Day20 転がり落ちた心(お題・祭りのあと)

 シルベールの中心街、名だたる商家や商会の並ぶ『姫様通り』には、大陸でも珍しい公国立施療院がある。公国の補助金により、安く治療を受けられる施療院の隣には、シルベール伯爵夫人と共に施療院設立に協力したという、老舗薬問屋オークウッド本草店があった。

「……大きなお店……」

 母と焼いたナッツのタルトが入った駕籠を下げて、リサは店と店の間の路地から中を伺い見る。

 聖騎士であるミリーを息子の嫁に貰うのだから、当然といえば当然だろうが、間口が周囲の店の二倍はある。

 聖夜祭が終わり、日常を取り戻した『姫様通り』には『椎の木通り』より立派な身なりの人々が行き交い、店にもひっきりなしに買い付けの商人と見られる人が出入りしていた。

 ……昨夜、スージーから兄さんを守って倒れてしまった、ミリーさんのお見舞いに来たのだけど……。

 大陸の薬屋は系列店と徒弟制度を結んでいるところが多い。店には修行に来ているのか子供や若者も忙しく動き回っていた。

「……どうしよう……」

 入るのは勿論、声も掛けつらい。戸惑うリサに気付いたのか店の奥から男の人が一人、こちらに向かってきた。昨夜、倒れてしまったミリーに影丸が呼んできた『バントウドノ』だ。

「リサ様でございますね」

 はい、と頷くと白髪頭の長身の男はにこりと笑った。

「私はこの店の番頭でございます。お見舞いでしょうか? でしたら、こちらに……」

 番頭は路地の奥にリサを案内した。

 

 路地から垣根の間の扉をくぐり、裏口から母屋に上がる。母屋の二階、裏路地に面した三部屋のうちの階段側の一つがミリーの部屋だった。

 自分の家の自分の部屋とそう変わらない広さ。置かれているものも机に棚に櫃にベッドと、壁に掛けられたショートソードと聖騎士の制服の黒の詰め襟の軍服以外、変わったものはない。そのベッドでミリーは横になって眠っていた。

 寝かされる前に結い直したのだろう。いつもは背に下がっている真っ赤な髪の三つ編みが顔の横で編まれ、白いシーツの上に落ちている。すうすうと穏やかな寝息を立てている彼女の枕元には、影丸がちょこんと正座していた。

「あの……大丈夫なのですか?」

 見た目、ただ気持ちよく眠っているだけに見えるが……。

「大丈夫でございます。影丸が若旦那に連絡を取りましたから、お帰りになられましたら起こして下さいますでしょう」

 番頭が青紫色の目を細める。影丸もこくりと頷いた。

「え……それって……」

 つまりガスが帰って来ないと目覚めないということなのではないだろうか?

「この店には私がおりますから、大丈夫でございますよ」

 では、お茶を持って参ります。番頭は礼を言って、リサから見舞いのタルトを受け取り、部屋を出ていった。

 

 番頭が持ってきた柑橘の香りのするお茶を頂く。

「実はちょっとカゲマルくんに訊きたいことがあって……」

 リサはミリーの枕元から動かない忠義者の物の怪に訊いた。

「スージーはもしかしてもう……」

 あの後、彼女もどこかに消えてしまった。もしかして、あのときの彼女が坂道の人影と同じものなら、彼女本人はすでに亡くなっているのではないか?

 言葉を詰まらせながら問うリサに「違うでござる」影丸が首を横に振った。

「あのスージー殿は確かに思念の塊でござったが、死の臭いはしなかったでござる」

「じゃあ、スージーは……? だいたいスージーが人を襲うなんて、私も兄さんも信じられなくて……」

 ミリーだけでなく自分も襲ってきた彼女にジョンも昨夜から混乱している。

「リサ様、人は時に大変過ぎる思いをしたとき、心の一部が転がり落ちてしまうことがございます」

 二人のやりとりを聞きながら、黙ってお茶を啜っていた番頭が横から口を挟んだ。

「影丸が『死の臭い』を感じなかったのなら、あれは生きているスージー様から離れてしまった心の一部なのでしょう。それが昨夜ミリー様をジョン様の新しい恋人だと思い込んで襲ったということは、その心は『ジョン様に会いたい』と強く願ったスージー様の『恋心』だと推測出来ます」

 だからこそ、嫉妬から混乱してジョンまで襲ってしまったのだ、と番頭が解いていく。

「とにかくミリー様が目覚められましたら、もう一度、ご相談してみてはいかがでしょうか? ミリー様とうちの若旦那はそういう相談事の解決を得意とされています。きっと良い方向にスージー様の『恋心』を導いて下さいますよ」

 今月の初めから、彼女と二人で解決した不思議の数々を思い起こす。

 確かに彼女なら、そしてガスも手伝ってくれるなら、きっとこのスージーの件も解決してくれるだろう。

「……はい。兄と相談してみます」

 ミリーの眠るベッドの脇に膝をつく。

「兄さんを助けてくれてありがとう」

 そして……。

「お願い、スージーを救って……」

 リサは彼女の耳元に囁いた。

 

「それにしてもバントウさん、不思議な人だったな……」

 家への帰り道、ふと食堂でお客さん達が噂していた話を思い出す。

『オークウッド本草店のバントウは百年以上も前から、あの姿で店の帳場にずっと座っているらしい』

「……まさかね」

 

 ※ ※ ※ ※ ※

 

 ぱしゃん! 沢の水が鳴る。

 彼女は冷たい水の上でうなだれた。

“ジョン……私……貴方の心が移ろってしまって、どうしたら良いの?”

 秋の陰の気がまた彼女を黒く染める。遠くで狼の遠吠えが響いた。

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