影は斬られる

鈴藤美咲

影切りと蓋閉め

影切り

 今宵の月明かりは、碧の朧。

 薫る潮風、海鳴りの響き。


 潮水が膝下まで浸かる。満ち潮の迫りで海浜散歩を諦め、足早で入った松林で徒然を慰める。


 影切りは、金の草鞋で尋ねる。


 ***


「褒美。さて、何のことだね」

『よう、よう、よう。しらを切るとはずるいですなあ』


 紫色の無地単衣に灰色の帯を絞める、素足の男が松の幹に背中をぴたりと付けて、くぐもった声に耳を澄ませながら地面を這う円の象りをした影を見据えていた。

 蛇行したかと思えばぐるりと輪を描き、直進をする影。


 丁度良く、足元に松ぼっくりがある。

 男は影に照準を合わせ、松ぼっくりを蹴り転がらせる。そして、命中した。


『あうち』と、悲鳴が聞こえた。すると、男は「ふ」と、嘲笑う。


 影に感覚がある。手ごたえがあったと、男は唇の端を上げて流し目をする。そして、背中を付けていた松の幹から離れて左の袂の袖口に右の掌を押し込め、右へ三歩と移動する。男は月明かりに照らされて、地面に影を落としていた。袖口から紺の足袋を1足取り出して共衿の間に挟めると、今度は右の袂の袖口から橙色の草履を抜き取る。

 男は無精なさまをしながら、足に足袋を被せて草履を履く。絞める帯の間に挟めていた、単衣のつま先をだらりと、落とす。


 ーー縛、影捕り……。


 男は腰に着ける、藍染の麻袋をぎゅっと、掴む。すると、男の影が地面からむくりと、剥がれ、丈が延びる。そして、先端が円の象りをした影にしゅるりと、巻き付く。


『はかったな』

「悪党呼ばわりとは、大いにがっかりだ」

『腹立たしい。ああ、腹立たしい』


 さっきまでの、円の象りを尽くして本来の象りに返る。掌のなかでびちびちと跳ね、感触がぬるぬると気持ち悪いのは仕方がない。


 ーー粋でない、おまえがやれ。


 粋でないは余計だが“御用聞き”は下駄を預ける。


 生業は違うが、奴の協力は必要。


「“モノ”の海老野黒虎。私は『蓋閉め』とは違い“情”は持ち合わせていない。これからおまえが受ける“煮ると焼く”の拷を、私はきっちりと見据える」


『食べるのは、止めとけ』

「安心するのだ、鯛も餌として受け付けない」


 “モノ”に吊られて、顔から火が出る物言いをしてしまった。奴が場にいたら、絶対に笑い飛ばしていた。男は動揺していたのか、地面に埋まっていた岩に躓き、脚を縺れさせる。

 転ぶものか。と、男は「ぐっ」と、足元を踏ん張らせる。そして、腰に着ける“モノ”を詰めた藍染の麻袋を触る。捕った“モノ”は、飛び出ていなかったと、細い息を吐く。


 夜が明ける。

 潮風の匂いを嗅ぐ男は「かふり」と、欠伸をした。



 ***



 化ける“モノ”はずる賢い。しかも、欲深い。汚い金だろうが、やったもの勝ち。


 目先の儲けの為に。

 化ける“モノ”の悪行には反吐が出る。


 同じく“御用聞き”の、底無しの胃袋にもーー。




 時は真昼が過ぎた、刻の頃。場所は、海鮮炭焼呑み食い処。

 逆立つ茶色の短髪、瞳も茶色。赤の半袖ティーシャツ、七分丈のズボンは紺色。足に黒い足袋を被せて、履くのは一枚歯下駄の青年が、炭火で焼いた牡蠣、栄螺。ほっけの開きを千手観音の如く食していた。


 現物支給、最高。


 青年の、卑しい心の声が駄々漏れだ。しかし、理由がある。

 青年の生業は“蓋閉め”だが、二足の草鞋をはいている。


 “蓋閉め”は、悪事を働いた“モノ”を裁けない。だから“捕り物”に引き渡す。大体は報酬がつけられており、青年が舌鼓をしてる食事がまさに当てはまっていたのだ。


 懐が寒くなる。


 青年とは別の、ケチな心の声が駄々漏れしている。

 男が青年の正面に座っている。呑み食いの勘定額が気になっているのが判りやすい。


 男の生業は“捕り物”だ。役職は与力。部下の同心を5人従え、治安を脅かす無法な“モノ”を取り締まっている。


 “御用聞き”は、言った。


 ーー今回ばかりは、同心を遣うな。己の手で“モノ”を捕まえろ。


 男は切子の器に注がれている冷酒を呑んで「ふ」と、笑みを溢す。


「どうした、茶太郎」

 青年は、唇の端を上げる男を呼ぶ。

「つまらない訊ねをするな」

 男はさっと、切り返しをした。


「悪かったな」と、青年は仏頂面になる。


「機嫌をなおせ、作蔵」

「……。まだ食うなら、車海老はどうする」


「いや、止めとこう」


 男は「ぶるっ」と、身震いをしたーー。


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