を見るなり大声で怒鳴った。
「い、いや、だけど
理不尽だとは思うが、ここで下手に逆らったりして最悪の事態を招くわけにもいかず、俺はぐっとこらえて頭を下げる。
「はっは。お嬢様、さすがにそれは可哀想ですぞ。そもそもお嬢様は四刻も前からここで待っておられたではないですか」
「漢升!?」
突然現れた白髪のおじさんがにこやかに笑いながらそう告げると、彼女が顔を真っ赤にして振り返った。
「まあまあ。拙者は董将軍の近侍と家令を務める“張漢升”と申す。それで……お主はお嬢様の
「は、はい……」
家来という言葉には少し引っ掛かるけど、確かにその通りではあるしここで逆らうわけにもいかない。
なので俺は、ただおずおずと頷いた。
「う、うむ! では子孝、着いてまいれ!」
「は、はいい……!」
すると彼女……白蓮様は俺の手を引っ張って屋敷の中へと連れて行った。
◇
「むむ! そのようでは満足に戦働きができぬぞ! もっと腰を! 腰を入れるのだ!」
「え、ええー……」
それから俺は、何故か白蓮様にみっちりと武芸の稽古に付き合わされている……いや、むしろ白蓮様に手ほどきを受けている、と言ったほうが正しい。
「お嬢様、子孝殿、お茶をお持ちしましたぞ」
「うむ! すまない漢升! ふふ……では、少し休むとしようか」
「た、助かった……」
俺は息絶え絶えになりながら元気に歩く白蓮殿の後をついて行き、漢升様から湯飲みを受け取る。
「くうう……生き返るうう……!」
「ふふ! 大袈裟な奴だな!」
そう言って嬉しそうに俺の背中を叩く白蓮様。痛い、痛いです。
「ところでお嬢様、旦那様がお呼びでしたぞ?」
「む、父様が? 子孝、すまぬが我は少し外すぞ」
「ええ! それはもう、どうぞ行ってください!」
「む……何か引っかかるものがあるが……まあいい」
ほんの少し口を尖らせ、白蓮様は父君……領主である董将軍の元へと向かった。
「さて……子孝殿、少々よろしいですかな?」
「へ? ……は、はあ」
微笑む漢升様に声をかけられ、俺は思わず気の抜けた返事をすると、漢升様は
白蓮様は他界された異民族の母君の血が色濃く出たため、その髪の色が銀髪であること。
そして、その半分流れる異民族の血と銀髪のせいで、董一族の中でも肩身の狭い思いをされていること。
当然、同年代の友達もおらず、今まで独りぼっちでただ武芸の鍛錬に明け暮れていたこと。
「……そんなお嬢様が昨日、嬉しそうに語ってくれたのだ。『この我の髪を、一切の好奇な色も、侮蔑の色もない瞳で見てくれた者がいたのだ!』、と」
「あ……」
そういえば……俺はあの時、ただ目を奪われていた。
その銀色の髪が綺麗で……琥珀色の瞳が、吸い込まれそうなほど澄んでいて……。
「だから子孝殿……これからも、お嬢様のことをよろしく頼む」
そう言って、漢升殿が深々と頭を下げた。
董将軍の家の家令を務めるほどの人が、こんなしがない貧しい農家の子どもなんかに。
「は、はい! お、俺のほうこそ、どうぞよろしくお願いします!」
気づけば、俺は地面に膝をついて
「はっは。これこれ、拙者にそのようなことをされても困りますぞ?」
「あ……あははー……」
漢升殿に立ち上がらせてもらい、俺達は思わず苦笑する。
「むむ……何故二人はそのように楽しそうにしておるのだ……?」
振り返ると、白蓮様が頬を膨らませながら俺達をじと、と睨んでいた。
「はっは。子孝殿にお嬢様の素晴らしさをお伝えしておったのですよ」
「かか、漢升!?」
「そうですねえ……色々と白蓮様のことを聞かせていただきました」
「子孝!? わ、忘れろ! 忘れるのだ!」
顔を真っ赤にしながら焦る白蓮様は、思っていた印象とは全く違っていて、ただ、可愛かった。
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