どっちも素敵だよ――派生短編――

 ゆらり、ゆらり――。


 吐き出す煙が、冷たく乾いた空をあてもなく漂う。


 妻の勧めで、加熱式から電子タバコに変えてはみたものの、如何せん長年蓄積されたニコチンを摂り込めないと、どうにも肺がむず痒い。肉体の健康を意識すればするほど、精神は不健康になっていく。なんとも皮肉なものだ。


――今から禁煙しないと、子供出来た時にどうするのよ。


 ふと、妻の文句が脳裏をよぎる。


 子供か……。結婚した頃は互いに仕事も忙しく、まだ子供は作らなくてもいいよね、なんて余裕をかましていた。時は流れて、ある程度落ち着いた頃。大学の友人や同僚も家庭を持つようになり、そろそろ俺たちもと意識し始めたが、神様はそう簡単にコウノトリを遣わせてくれなかった。


 避妊しなければすぐ出来るだろう、と思っていたのが甘かった。基礎体温のチェックはもちろん、ピンポイントに排卵日を狙う試みは、いつまでたっても実を結ぶことはなく、あっという間に二年が過ぎた。


 どうにもおかしいぞと病院に検査に行った結果、自然妊娠は難しいという診断が下された。どうやら妻は高校生の時に子宮内膜症をこじらせたらしく、それが元で精子が着床しにくい体になってしまったらしい。


 それならばと不妊治療による人工妊娠に挑戦をするが、これまた結果は出ずに安くない治療費だけが空に消えた。元々、そこまで子供が好きではなかった俺は、自然に出来たら儲けものという結論になり、不妊治療を止めて現在に至る。


 俺が四十六、妻が四十。もう、互いにいい年になった。


「角場店長。メインエンドも作り終えたので、今日はお先に失礼します」


 バックヤードでの一服を終えて、事務室に籠り報告書と格闘していると、徳梅さんが声を掛けてきた。彼女は俺こと、角場一寸木かくば いすきが店長を務めるモリモリフーズの加食担当だ。POS実績の管理、販売計画、発注、棚割作成などを取り仕切っている。人手不足のうちに無くてはならない絶対的なエースとして、売り場の全てを任せていた。


「徳梅さん、了解しました。どんなエンドなのか拝見させて頂きます」


 彼女がエンドと呼ばれる売り出しコーナーの陳列を終えると、そう言うのが習わしだ。なぜなら――彼女の作るエンドは、ただの売り出しではなく、一つの作品だからだ。

 営業終了間際でも、店内はお客さんで賑わっていた。それは、買い物を目的としているだけではなく、彼女のエンドを楽しみに待っていることも含まれる。


 もとい――彼女も楽しみに、だ。


 徳梅さんの登場に、すれ違うお客さんは振り返る。誰しも二度見せずにはいられない容姿。それが、徳梅聖流とくばい せいるさんだ。お客さんの一群にバイトや従業員も確認できたが、仕事に戻れと注意するようなヤボなことはもう止めた。


 皆で彼女の解説を楽しむことも、仕事のうちだ。

 何故かって。

 相変わらずのエンドの出来栄えに圧倒されるしかないからだ。


「徳梅さん……これは?」


「これは、宝箱です」


 大抵の人は、宝箱という存在はゲームの中でしか見たことがないんじゃないか。RPGゲームの洞窟とかで現れる、まさにアレだ。ポリゴングラフィックのような造形物がスーパーにお目見えする。その正体は、ブラックチョコとホワイトチョコの空容器を巧みに繋ぎ合わせた箱型の宝箱。埋め尽くされた赤と緑を土台に、大きいものから、可愛らしいものまで、大小様々な宝箱が六畳程の巨大なエンドににょきにょき生えている。


「加工食品って面白いですよね。中身自体が変わってないのに、訴求によって色んな顔を持ちます」

「と、いいますと」

「例えば、このチョコレート。価格訴求すれば、ただの安売り商品。おまけを付ければ、ちょっとプレミアム。バレンタインで演出すれば、プレゼントに早変わり」

「確かに。販促の魔法ってやつだね」

「ええ、そうです」

 だからねと一呼吸置いて、今回のエンドの趣旨を説明する。

「メーカーからお客さんへ、色んな可能性をもった宝箱ですよって、わかりやすく形にしてみました」



 閉店時間を過ぎると、店内には残業をしている自分だけとなった。

 PCを前にカタカタと数字の睨めっこをしていると、先ほどの徳梅さんの言葉が呼び起こされる。


――色んな可能性をもった宝箱ですよ。


 可能性か。

 俺は、妻に対して誠実だったのだろうか。


 妻は昔から子供が好きだった。小さな子にじっと見つめられたら必ずリアクションをするし、ショッピングモールでは迷子の子供の手を取り、親が現れるまで遊び相手になってあげたりもした。


 そんな妻に対して、俺が提案したことと言えば不妊治療の断念だ。


 子供が出来たら儲けものだな、と不妊治療を止めようと切り出したのは本人ではなく、この俺だった。なかなか結果が出ずに、俺に隠れて泣いている姿を見るのが辛かったからだ。


 子供がいないからといって夫婦の仲が冷めることはなかった。むしろ、関係は深まったと思っている。互いに必要とされ、何年経っても恋人みたいな関係――とまでは言い過ぎだが、独身時代のような気持ちでいる。


 だが、本当にそれでよかったのだろうか。今でも妻は――。


 そういえば、今日は一言も口を聞かずに、いそいそと最近はまっている編み物教室に出掛けていった。どうせ、結婚記念日に残業するから怒ってるんだろう。夫婦二人だけの生活なんだから、せめて記念日ぐらいはちゃんとしろと無言のプレッシャーをかけられているに違いない。


 ああ、いかんいかん。余計なことばかり考えると、いつまでたっても報告書が片付かない。鬼のMD長から目標達成の見込みが甘いとやり直しをくらっているところだ。


 静まり返った事務室で集中力を高めて、一気に書類を片付ける。壁時計を見ると、既に時刻は十時を指していた。今から帰ると、十一時になりそうだ。お詫びに何か買って帰るかと無人の店内に踏み入る。

 閉店後のスーパーというのは祭の後のような静けさがある。自分の靴音とごうんごうんと冷蔵庫の空調音だけが響く。


 だが――。

 この無人の店内で、いるはずもない人影が視界を横切った。

 見覚えがある、その存在。もしかしてと後を追うと、


「あなた凄いわね、この陳列」


 メインエンドの前に妻がいた。

 徳梅さんの見事な陳列技術に圧倒されている。


「いつの間に入ってきたんだよ」

「ん? バックヤードからだけど」それが何かって感じで目を丸くする。

「いやいや、そうじゃなくて。何でまた仕事場に」

「だって、帰ってくるの遅いじゃない」

「いや、まあ、そうだけど。わざわざこんなとこまで来ることないのに」

「ちょっと用があったのよ」

「用ってなんだよ。家に帰ってからじゃだめなの」

「だめだから、ここまで来たんじゃない」

「まあ、そうか」妻の方がいちいち上手だ。「んで、どうしたのよ」

「出来たのよ」

「……出来た?」


 まさか……。心臓がどくんと大きく脈打つ。

 出来たって……。


「ほら」と妻はバッグから赤いマフラーを取り出す「やっと完成したのよ」

「ま、マフラー……?」

「そう。結構、難しいものね。マフラーだからって侮ってたわ」

「な、なんだ。マフラーかよ」

「なによ、不服なの。せっかく作ったのに」


 スンと横を向く妻に慌ててフォローを入れる。「いやいや、不服なんてとんでもない。貰えるものはありがたく受け取るよ」


 不満げな顔をしながらも、妻は手編みのマフラーをふぁさっと首に巻いてくれた。毛糸の温かさに首筋が包まれる。十一月というのに、店内は季節問わず冷房を効かせているため肌寒いが、マフラーのおかげで幾分か冷えを和らぐことができた。


「それとね。もう一つ出来たのよ」

「もう一つ? 帽子かなんか」


 妻は静かに首を振る。その顔は、喜びを隠しきれないように頬が緩んでいた。


「赤ちゃん」


「え?」なんだそれ。人間って本当にびっくりすると疑問符しかでないようだ。

「だから、赤ちゃんだって。今日、検査に行ってきたのよ。八週だって。心音も聴かせてもらったよ」


 この告白を受けて、やっと感情が喉に追い付く。


「ま、まじかよ。ど、どっちだよ。男? 女?」

「まだ分かんないって。すごい小さいから」

「ほんとかよ、まじかよ」


 馬鹿の一つ覚えのように、まじかよ、まじかよと連呼する。あらゆる語彙は全てまじかよに変換された。


 あまりの興奮に妻はぷっと笑い、まじよまじ、と応える。


 大の大人が閉店後のスーパーで「まじかよ」「まじよ」を延々繰り返す、なんとも奇妙で滑稽なシチュエーション。

 やがて、笑い疲れた妻は目の前に陳列される宝箱に目を移し、何かを発見して手招きする。指し示されたのはブラックチョコの空容器で形作られた小さな宝箱。その中には、まるで本当の宝物のようにホワイトチョコがちょこんと収まっていた。


「子供の悪戯だね」

「面白いこと考えるわね」


 小さな子の手が届く範囲の宝箱には、全て同様の仕込みがされていた。

 ブラックチョコの宝箱かと思ったら中身はホワイトでした。ホワイトチョコの宝箱かと思ったらブラックでした。

 この悪戯にふと思いつく。子供を持つ親なら一度はこんな会話をしたことがあるんじゃないかと思える、あのフレーズを投げかけた。


「なあ、君はどっちが生まれて欲しいとかある?」

「別に」即答だった。


 どっちも素敵だよ。


 だよな。



 了

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