溢れかえる脳みそ

@taeka

第1話 溢れかえる脳みそ

 考えてみれば、私はすこしだけ、周りが見えにくい子どもでした。確かに私はかつて遠視でしたが、メガネをかけてみても、ちっとも「ちぐはぐな世界」は治りませんでした。

 十八歳の時、アルバイトで無理な働き方をして体調を崩し、全く眠れなくなって心療内科にかかったのがきっかけでした。何度目かの診察で、不安障害と診断されました。

 処方してもらった薬を飲みましたが、一向に「ちぐはぐな世界」は治りませんでした。それどころか、家にお金を入れようと意気込んでいたアルバイトも、勤務時間が増えるにつれ、衝動的な買い物が増えました。その結果、クレジットカードの支払い金額がものすごいことになり、支払いが終わったのは4年ほど経った、今年の春ごろでした。

 このクレジットカード事件があって、「私はなにかの病気かもしれない」という思いに駆り立てられるようになり、毎日Safariの検索バーに自分の症状を打ち込み、この「ちぐはぐな世界」の原因を探りました。

 そのとき、流行していた(と言うと非常に軽薄な感じがしますが)ADHD(注意欠如多動性障害)の診断が出回っていました。大学に入学したときは養護学校の教員を目指していたので、初めて見る単語ではありませんでした。「まさか」と思いながら診断のリンクをタップし、出てきたチェックリストを見て愕然としました。

 ちぐはぐなのは世界ではなく、私の方だ。

 後日、病院による「最後の審判」によって、正式に判ぜられました。

 私は、ADHDの傾向のある広汎性発達障害(ASD)だったのです。




 世界はまるでジグソーパズルだと思ったのは、高校生の時です。今でいう、受験うつになっていた頃でした。

 人間はパズルのピースです。それがうまいことはまって、世界はできているんだと本気で考えました。そして、そんな「世界」の中で、自分はどこにもはまらないピースだと思ったのです。

 いままで「世界」には、「私」のかたちに空いたスペースがあって、私はそこに収まっているつもりでした。それが、成長して私というピースがスペースに収まらなくなって、とうとうはちきれたように思いました。「ちぐはぐな世界」の始まりです。

 そう思った途端にすべてがどうでも良くなり、卒業までのしばらくの間、家から出られなくなりました。受験も、第一志望には受からず、結局、叔父の温情で私立の大学へ通わせてもらうことになりました。

 国公立ではなく私立だけど、文学部のある大学に通える。そのことで気持ちは随分晴れやかになりました。

 しかし今度は、その晴れやかな気持ちのままバイトの面接を受け、嘘みたいに軽くなった体で、キャンパスをあちこち飛び回るようになりました。「私にできないことはない」、本気でそう思いました。それが、「かりそめの無敵状態」とも知らずに。

 処方された薬のおかげなのか、今はそんな「かりそめ」の、代償の大きい頑張りはできなくなりましたが。



 ところで、最近になってようやく、自分の障害について知ろうと思いました。しかし、本やサイトを読んで得られたのは、「自分は普通じゃない」という喪失感にも似た感情と、「この先どうやって生きていけばいいのか?」という絶望でした。

 どの本にもサイトにも、ADHDの特徴の一つに、「優先順位がつけられない」というものがありました。

 これがどういうことかを、自分なりに書くと、まず、私にとって最優先事項をみつけることは、「ルビーやサファイアのなかからひとつをダイアモンドにしなさい」と言われているのと同じなのです。

 ルビーやサファイアがそれ以上の価値をもたないのと同様に、私にとって「やるべきこと」はあくまで「やるべきこと」であり、それ以上の価値を持たないのです。

 しかし、私にはルビーやサファイアでしかない事柄も、他の人たちにはダイアモンドに変えることができる得るものなのです。

 そう考えると、明らかにルビーやサファイアをダイアモンドにできる「魔法使いたち」を見つけ、その方に答えを問うたほうが、能力なき私には負担が少ないのです。



 ひとつ注意してください。「能力なき」と言いましたが、私は何も出来ないわけではありません。

 普通のひとよりもかなりの時間を要しましたが、「(好きな分野の)勉強が好きです」と言えるまでになりました。

 でも、役所の生活保護課の担当者は、「大学院にいく」と言う私を、不思議そうな、すこし見下したような目で見ます。「大学院は普通に暮らしている人でも、学費のことを気にして通わなかったりするんだよ」と、まるで子どもを諭すように言います。母はこの人に、「お嬢さんはそんなに頭がいいんですか?」と面と向かって言われたと、悲しそうにしていました。私は、そんな母の背中を黙ってさすることしかできませんでした。


 これはきっと、障害だけが問題になっているのではないのだと思いますが、要因のひとつではあるでしょう。


 だからこそ、言いたいのです。


 「なにができてなにができないのか」は、障害の種類や程度、また、家庭環境や学習状況、もっと細かな環境の違いによって異なるのです。「障害は甘えだ、もっと頑張れ」と言われるのが、障がい者当人には非常に負担になるのと同じように、「障がい者はなにもできないんだから、なにもするな」と言われることもまた、非常に悲しく、苦しいのです。


 最初から全てを知っている人なんて、誰もいません。


 でも、障害について知ろうとすることは誰にでもできると思うのです。


 私を含め、世間の人たちにはそういう努力をしている人が、本当にいるのでしょうか。




 時折、母に孫の顔見せてあげたいと思うようになりました。それが、一昨年末の祖母の死や昨年の叔父の死、そして、今年一月の祖父の死、これら三度の死を経験するなかでその気持ちは日に日に増してきました。(急に何の話かとお思いになるでしょうが、これは私にとって大変な進歩なのです。)

 しかし、自分の方も父方も、知的障害者や精神疾患のある人の生まれやすい家系だと、むかし母が言っていたのを鮮明に覚えていましたから、

「それでは、生まれてくる子供が可哀想」

 なんの悪意もなく、私はそう思いました。そう思って、ゾッと鳥肌が立ちました。


「私は気付かぬうちに、障害がある人って可哀想と思っていたのか?」

「それは、障害があって生きている(生きていた)人たちに、とても失礼なことではないか?」

「私は家族に対して、可哀想と思ったことがあるんじゃないか?」

「そして、それは、まわりまわって自己憐憫ではないか?」


 さまざまな疑問が、壊れたネオンのようにチカチカ点灯して、視界の端から端へと流れていきました。そして、耳元では、その疑問をブツブツと繰り返す自分の声が止みませんでした。

 しかし、視界のネオンの光も、自分の声も、ある声を契機にプツンと途切れました。


 ―――ああ、あるのかも知れない。


 その声もまた、自分の声でした。それは、耳元からではなく、頭のすぐ上から聞こえました。


「あるのかも知れない」


 私は口の中でその言葉を反芻して、自分の残酷な一面に気付いてしまったのです。


 あったのです。

 知りたくない意識の底で、知的障害のある兄弟を可哀想と勝手に思っていたことが。そして、自分自身に対してもまた、周りと違う自分が哀れだと、惨めだと思ってきたのだと悟りました。

 今まで、損得や幸か不幸かを判ずるのは、世間という名の他人だけで、自分にはそのハンコをもつ権利がないと思ってきたのです。けれど、それは違いました。私から見てあなたが他人であるのと同様に、あなたにとって私もまた、他人という名の世間なのです。

 私はきっとどこかで、自分は周りと違う存在だと、特別だと、最近まで思ってきたのです。

 その点では、私の兄は特別な存在です。(弟は世間というものをなんとなくわかり始めて、他人に対するなんらかのハンコを掴みかけているところのように見えます)

 しかし、兄は違う。それは、彼が素直さという美徳を持っているからだと思っています。(弟も持っています、きっと)

 兄は義足の選手をテレビで見たとき、「あの人、足ちがうね、どうしたの?」と私に聞きました。私はなんと答えたか覚えていません。ただ、兄がその人のことを最後まで「可哀想」と言わなかったのを覚えています。

 彼の前にはただただ、事実のみがあるのです。足がないという事実。それはそういうもので、仕方がないことだと認識されたのではないかと思います。

 思い返してみれば、兄の学校時代、時計を読めないのを先生かクラスメイトかに指摘されたときも、「読めないんだから仕方ないでしょ」と当然のことのように言っていました。時計が読めない、ということを恥じず、まして悲しんでもいませんでした。そういうわけで、どうしても勉強に意識が向かず、相当に先生方の手を焼かせたのですが。




 話は逸れましたが、要するに、兄には他人や自分の幸せを自分の定規で測って「可哀想」と判ずることを知らない素直さ、純粋さがあるのです。

 その美徳に、時に救われ、時に絶望します。

 こうして考えてみると、私にはやはり、私には私の定規があって、ハンコがあるようです。そのなによりの証拠は、いまだに「自分は哀れだ、不幸だ」と決めつけていることです。私は自分と自分の未来にのみ、可哀想ハンコ、果てには不幸ハンコを押しているようです。この分だと、孫の顔以前にパートナーをみつけることも、まだまだ先のことになりそうです。

 それから、母には申し訳ないですが、とある妄想をしてしまいました。

 それは、母の葬儀で兄と弟が、「ママ、ぼくたち、幸せだったよ」と言ってくれたら……という、遠い先のことであってほしい未来の妄想です。

 幸せハンコを手に入れてくれたら。唯一の定規とハンコが幸福だったら。

 これほど幸せなことはこの世にないと、勝手に決めつけてみるのです。


 みっつのお星さまと、数えきれない命のろうそくの灯りに手を合わせて、私の話を終わります。

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