地獄を否定していたら鬼たちに鬼に改造された話(巻之三「鬼谷に落て鬼となる きこくにおちておにとなる」)

 若狭国わかさのくに遠敷郡おにゅうのこおり熊川くまがわというところに蜂谷はちや孫太郎という者がいた。

 家は富み栄えて不足というものがなかったので、孫太郎は耕作や商売などの常人の生業は気にもかけず、ただ儒学を好んで、わずかにその片端を読んだだけで、儒学にまさるものごとはないと考え、学に通じない人をみてはものの数とも思わず、読み書きのできる人をみても、自分にはおよばないだろうと軽くみて慢心していた。

 あまつさえ、仏法をそしり、善悪因果ぜんあくいんがことわり三世流転さんぜるてんの教えを破り、地獄・天堂てんどう娑婆しゃばなど説く浄土宗の教義を嘲笑し、鬼神・幽霊のことはいっそう信じず、

「人は死ねば、こんようへとかえり、はくいんにかえる。残った肉体は土となり、何も残らない。

 美食に飽き、小袖を着て、妻子と豊かに安楽に暮らすのが仏だ。

 粗食で腹が満たされず、麻衣一重ひとえで肩から裾までおおって、妻子を売り飛ばしても辛苦しているのが餓鬼道である。

 人の家の門前に立って、声高に物を乞うて、残飯を喰って汚いとも思わず、石を枕に草に臥せて、雪が降っても赤裸あかはだかでいる者は畜生道だ。

 罪を犯して牢獄にいれられ、縄にかかり、首をはねられ、身を責められ、骨を砕かれ、あるいは水責め・火あぶり・はりつけなどの目に遭うのは地獄道である。これらの刑罰を担当するのが獄卒である。

 これ以外にあとは何もない。

 目に見えない来世のこと、真実でもない幽霊のこと、僧・法師・かんなぎ神子みこのいうことを信じるのは愚かである」

 このように云い罵り、たまたま諌める人がいると、四書六経ししょりくけいの文をひいてきて、よこしまに字句の意味や内容をこじつけ、弁舌でもってまくしたてるので、放逸無慙ほういつむざんなのはいいようがなかった。

 当時のひとびとは、彼をおに孫太郎と呼び、仲間はずれにして相手にしなかった。


 あるとき、孫太郎は所用があってただ一人敦賀つるがへおもむくことになった。日が高くなってから家を出たので、今津いまづ川原のあたりで日が暮れた。

 近江国おうみのくにでも北のしょうのあたりは、つい最近兵乱があったばかりなので、人の往来もまれで、こころよく宿を貸してくれるような人家もない。

 河原をひろく見渡せば、人間の白骨がそこかしこに散らばり、水の流れはものさびしい。日も暮れ果てて四方の山々は雲に覆われ、立ち寄れそうな宿もない。

 どうしようかと途方に暮れていたところ、北の山際に少し茂った松林をみとめた。

 そこにわけいり、樹の根をよりどころにして、少し休んでいると、ふくろうの声がすさまじく、狐火きつねび光物ひかりものもすごく、梢に吹きわたる夕嵐がひどく身にしみて、なんとも心細く感じた。

 左右をみれば人間の死骸が七つ八つ、西枕だったり南に頭を向けたりで転がっている。

 ものさびしく吹きつける風にまぎれて小雨も降ってきて、稲光いなびかりひらめき雷鳴がとどろいた。

 ト、倒れ臥していた死骸が、いっせいにむくりと起き上がり、孫太郎めがけてよろめき近づいてきた。

 おそろしさはかぎりなく、松の木にのぼって逃れると、しかばねたちは木のもとに集まってきて、

「今宵のうちにこやつを獲ってしまおう」

 といいあっている。

 そのあいだに雨は降りやんで夜空は晴れて、秋の月が冴えてかがやき出した。


 そこへ突如ひとりの夜叉やしゃが走ってきた。

 肌は青く、角をはやして口は大きく、髪を乱し、両手で尸をつかむや、首を引き抜き、手足をもいで、瓜をかじるように喰いはじめた。

 そして、飽くまで喰らうと、孫太郎のいる松の根を枕にし、地に響く高いびきで寝始めた。

「この夜叉が眠りからさめたら、きっとおれをひきずりおろして、殺して食うにちがいない。折よく寝ている今のうちに逃げるにしかずだ」

 そう考えて、孫太郎はしずかに木から降りると、急ぎ足で走ってにげた。

 夜叉はこれに気づいて目をさまし、すぐに追いかけてきた。

 孫太郎は逃げるうち、山のふもとの古寺にたどりついた。

 のきは破れて、仏壇は崩れ、住職もいないが、中には大きな古い仏像があった。

「たすけたまえ、我を救いたまえ」

 孫太郎はそう祈ってから背後に回れば、仏像の背中に人が入れる穴があるのを発見した。そこから中に入り、仏像の腹の中にこっそり隠れた。

 後を追ってきた夜叉も堂内に駆け入ってきて、あちこち探していたが、仏像の腹の中にいるとは思わなかったのだろう、諦めて去っていった。


 ほっとしたのも束の間、孫太郎を内蔵した仏像が足拍子を踏みはじめ、腹を叩きだした。

「夜叉はこの人間を求めてとりにがし、我はもとめずしておのずと得たり。今夜のおやつにしよう」

 と鼻唄まじり、からからと笑い、堂から出て歩いていく。

 が、道先にあった石につまずき、はたと倒れて、仏像の手足は砕けてしまった。

「己を喰おうとして、災禍をその身にこうむるとは、人を助ける仏として結構なことだな」

 孫太郎は穴から出ると仏像をののしった。

 堂より東に進めば、野の中に灯火が輝き、人が多く座しているのがみえた。


 これに力を得て走って近づけば、首のないもの、手のないもの、片足のないものといった異形どもが、みな赤裸で並んで座っているではないか。

 孫太郎は肝を消して、そのなかを走って通り過ぎようとしたが、

「我らの酒宴に、興醒めするようなことは許せぬ。捕らえて酒の肴にしてやろう」

 異形ども一同は立ち上がって追いかけてきた。

 孫太郎は山際にそって走って逃げれば川にいきつき、流されつつもなんとか渡りきって、河原を駆け上がれば、異形どもはくやしそうに対岸にいる。

 足にまかせてさらに歩くが、異形どもの大声でののしる声がなおも聞こえ、身の毛もよだち、生きた心地もしない。

 月はすでに西にかたむき、暗雲がたちこめている。

 半里ばかり進んだところで、草の茂った山間にいきかかったが、石につまずいて穴に落ちてしまった。

「なんと深い穴だ。百丈はあろうか」

 孫太郎はそう思いながら落ちていった。


 ようやっと穴の底につけば、なまぐさい風が吹き、骨身にとおるような気味の悪さである。

 明かりを頼りに周囲をみめぐれば、そこは鬼が集まり住んでいる場所であった。

 赤い髪に両角が火のように燃えている鬼、あるいは青い毛を生やして翼のある鬼、または鳥のくちばしがあって牙が食い違っている鬼、それから牛の頭や獣の顔をしてべにのような色の身体をした鬼もいれば、あいのごとく青い肌をした鬼もいる。鬼たちの眼光は稲光のようで、口からは火焔を吐いている。

 彼らは孫太郎をみて、口々に云った。

「これはこの国の障りとなる者ぞ」

「取り逃がすな!」

「捕縛せよ」

 孫太郎はくろがねの首枷に入れられ、あかがねの手枷をはめられて、鬼の大王の庭の前に引き出された。

 鬼の大王は憤激して、

「汝は人間にあってみだりに舌先三寸を動かし、唇をめくり、『鬼神おにかみも幽霊もいない』などと云って、さまざまに我らをないがしろにし、屈辱をあたえた不届き者である。

 汝は書典を常に勉強しているはずである。

 中庸にいわく、鬼神の徳それ盛んなるかなと。

 論語にいわく、鬼神を敬してこれを遠ざくと。

 えき睽卦きのかにいわく、鬼を一車いっしゃにのすと。

 小雅しょうがにいわく、鬼をなしこくをなすと。

 そのほか左伝さでんには、しん景公けいこうの夢、てい大夫たいふ伯有はくゆうが事、みな鬼神に言及している。

 ただ『怪力乱神かいりょくらんしんをいわず』という一語をよこしまに心得て、みだりに鬼神を侮辱するとはなにごとか」

 そして下部しもべの鬼に指示して、孫太郎をさんざんに打擲ちょうちゃくさせた。


 鬼の王はさらに、

「こやつの身の丈を高くしてやれ」

 と指示すれば、鬼どもが集まってきて、孫太郎の首から手足まで引き伸ばし、にわかに身長が三丈ほどの、竹の竿のようになってしまった。

 鬼どもはこれをみてどっと笑う。

 押したてて歩かされた孫太郎は、竹竿のようなひょろながい身体であるから、ふらついてばったり倒れた。

「こやつの身の丈を短くしてやれ」

 鬼の王がまた指示すれば、鬼どもは孫太郎を団子のようにこねて丸めて、平たくのばしたので、足を横に広げた格好で背丈が短くなった。

 またも突きたて歩かされるが、まごまごとして蟹のようである。

 鬼どもは手を打って大いに笑いあった。


 ここで年老いた鬼が出てきて、

「汝は常に鬼神をないものと云いふらし、ものの道理をやぶらんとした。これがゆえに、今すがたかたちを長くひきのばされたり、短くつぶされたり、さまざまにもてあそばれ、大いに屈辱を味わうこととなった。まことに不憫であるから罰をゆるめてやろう」

 孫太郎の手をとり、ぶうんと振り回せば、元の姿に戻った。

「さればこれより人間界へ帰すべし」

 老鬼がそう云ったが、ほかの鬼どもは、

「ただこの者を帰してもおもしろくない。に何かあたえてやろう」

 と云いだして、鬼どもおのおの、

「我は雲路くもじを分ける角をやろう」

 双角を孫太郎の額につけてやる鬼もいれば、

「我は風にうそぶく嘴をあたえてやろう」

 鉄の嘴を孫太郎の唇に押しつけ、

「我はあけに乱れた髪を譲ろう」

 紅藍花べにばなの水で孫太郎の髪を朱に染め、

「我はみどりに光る眼を与えてやる」

 青いたまをふたつ、孫太郎の両眼に押し込んだ。


 鬼どもに送り出され、孫太郎は穴から出て、家に帰ろうとまた歩き出した。

 今津川原にさしかかり、川面に映った己の姿をみれば、雲路を分ける双角が額から突き出て、風にうそぶく嘴はとがり、朱に乱れた髪は逆立って燃え上がるよう、碧に光る眼は燦然さんぜんと輝き、さても恐ろしき鬼の姿に変わり果てていた。


 熊川の自邸へ帰り、家に入れば、妻も下人げにんたちも孫太郎の姿をみて驚きおそれた。

「これこれのことがあって、このような姿と成り果てたが、己の心は今までと変わるところはない」

 孫太郎は涙を流し、これまでのことをみなに語った。

 妻はこの有様をなかなか直視するのも難しく、嘆かわしく悲しいと、彼の頭の上から帷子かたびらをうちかけると、ただただ泣き悲しむよりほか、どうしようもなかった。

 幼いこどもたちは彼を恐れて、泣いて逃げ出した。

 近隣のひとびとは見物に集まっては、手を打って好奇のまなざしをむけた。


 孫太郎も物憂く思い、戸を閉じきって人にも会わず、ものも食わずにひきこもり、悩乱して患いつくと、遂に世を去った。


 その後、蜂谷の家では、時折もとの姿の孫太郎が幻のようにあらわれ、邸の周囲を歩きまわるのが目撃されたが、彼のために仏事をいとなむと、二度とあらわれなくなったとのことだ。

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