Day16 想い(お題・水の)

『盗賊が襲ってきた逃げろ!!』

 馬車の幌が乱暴に捲り上げられる。荷物の間でスージーは、その声と幌の向こうで聞こえる怒号と護衛の冒険者達の剣戟の音に目を覚ました。

『とにかく登りながら東に向かえ!! アルズバトル公国の詰所に行くんだ! 着いたら警備隊にこのことを伝えてくれ!』

 スージーと同じように商隊に同行していた人達が起き出す。

 荷物を担ぎ、後ろに向かうと商隊の副隊長が彼女に手を貸し、地面に降ろしてくれた。

『明かりは持つな。暗いが月明かりだけで行け。……無事を祈る』

 周囲には鉄錆が混じったような生臭い臭いが漂っている。

 ……これは……。

 顔が強ばる。

「……副隊長さんも……」

 先頭の方で悲鳴が上がる。胴間声が近づいてくる。

 スージーは震える足を踏み締めると、山の中を東に向かって走り出した。

 

 ……盗賊団は単なる噂だと聞いたのに……。

 秋の始まりの『土の始まりの月』。高所のタラヌス山脈は夜はもう涼しいをとおりこして寒い。しかし、スージーはそんな寒さも感じないほど、必死に山を登っていた。

 月明かりで行けと言われても、生い茂る針葉樹の影に足下は真っ暗だ。何度も転びつつも、とにかく進む。

 夏頃からタラヌス山脈に性質たちの悪い盗賊が住み着いたという噂が立ち、ペジュールとアルスバトルを繋ぐ道は往来が途絶えていた。それにペジュール伯がようやく重い腰を上げ、確認に騎士団を山脈に派遣したのがこの月の始め。半月の捜索で盗賊はおらず、悪い噂だけが流れていたのだと断定され、ようやく出発するという商隊にスージーは案内料を払って、入れて貰った。

 母がオークウッド本草店の薬で本復して三ヶ月。ようやくシルベールに行くことが出来る。叔父が経営する宿屋は、ここ数年、従業員をまとめて働くようになったスージーがいなくなって困っているらしいし、『月の始まりの月』から始まるリサの公会堂事務局のお手伝いにも十分間に合う。何より、恋人のジョンに会える。母は良くなったものの、長引いた風邪に少し気弱になったのか、そろそろ代を譲りたいと言い出していて、父もジョンさえ良ければ来年の春には婚礼を挙げようと言っていた。

 そのことを書いた両親の彼への手紙を持って、胸を弾ませながら出発したのに……。

「あっ!!」

 また木の根に足を取られ転んでしまう。スージーは何度打ったか解らない膝の痛みをこらえて立ち上がった。

「向こうで声がしたぞ!!」

 後ろから男のしゃがれ声が追いかけてくる。

「詰所に逃げ込まれると厄介だ!! 一人残さず殺せ!!」

 その声に奥歯をかみしめ、前に進む。

『明日の昼にはアルスバトルの国境警備隊詰所に着く。向こうの道の方が整備されているから、これで楽に進めるぞ』

 商隊の隊長が言っていたのを思い出す。馬車と旅慣れない女の足では、進む速さが全く違うが、それでもこの先に助けを求められる場所があるのは間違いないのだ。

 とにかく足を前に。逃がしてくれた副隊長さんや一緒に山を越えてきた商隊の人達の為にも……。

「いたぞ!!」

「女だ!!」

「女は売れる! 殺すな!」

 複数の声が後ろから飛んでくる。

 スージーは走り出した。少しでも早くと心が急く。

 しかし、突然、その身体が前に傾いだ。

「えっ……」

 足の下に地面が無い!? 

 崖!?

 そう思う間もなく、スージーの身体はそのまま暗闇に落ちていった。

 

 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 晩秋の沢。ようやく雪が止んだ水面に、ぱしゃん、水音が響く。

“ジョン……ジョンに会いたい……”

 想いのままに水の中から浮かび上がった彼女に秋の陰の気がまとわりつく。

 黒い女性の人影は水面を滑るように走り、沢を降りていった。

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