波紋

 白の道着と黒の袴での稽古着を身に纏う茶太郎は、長髪をひとつに束ねて“奉行所”の敷地内にある武道場にいた。


 稽古は、当日の任務が終了してから。期間は、一週間。上司の“奉行”は短期間ではあるが、茶太郎に稽古をつけるを承諾した。


 ーー白波菊の花頃がもうすぐ終わる。花が1輪枯れていた。茶太郎、急ぐのだ……。


 切り裂き“モノ”が、現れる。


 “奉行”が伝える意味は“花が知らせている”と、茶太郎は察知したーー。



 ***



 1日目。

 稽古着姿になって武道場で“奉行”を待っていたのだが、一向に現れない。しびれを切らせて〈奉行室〉へと様子見に行く。

『悪い、コンタクトレンズを落としてしまった。茶太郎、探すの手伝って』

 畳の上にへばりついている“奉行”が、切実に言った。


 2日目。

 別件の事案が入り、対応に逐われた。稽古の時間に危うく遅れるところだった。急いで稽古着に着替え武道場に行くと、既に“奉行”がいた。

 喝を浴びせられると思いきや“奉行”は温厚な眼差しをしていた。

『反復横飛びとスクワットを300セット』

 全身の筋肉が千切れるかと思った。


 3日目。

 今日の稽古は遊戯だと、高を括ったことを反省した。稽古をつけて貰う前に、たかが影踏みだと甘く考えていた。

 “奉行”もとい、師匠の素早さが半端ない。月明かりに照らされて、落とされている師匠の影を踏めなかった。その間、自分の影は師匠に踏まれっぱなしで何度も転倒した。影を踏まれたことにより、動きを止められる。

 “影切り”にとっては、なんとも言えない状態だと痛感した。


 4日目。

 師匠から一冊の書物を渡された。

『10分以内に暗記して、俺に聴かせろ』

 書物の総頁は2000を軽く超している。

『はい、やり直し』

 舌をかむ、噎せる、1文字だけ間違って聞かせるをしたら、凄いことになってしまった。


 5日目。

 休暇日(自分の)を返上して、師匠から稽古をつけて貰った。場所を変えての稽古だった。国一番長い橋を観れるのは実に素晴らしい。

『はい、此所でバンジージャンプを100回』

 橋の下で流れる川の水面に、何度も口づけをした。


 6日目。

 書物の暗記は稽古に必要だったのか。しかし愚問する暇はない。明日で師匠から稽古をつけて貰えるのは終了してしまう。

『ぬるい、茶の味が薄い』

 折角淹れた茶に、ケチをつけられた。


 7日目。

 とうとう、師匠から稽古をつけて貰うのが終わってしまった。自分としては“影切り”の新しい通力が備わると期待していた。

(以下、余白)


 茶太郎は自宅で「はあ」と、溜め息を吐きながら日記帳の頁を閉じる。


『茶太郎さん、明日も仕事だよね。もう、寝ようよ』

「ああ、そうだよ。宇井雨衣、最近かまってやれなくて申し訳ない」

『茶太郎さん、気にしないで。ふっ、ふっ、ふっ』

「椿に会えるのが楽しみなのだね」

「うん。椿お姉さん、とっても優しいよ。今日は沢山キャベツをご馳走になったんだ』


 宇井雨衣が寂しい思いしないのは良いことだ。特に、ここ数日は椿に宇井雨衣を預けることが殆どだった。


 ーー切り裂き“モノ”は、近日中に動き出す。茶太郎、くれぐれも気を弛ませるな……。


 “奉行”は言っていた。

 〈奉行所〉の庭で栽培をした“白波菊”の花が今季の役目を終わらせたと、茶太郎に告げた。と、いうことは《成趣園》での”白波菊”も同じくだろう。


 びゅうびゅう、ばたんばたん。


 閉める雨戸に、夜風が打ち付けている。なんとも耳障りだと、寝床に入る茶太郎は眉を吊り上げた。


 ーーへっ、へっ、へっ……。


 不愉快な、嘲笑いが聞こえたーー。



 ***



 樹木の葉は、色付き始めたばかりだった。昨晩の突風で丸坊主になった銀杏並木が哀れで堪らない。だが、銀杏の落葉は曲者だ。見た目に似合わず、通行人と道路交通を泣かせるのである。どんなことかといえば、例えるならば通行人は凍結した路面で転倒するようなもので、車だったら同等の例えでスリップをしてハンドル操作を誤ってしまう。


 茶太郎は〈奉行所〉での務めに赴く為に、歩行専用道路一面に散乱している銀杏の落葉を避けて歩いていた。因みに茶太郎は務めの往復で乗用車を使わない。片道でも30分はあるだろう距離にある〈奉行所〉と自宅を、徒歩で往復していた。途中、寄り道をして。


「椿、何時もすまない」

「謝らないでね。と、何時も言っているでしょう。茶太郎」


 もう、朝から妬けるね。茶太郎と椿はお互いの名を呼び合うほど、すっかりと良い関係となっていたのね。


『茶太郎さん。ばいばい、またね』

 宇井雨衣が椿の掌の上で、嬉々と茶太郎を送る。それがまた、なんとも複雑だ。


「椿」

「どうしたの、茶太郎」

「《成趣園》では“白波菊”はまだ花頃なのかい」

「そうね、何輪か花の弁が散っているわ。それが何か」

「惜しいね。それなら、もっとじっくりと鑑賞しとくべきだった」

「あら、わたしより花が気になるの」


「こらこら。そんな意地悪なことを言ったら、さすがに傷つくよ」

 茶太郎は椿の額に「こつり」と、軽く拳をあてがった。


 その時だった。


 ざん、ざざん。ざざ、ざんざん。

 おん、おおん。おんおん、おお、おん。

 ぶん、ぶぶん。ぶぶ、ぶんぶん。


 聞こえたのは、耳障りで不愉快な風が吹き荒ぶ音。


 危険が迫っている。


 茶太郎は椿を護る為に、腕の中にと抱き寄せたーー。



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