5 頑張る理由

 結論だけを言えば件の吸血鬼の討伐は失敗に終わった。

 滅血師側の被害は甚大。そしてその甚大な被害と引き換えに得た情報は、自分達が相手にしている存在がより最悪な存在であると決定付ける情報のみ。


 敵の吸血能力は衣服を含めた容姿から声帯までのあらゆる外的特徴を作り変える能力だ。それも吸血能力の中でも吸血時に即時発動するタイプではなく、吸血の度に能力の発動をストックできるタイプの物。つまり事前に得た容姿の情報など役に立たない。


 そして後手に回った時点で敗北が約束される程に、真正面から精鋭がぶつかっても難なく切り抜けられるほどに、素の身体能力が最高クラスに高い。高かった。


 故に最初に遭遇した部隊は最低限の情報だけを別部隊に回してほぼ壊滅。そして声音を変えて別部隊に発信された無線により、結果的にネズミ取りの如く壊滅的な被害を被った。


 だから桜野雄吾の敗北から始まった件の吸血鬼との戦いの初日は、滅血師側の圧倒的敗北に終わったと言える。


「……クソ、応援まだかよ……過労死するぞマジでこれ」


 あれから一週間が経過した日の朝。隼人は返り血塗れの姿で力無く帰路に着いていた。

 あの一件からの一週間は、まさに地獄と言っても過言ではなかった。


 この一週間、滅血師だけが何者かに殺害される事件が多発していた。何者かと言われてはいるが、ほぼ間違いなく件の吸血鬼が犯人だと推測されている。

 雄吾達の前に現れたのも。無線を利用して他の部隊を潰したのも。おそらくその一環だ。


 その理由は分からないが、次は自分かもしれないという可能性がある事は分かっていて。それが常に精神的な負荷として圧し掛かってくる。


 だけどそれだけならまだ良かった。良くはないけど、それだけならまだマシだった。


 今回の一件で滅血師の人員不足が加速し、その反面普段相手にしている様な雑魚の動きまでが活発化する。他県の支部が応援の部隊を編成してくれる段取りにはなっているそうだが、何処もギリギリの人材で回していて。件の化物染みた吸血鬼の存在もありそれもスムーズに行かなくて。


 つまりは通常よりも厄介すぎるこの状況を、少ない人材で回していかなければならない。

 そうなれば大人達も隼人の様な人材を積極的に動かさなければならなくて、その結果が学校を休んで昼夜問わず走り回っている今の現状。いい加減過労と心労で倒れそうだった。


 だけどそれよりも辛い事が一つ。追い打ちを掛けるような事が一つ。


「……ッ」


 丁度今は通学時間だった。だからクラスメイトと遭遇する事も当然ある。

 そのクラスメイト達が、遠方で自分を見た途端に露骨に道を変えた。自分を避けた。


(分かってる……そりゃ巻き込まれたくねえのは分かるけど……分かるけどさぁ……ッ)


 滅血師が狙われているのは周知の事実で。故に皆自分達と極力関わらない様にしている。

 ラインなどでは頑張れだの大丈夫だの言ってくるのにこれだ。分かっている。気持ちは分かる。仕方がない。もし逆の立場ならどうするか分からない……それでも。酷く苦しい。

 と、その時だった。


(……冬野か)


 ラインの通知音が鳴ったので画面を見ると、どうやら送り主は冬野らしい。


『今日は学校来れそう?』


 そんな既に色んな奴から受け取った様なメッセージに返信を返していく。


『まだ無理そう』


『大丈夫?』


『大丈夫』


 短く言葉を返してスマホをポケットに仕舞った。普段は冬野からラインが来ればそれだけでテンションが上がるのだけれど、それでも今はもうそれどころじゃない。それどころか、もし今冬野と会ったら同じ様に避けられるのだろうなと連想してしまって、より心が重くなる。


 そしてそんな風に重い心でフラフラと帰路についていた、その時だった。

 視界の先に冬野を見付けたのは。


 こちらを見てもそのまま真っ直ぐ歩いてくる。否、駆け寄ってくる冬野を見付けたのは。


「桜野君! 大丈夫? それ返り血!? 怪我!? どっち!?」


 相変わらずの慌てた形相でそう聞いてくる。


「……ッ」


 ……聞いてきてくれる。なんだかそれだけで泣きそうになってきた。

 だけど涙は堪えて、冬野を安心させる為に頑張って笑みを浮かべてみた。


「大丈夫、返り血。俺は一応無傷」


「……やっぱり大丈夫じゃないじゃん」


 だけど冬野の反応は先週同じような事があった時の様な安堵に満ちた様な物ではなくて。

 慌てた様子は無くなったけれど。それでも表情は暗くて。


「……え? いや、だから怪我はしてねえって」


「怪我はじゃん……大丈夫なの、それだけじゃん」


「……ああ。大丈夫大丈夫。寧ろ大手を振って勉強サボれてるから無茶苦茶元気!」


 冬野が何を言いたいのかを理解して、慌ててそう取り繕った。

 情けない姿を。心配させる様な姿を見せたくない。その位の見栄は張りたい……だけど。


「嘘だよ……いつも見てるからおかしいの分かるもん」


 そもそもこういう話になっている時点で、全ては筒抜けだった。


「……いつも見てるって、は? え?」


 突然投げかけられた言葉に呆気に取られていると、冬野が慌てて顔を赤くして言う。


「あ、いや、それはこう……ちがくて。うん、えーっと……今の無し。今のは無しで。私は何も言ってないし、桜野君も何も聞いてない。オーケー?」


「お、オーケー」


「よしよし……ふぅ」


 冬野は落ち着かせるように軽く息を付くが、隼人はというと全く思考がまとまらない。


(え、ちょっと待って。いつも見てるって何。それつまりどういう事だ? え? ん?)


 そして纏まらない思考を一時的に止める様に、冬野の落ち着いた声が耳に届く。


「桜野君」


「な、なんだよ」


「弱音吐かれてもあんまり大した事は出来ないかもしれないけどさ。それでもやっぱり何かできる事ってあるかもしれないし……うん、だからね。つまんない見栄張らないでよ。友達じゃん私達」


「……冬野」


 自然と、気が楽になっていくような気がした。

 誰かに吐きたい弱音は沢山あって。それは一つたりとも漏らしていなくて……それでも。


「大丈夫だよ、冬野」


「桜野君!」


「……大丈夫」


 今度は割と自然な笑顔を浮かべられた気がした。

 もう大丈夫だ。そんな事を真剣に言ってくれる奴がいるのが分かったならまだ頑張れる。


「……そっか」


 冬野も分かってくれたのか、そう言ってくれた。


「早く落着けるようになるといいね」


「だな。それまではもうちょっと頑張ってみるよ」


 言いながら思った。冬野は今も戦ってきたような倫理観の狂った頭のおかしい吸血鬼と同類なんかじゃないと。冬野雪は疑いようのない人間だと。もう、それでいいと思った。


 だとすれば何故何もしないのか。それは分からないままだがそんな事はもうどうでも良くて。滅血師として最低な選択肢を取り続けた末に出した放任な答えかもしれないけれど。

 それでももう、それでいい。僅かな疑いも冬野には掛けちゃいけない。掛けたくない。


「じゃあうん。もう無理してる桜野君に言うのはおかしいかもしれないけど、あんまり無理しないでね。それじゃ、また学校で」


「おう」


 そう言って冬野と別れ、改めて帰路に付く。足取りは重い。だけど比較的軽くも感じた。

 少し元気を貰って、そして期待だとか責任感だとか、そんな事以外の戦う理由が出来た。

 自分が頑張る事で冬野雪の安全が少しでも守れるのなら、それは十分すぎる理由だ。


(……そうだな。もうちょっと頑張ってみっか)


 冬野の事を考えながら、緩やかに拳を握り絞めた。


(……いや、というかいつも見てるってマジでどういう……)


 すぐに思考はぐちゃぐちゃになったのだけど。

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