10.水中花

 はるかりつの執務室に顔を出すと、彼はいつもより二割増しほどの笑顔を向けてきた。

 何かいい事でもあったのかなと遥も笑みを浮かべて彼に近づく。


「今日、外に出た時に見つけてね、これ」


 律が可愛らしい箱を取り出してきた。円柱形で高さは十五センチほどだろうか。ラッピングなどは特にしていないが女性向けであると一目で判る色とデザインだ。


「遥さん、こういうの好きそうかなって」


 ふわっと笑う律につられて遥も笑う。まだ中身も見ていないのに律が自分を思って買ってきてくれたものだと思うとそれだけで胸が温かくなる。


「開けても、いい?」


 遥が尋ねると、ぜひにといわんばかりに律がうなずく。


 箱のふたをそっと開き、中身をゆっくりと取り出す。

 水中花だ。

 赤やピンク、黄色にオレンジ。

 小さな花たちが華やかに、にぎやかに、ガラスの中で咲きほこっている。


「わぁ、きれいね」


 思わず感嘆が漏れる。


 水中花はデザインも様々だ。もっと大きな花を飾っているものもあるが、遥は小さ目の花の方が好きだ。

 律は、そういうところも含めて遥が好きそうだとこれを選んでくれたのだろう。


「ありがとう」

「気に入ってくれたなら、うれしいよ」


 律の笑顔に遥は嬉しすぎて水中花をしっかりと抱きしめた。


「最近、蒼の夜の発生が増えて遥さんにも頑張ってもらっているから」


 彼の言葉に遥はかぶりをふる。


「わたしはただ、魔物を倒しているだけだから」


 「あかつき」のメンバーとしても働く律こそ、とても忙しい。

 彼の言うように最近蒼の夜の発生が増えてきている。もしかすると一年前のように地域全体が蒼の夜に包まれてしまう、などという事態になるかもしれない。


 あの時はまだ律も、命じられるままに戦うだけの戦闘員だった。遥や他の二人とともにパーティを組み、蒼の夜の魔物に挑んだ。


「あの時は、大変だったね」


 律も一年前のことを考えていたのか、それとも遥の顔色を窺って彼女が回想していることに気づいたのか。


「遥さんはとても強くて、僕のサポートもほぼいらないくらいで、なんていうか、足手まといぐらいに思われてないかってちょっと怖かったんだよ」


 律の笑顔に苦いものが混じる。


 そんなふうに思われていたのかと遥は口を軽くへの字に曲げた。


 遥が最初から戦えたのは剣術を学んでいたからだし、父から蒼の夜について聞いていた。心積もりがあったのだ。

 対し律は巻き込まれる形で、そう、ちょうどつかさと似たような状況で蒼の夜の存在を知り、戦う決意をしたばかりだった。


 基本が違いすぎる。戦いに不慣れであっても足手まといとは思わなかった。バフやデバフを駆使して遥達が戦いやすい環境を作ってくれたことに感謝もした。


 それよりも、少々頼りなく思える性格や言動の方が気になったほどだ。同い年とは思えない、純粋な少年を絵に描いたような人だったから。


 だが律が大学を中退してトラストスタッフで働き始めてからは、とたんに社会人らしくなった。頼もしいとさえ思えるようになった。人当りが柔らかすぎるのは相変わらずだが。


 気が付けば、異性としても惹かれていた。


「律は、わたしの大切な人よ」


 あふれでそうないとしさを、今抱きしめられない律の代わりに水中花に注ぐように遥は言った。


 二人とも、自分の気持ちを直接相手に伝えるのは苦手だ。

 だからこそ、短い言葉に込めた気持ちを、互いにしっかりと受け止めているつもりだ。


 律は「ありがとう」と言って、いつもより二割増しプラスアルファの笑顔のまま仕事に戻っていった。


 仕事に向かう横顔さえも、遥を優しく守ってくれている気になる。


 ――そんな彼のためにも、わたしはわたしにできることをする。


 遥はそっと水中花をしまって、とりあえず律のためにお茶を淹れてくることにした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る