6 瓦解
そんな戦う理由をくれた冬野との再開は想像以上に早いものとなった。
「お前なんでこんな時間に出歩いてんの?」
「んーまあなんというか緊急事態が発生したんだよ」
深夜二十二時。観回りの途中で、この時間帯に外出してコンビニに入っていった冬野を見かけて思わず声を掛けた。
今この辺りの治安は最悪で。普段もできればその方が良いのは間違いないけれど、今は特にこういう時間帯に外出はしない方がいい。多分学校でもそういう話が出ている筈だ。
それなのに、普段以上に閑散としている夜に、冬野は此処に居た。
「なんだよ緊急事態って。こんな時に外出する様な理由か?」
「あーうん、一応ね。これ買いに来たんだ」
そう言って冬野が棚から取ったのは、猫の餌だ。
「うち猫飼ってるんだけどね、中々下が肥えてるっていうか、良い奴じゃないと食べないんだよね。まったく、カカリチョウって名前なのに内のヒエラルギーが一番高いんだよね」
「じゃあつまり、えーっとカカリチョウ? のごはんが無くなってたと」
「そ。明日の朝ごはんが気が付けば消滅してました。それでダッシュで買いに来たんだ」
「……まあ理由は分かったけど親とか止めなかったか? つーかこんな時に娘一人で行かせんなよ」
「えーっと、お父さん帰って来てたら私が来てないかな。なんか今日仕事忙しくて会社に泊まるかもって言ってたし」
「……なるほど」
母親は? なんてのは触れてはいけない気がしたから触れなかった。
「で、桜野君は……まあ、仕事だよね」
「ああ、見回りだよ見回り。滅血師のやらなきゃいけない通常業務」
「一人で?」
「まあな。人手死ぬ程足りねえし……あ、でも今日さえ乗り切れば暫く休めるんだよ」
「え? そうなの?」
「他県からの応援もだけど、今回の吸血鬼の対策部隊が編成されて、それが明日にはこっちに投入されるらしいんだ。そうなったら……他の大人は分からねえけど、俺はひとまず外れる。だからまあ中一日はガッツリ家で休むけど、それからは普通に学校行けるわ」
「……そっか。よかった」
冬野はどこか自分の事みたいに安堵の表情を浮かべてくれる。
そんな冬野を見て隼人も笑みを浮かべて言う。
「まあとにかく早いとこと家帰れよ。今ほんと危ねえからさ」
送っていくとは言えなかった。確かに一人にするのも危ないだろうが、今滅血師を狙う吸血鬼がいる以上、自分といる事がより危険になる可能性が高い。
「うん、そうするよ……っと、ついでにジュース買ってこ」
「俺もコーヒーでも買ってくかな。眠いしカフェイン取りてえ」
「そういえば桜野君ブラック飲める?」
「飲める訳ねえだろ。正直言い方悪いけどアレ好んで飲んでるの舌イカレてるって」
思わず正直に答えてから気付いた。
(し、しまった。もし冬野がブラック派だったら俺はとんでもねえ事を……ッ!)
おそるおそる冬野の方を見るが、どうやら杞憂だったようで、冬野は頷く。
「うんうん、同感。私もほんと理解できなくてさ。正直泥水みたいなものじゃない?」
(セェェェェェェェェェェェェェェフッ!)
内心叫びながらその言葉に深く頷く。
兄貴や両親の事は尊敬しているが、それでもそれだけはマジで頭がおかしいと思ってる。
それはともかく冬野はその後何を買うか少し悩んでいて。流石に仕事中にあまりそれに付き合う訳にもいかなくて。微糖の缶コーヒーを手に冬野に別れを告げてコンビニを出た。
(……よし、気合い入れろ。今日さえ乗り切りゃいいんだ)
そう考えながら缶コーヒーのプルタブを空けながら駐車場を出ようとする。
(……しっかし、こんな状況になってもなんだかんだ客いるもんだな)
視界にコンビニの客と思わしき者が写った。冷静に考えれば学生とは違い、社会人は夜に出歩かない生活リズムを必ずしも築ける訳では無い。こんな状況になっても夜にコンビニに訪れる客もいるのだろう。目の前の男に対しては、そんな印象しか持っていなかった。
半径七メートル。その距離まで近づくまでは。
「……ッ!」
見鬼の力が反応した。直前に血液を吸っているという事を示す反応。そしてその色は、これまでどれだけの人間の血を吸ってきたのかという程のドス黒い。
そう感じて全身に呪力を流した次の瞬間には、もう吸血鬼の男は目の前にいた。
(速い……ッ!)
バックステップで後方へ跳ぶと同時に、足が付いていた地点から半透明の結界を生やす。
だけど今の移動速度を考慮すれば、それを容易に破れるだけの身体能力を持っている事は容易に想像できて。なんとか相手の動きに合わせる様に腕を交差させた。
次の瞬間、破砕音と共に結界が男の足によって砕かれて、そのまま隼人の腕に到達する。
「グ……ッ」
結界で。バックステップで。僅かだが勢いは殺した筈だ。それでも腕に伝わる一撃が重い。骨が軋む。軋むだけでは済まない。軋んだ先にへし折れるような、そんな感覚が伝わってきて、激痛と共に一撃で弾き飛ばされた体がコンビニの自動ドアを突き破る。そしてそのまま勢いを殆殺す事無く床をバウンドし、陳列棚に背中を叩きつけられた。
「うぐ……がッ、あ……ッ」
背中を強打して息ができない。思うように酸素を取り込めない事が思考を半ばパニック状態に陥らせる。そして。
(息ができ……痛い……痛い痛い痛い! 腕……うでぇッ……ああああああああああッ!)
へし折られた腕が今まで感じたことが無い程の激痛を訴えていた。
戦う力を得る事が、それ即ち痛みに対する耐性を得るものかと言えばそれは違って。
余程強靭な精神を持ち合わせていなければ、腕を折られて平然としていられる訳がない。
そしてパニックと激痛に追い討ちを掛けるように……それをやった男はまだそこにいる。
蹲るこちらを見て、愉悦に塗れた様な笑みを浮かべながら歩みを進めている。
(……殺される)
混乱する思考の中でふとそんな言葉が浮かんできて血の気が引いた。向こうが件の吸血鬼かどうかは分からないが、少なくとも今の攻防で自分よりも格上だという事は理解できてしまって。それで一方的に深手を追わされ今自分は一人で、どうやったって殺される。
そう考えてしまって、更にどうしようもなく思考が纏まらなくなる……だけど。
「さ、桜野君! 大丈夫!? 桜野君!」
「……ッ」
何が起きたか分からなくて立ち尽くしていたのかもしれない。そんな冬野が叫び声と共に駆け寄って来て、体を揺さぶられて。ようやく思考が纏まった。
(なに……やってんだ俺は)
こんな所で寝ている場合じゃない。一人で勝手に絶望してる場合じゃない。
(泣くな……喚くな! 起き上がれ! 冬野を……守れッ!)
拳を握り絞めながら、ようやく少し呼吸出来るようになった肺に酸素を貯めて口を開く。
「……させ、ねえぞ」
そして正面の男に全神経を向けながらゆっくりと立ち上がる。
仮に目の前の吸血鬼がただ単純に強かった有象無象なら確実に。そして件の吸血鬼だったとしても、滅血師を積極的に狙っているだけで、そうではない人間を狙わない訳では無い筈だから。冬野が危ない。レジの定員は客を置いて一人でバックヤードから逃げて冬野は逃げ遅れた今、自分のやるべき事は。
「てめえなんかに、冬野を殺させてたまるか!」
言いながら右手に呪符を構えた。
勝てない。勝てない。勝てるわけがない。分かっている。そんな事は分かっている。
それでもなんとか冬野だけでもこの場から逃がさなければならない。
その為に戦わなければならない。
そんな必死な隼人とは対照的に目の前の吸血鬼は興味深い物を見る様に笑い声を上げた。
「ふは、フハハハッ! なんだキミは。見所たっぷりさんだなオイオイオーイ」
そう言った彼はその場に立ち止る。
(……攻撃、してこないのか?)
そもそも今までこちらにゆっくり歩いてきたのも意味不明だった。向こうのフィジカルを考えれば、三回は殺されていてもおかしくなかったのに今だ追撃すらない。
「おいおい不思議な物見る視線向けてくれちゃって。何もしてこない事がそんなに不思議かい? まあ気持ちは分かるけど。基本こんな事してもメリットないしね。でもまあキミは唯一僕の初撃をくらっても意識があるようだし? 少し興味は沸くよ。あの桜野雄吾ですら反応ビックリする位鈍かったからね。うん、キミは見鬼の才と反射神経においては彼を越えているんじゃないだろうか?」
「……やっぱお前か、例の姿変える吸血鬼って奴は」
「ご明察。いやー思った以上に事がうまく進みすぎてこんなもんかって拍子抜けだったんだ。だからまあ、キミみたいなのに出会えてよかったよ。もっとも……もっと面白い光景を見られたんだけど」
そう言って男が指刺したのは……冬野だった。
「彼女、キミの友達かい?」
「だったら……なんだよ」
「いやぁ、なんというかさ、滑稽だなーって思ってさ。キミはそうだね、本当は今の状況が怖くて仕方がない筈だ。わかるよ、うん。色々な人間を見てきたから僕には分かる。だけどそれでもさ、それを圧し殺して命を掛けて、悪い吸血鬼からその子を守ろうとしているんだ。いやぁ、泣けてくるねえ……ほんと、泣けてくるよ」
泣けてくると言いながらも吸血鬼は半笑いでそんな事を言った。
そして冬野が、俺にしか聞こえないような、震えた小さな声で言う。
「え……ちょっと待って……やめ……」
だけど男は止まる事無く言い放つ。
「キミの後ろの女の子も、悪い吸血鬼なのにさ」
その言葉に思わず冬野の方に視線を向けて、そして……何かが崩れる感覚があった。
確かに吸血鬼は同族を見破る事ができる。だけど目の前の頭のおかしい男の話なんて全て聞き流してしまえばそれで終いなのだ。そもそも信頼できる相手ではないのだから、その発言に信憑性は無い。だけど視界の先では冬野が酷く動揺した様な表情を浮かべていて。
「ち、ちが……違くて……」
それはまるで男の話を裏付けているようにしか見えなくて。
「もう取り繕わなくてもいいよ、お嬢さん」
そして再び向き直した視線の先の男は、笑って言うのだ。
「彼はもう此処で死ぬ。キミは正体を知られずまた日常に戻れるのだから」
そんな、人間に対して向ける悪意の籠った笑みではなく、吸血鬼に対して向ける様な敵意の無いそんな表情で。
「日頃満足に血は吸えているかい? 良かったらこの滑稽な少年の血でディナーでも――」
「お前ちょっと黙れよ!」
震えた声で叫び散らし、拳を握り殴りかかった。
黙らせたかった。冬野が吸血鬼であるという妄言を止めたかった。
「冬野はお前らなんかとは違う! 違うんだ!」
妄言であると必死になって自分自身に言い聞かせた。だけど言い聞かせようとしている事に気付いてしまっている時点で、思考一杯に広がった妄言であって欲しい可能性は収まらなくて。冬野の動揺を見てしまった時点で何をどうやっても現実逃避から抜け出せない。
「同じだよ」
空を切った拳に対しカウンターを放つように、突然伸ばされた爪を男は振るう。それに対し咄嗟に真横に跳んだ。だけど圧倒的な格上が放ったその攻撃を躱せる筈もなくて。
「ガ……ッ!?」
爪の先端が隼人の脇腹を抉った。
激痛により意識が飛び掛け、真横に跳んでいた体はバランスを崩し床に勢いよく転がる。
「ガ……あ………ッ」
激痛で熱を持つ脇腹から多量の血液が溢れだして床を赤く染めていき、明確に自分という人間の死が近づいているのが感覚的に理解できた。それが理解できれば思考回路はぐちゃぐちゃになって。畏怖と恐怖に支配された思考回路は気力も何も全てを奪い取っていく。
だけどまだ体を動かす意思は残っていて、せめて冬野が人間であるという確信が欲しくて。妄言を吐いている筈の男から、人間である筈の冬野を逃がさなければならなくて。
とにかく冬野の存在だけが力をくれた。せめて本当に最悪な現実から逃避する為の力を。
だけど……そんな僅かな原動力も、容易く瓦解してしまう。
だってそうだ。視線を向けた先。男はこちらを見てにたにたと笑っていた男が次の瞬間には消えていたのだから。
「わあああああああああああああああああああああああッ!」
代わりに誰かに暴力なんて振るった事が無いんじゃないかという程拙い動きで、人間離れした力で男を文字通り殴り飛ばした冬野がそこにいたのだから。
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