銀杏

 息が詰まり、身が切り裂けそうな風の渦。そして、鼻を曲げそうな独特な臭い。


 ーーひゃっ、ひゃっ、ひゃっ。愉快だ、実に愉快だ。見事に痛快だ。


 風の音に混じって、嘲笑いが聞こえる。

 茶太郎は直感した。不愉快な風を渦巻かせるのは何かと、見極めた。


 切り裂き“モノ”が、現れた。とーー。



 ***



 茶太郎が身に纏う単衣の袂に「すぱり」と切り目が入り、今にもちぎれ落ちそうだった。

 切り裂き“モノ”の仕業だ。奴が“かまいたち”の通力を操って仕掛けたのはわかるが、吹き荒ぶ風が舞い上がらせた銀杏の落葉が視野を遮って、姿が捉えられない。しかし、怯めば護り抱える椿を危険な目に晒してしまう。


 切り裂き“モノ”は椿を狙っている。昨晩吹き荒れた突風は予告だったのだろう。銀杏並木を丸坊主にさせて“かまいたち”の通力がどれ程の威力があるのかを誇示して。そして、夜が明けての今、実行に移った。

 椿そのものを狙っているならば、椿の単独行動を計らってでの行動をする筈だ。しかし、やつは茶太郎をも狙っているような仕掛けをしている。


『うひ、うひ。あんたが丸腰のうちにやっちまうよ。がなかったら“影切り”はただの人だ。どうする、どうする。おれっちを捕まえようとも“奉行所”に行かなければならないだろう。なあ“捕り物”さん』


 茶太郎は「ぷつり」と、怒りを膨らませた。

 奴は此方の素性をだが“捕り物”と“影切り”で動くには道具が必要であることも知っている。何時、何処で情報を獲たのは不明だが、失態をおかしてしまったことに言い訳は出来ない。おそらく、処分の対象となる。


 しかし、今は何を優先にするべきか。感情まかせになるのは奴の思う壺となる。茶太郎は「すう」と息を吸い込み「はあ」と、息を吐く。


 切り裂き“モノ”のを感覚で探り当てる。ひとつは嗅覚。銀杏の実の臭いと似ていて紛らわしいが、じっくりと嗅ぐと独特な臭いがしている。もうひとつは聴覚。聞くには腹立たしい声を、ご丁寧にはっきりと発している。さらにひとつは視覚。誇らしげに素早い動きをしているだろうが、痕跡を残しているのを気づいていないところが間抜けだ。残りは触覚。動きを封じるに“影切り”の通力を発動をしなくても十分に対応出来るし、道具無しでも同じくだ。


 先ずは、椿を安全な場所へ。宇井雨衣は、椿の掌の中で護られている。


 ーー天神様が……。


 先日、地元住民が口を切っていたことを思いだした。目の前で見える境内に、椿を避難させるのを茶太郎は決するのであった。


 びゅん、びゅん。ばし、ばし。


 切り裂き“モノ”は動き続けている。茶太郎は椿を抱えて境内へと移動する。


「椿。手を離して申し訳ないが、此所で辛抱していて」

 茶太郎は境内の入口である鳥居の下に椿を下ろし、荒れ狂う風で折れ落ちた太い樹木の枝を拾う。


『へっ、考えたな。まあ、いいさ。あんたを始末して、慌て出てきた“白波椿”をいたぶるをすればいいからさ』


 切り裂き“モノ”にも畏れがあった。椿を境内に避難させたのは、正しかった。

 言い伝えは真だった。この【赤水】で、かつて何かが起きた。そして鎮圧したが、事は繰り返されていた。


 ーー退かせるは出来ても封じるに力量が足りなかったと、俺の師匠が凄く悔しがって昔話を聞かせたくれた。でもな、俺は言ったさ。師匠は今でも【赤水】の英雄だ。今度は俺がやってやると啖呵を切ったが、尻尾を巻いて逃げてしまった。茶太郎、腰抜けの俺を笑い飛ばせ……。


 呑んだ酒の勢いなのかはさておき。大の男が愚痴を溢すのは相当な覚悟がいる筈だ。あの作蔵でも、心が折れることがある。と、ある日作蔵と酒を酌み交わしたことを茶太郎は振り返った。


 作蔵、貴様の悲嘆は私が打ち消す。


 茶太郎は感覚を研ぎ澄ませる。ひと突きで切り裂き“モノ”の動きを封じると決して、吹き荒れる風の中に入り込む。歩幅を拡げると樹木の枝を握りしめながら脇を綴じ、切り裂き“モノ”の気配をじっと逐う。

 ざざざん。と、銀杏の落葉が地面から舞い上がるのと落ちるが見える。右に左に、上へ下へ。茶太郎は、銀杏の葉を見据えていた。指で数えて足りる葉の枚数が、地面に落ちないでの固定された動きをしている。


 此方から動くをするな、瞬間を待て。茶太郎は、ひたすらじっとしていた。

 銀杏の葉が、近付いている。瞬間が、やって来る。呼吸を悟られるな。ひとつ、ふたつ、みっつ。


 どどど、どうどう。と、轟音が聞こえる。切り裂き“モノ”が“かまいたち”の通力を発動させている。


 瞬間が、来た。茶太郎は「ぐっ」と、樹木の枝柄を握りしめる。


 ーー技、突き斬切……。


 茶太郎は樹木の枝先を前方へ水平に突く。鈍い感触は手応え有りと手首を捻るをして、右斜め上と腕を振り上げる。間、髪容れずに弦を枝先で描かせると、右斜め下へと腕を振り下げるをした。


 ふつりと、風がやんだ。舞い上がっていた銀杏の葉がひらひらと、ゆっくりと地面に落ちる。

 落ちたのは、銀杏の葉だけではなかった。茶太郎からの剣のような突きと斬りによって倒された“モノ”が、どっしりと地面に振動をさせて落ちるをした。


 これが、切り裂き“モノ”の姿。茶太郎は丸々とした身を表す“モノ”を見下ろしていた。見た目通り重たそうで食肉の原形をしている。いや、家畜そのものの姿をしている。かなり痛手を負わせたから暫くは動けないだろうが、万が一のことも考えなければならない。

 “モノ”が畏れるのを活用する。椿を避難させた境内に“モノ”を放り込む。考え方は正しかった。抱えるにも重くてずるずると“モノ”を引き摺って境内へと運ぶ。そして、鳥居を潜ったのと同時に“モノ”は目を覚ますが畏れに慄き、気絶をする。


「葉之助、私だ。緊急だが“奉行所”及び“自身番”への出動要請の手配を頼む。場所は【赤水】地区で目印は《絹天神》の境内。事案内容は、女性への暴行未遂と目撃者への暴行行為。……。ああ、私が取り押さえているが応急的な施しだから急いでほしい」


 葉之助と携帯電話で連絡を取り合っている茶太郎の傍に椿がいた。とても辛そうなさまをして、茶太郎の腕を「ぐっ」と、椿は抱えていた。


「椿。私が付き添うから、職場に事情を話しなさい」

「どうしても、なの」

「そなたは世間を騒がせている事件に巻き込まれた。事前に話すをして、万全の対策を職場にして貰うのだよ」

「……。わたしはこの通り、ぴんぴんしているのよ」

「椿、それはそれで良いのだよ。でも、あとからじわじわと、心に傷が湧く。余波を軽減させるには、そなたを支える為の援護が必要なのだよ」


「茶太郎は、わたしを人任せにするの」

 椿は、じわりと涙を溢れさせていた。

「待ちなさい、椿。誤解をしたら駄目だよ」


「茶太郎の意地悪には慣れっこよ。でも、でもなの。ああ、どうしよう。言いたいことが、ちっともまとまらない」

 椿はしくしくと、泣き出した。溢れる涙が、椿の掌の上に乗る宇井雨衣を濡らしていた。


 花の弁が散るを彷彿させる。


 茶太郎は、椿が哀しみを表す姿に居ても立ってもいられなかった。


 ーー椿、椿。愛おしい椿。私の中で、呼吸をしなさい……。


 茶太郎は椿をやさしく抱き寄せて、椿と口づけを交わしたーー。

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