勇者の片想いを甘く見ていた結果について

@natsume634

第1話 聖女の子を育てる魔王

 


「魔王!! 今日がお前の──」



 ──ああ退屈だ


 遠い昔に生を受け、たった一人力を求め続けた日々を送った結果──魔族の頂点に君臨する魔王となったシルヴァ=ヒストリア。豪奢な銀の髪、暗闇で見ればぎらりと光る翡翠色の瞳。豊満な果実を惜しげもなく晒す魅惑的な黒いドレスを身に纏うシルヴァを、魔族の天敵である神が加護を施した勇者一行が討伐をしに、遙々魔王城までやって来た。王の間にある赤い玉座に腰掛け、勇者一行をシルヴァはずっと待っていた。

 長すぎる生というのも退屈となってきていたシルヴァにはある望みがあった。


 それは、命が消えるかもしれない激しい戦いに身を投じ、己の全てが炎に燃える程の強烈な──生を実感する戦い。

 魔王になって二千年近く。魔王になった当初は、成り上がりのシルヴァを快く思わない他の魔族達に常に命を狙われ、新たな魔王となったシルヴァを早々に排除しようと神族達が何度も襲撃した。

 その度にシルヴァは全力で相手を迎え、戦い、葬ってきた。

 あの日々は楽しかった。目を血走らせ、自分を殺そうと全力で挑んで来る者共を完膚なきまでに叩きのめし、力の差を見せ付けるのは。──が、そう長く続かなかった。成り上がりとは言え、魔王になる程の力を持つシルヴァを、他の魔族達は認め始めた。それから魔族達の襲撃はなくなった。未だに敵意剥き出しに命を狙うのは神族のみ。やって来ては殺し、やって来ては殺しが続き、遂に神族側も人員不足にでもなったか、千年前位から適正のある人間に神の加護を与え、魔王討伐の命を与え、こうして勇者一行と呼ばれる団体がシルヴァを討伐に来る。


 が、神の加護を与えられたとは言え所詮は人間──



「命日だ!!」



 聖属性が付加エンチャントされた聖剣“クラウ・ソラス”の剣先を向け、どの勇者も必ず口走る台詞を高々と叫んだ勇者が特攻をしかけた。

 距離が目前まで迫ってもシルヴァは玉座から微動だにしない。


 剣先とシルヴァの眉間の距離が一ミリにまで縮まった所で──



「《失せな》」

 一言。

 たった、一言、発しただけで勇者の体が銀の炎に包まれた。勇者が銀の炎に包まれて数秒も経たない内に聖剣だけが落ちた。カランと虚しい金属音だけが王の間に響いた。

 勇者は骨も残されず、銀の炎に焼かれ消滅した。



「な……な……っ」

「そ、そんな……っ」

「神に……神に最も強い加護を受けた勇者アーサーが……、こんな、簡単にっ」

「銀の炎……っ、これが、“銀の魔王”……」

「アーサー……。勇者の名か? 常々思うのだが、勇者を選定する際に名前も基準に入っているのか? 妾を殺しに来る勇者の名は毎回アーサーなのだが」



 勇者の名前を聞いたシルヴァが勇者が討伐をしに現れて五回目辺りで抱いた疑問を今頃になって口にしてみるも、最も頼りにされていた勇者が一瞬で殺された事によって戦意喪失となった他の面子には届いていない。

 シルヴァはさらっと他の面子を見た。

 ワインレッドの尖り帽子を被り、通常よりも二倍は大きい箒を持つのは魔女アネット。

 純白のドレスで身を包み、魔王であり魔族であるシルヴァにとって障気も同等の魔力を纏ったのは聖女カテリーナ。

 聖騎士の鎧を纏い、背に勇者が所持していた聖剣“クラウ・ソラス”と同格の聖槍“ブリューナク”を背負ったモラハ。

 右目に痛々しい十字傷を負い、獣神と名高い黒き狼アーノルド。


 彼等は皆、魔王討伐の為に勇者と共に神に集められた精鋭。

 きっと、誰一人として魔王討伐の任務が失敗するとは思っていなかったのだろう。現に、こうして魔王城まで辿り着くまでに何度も魔族の襲撃を受けた。その度に圧倒的な力で排除してきた。

 ……のに、漸く辿り着いた魔王城で勇者はあっという間に殺された。きっと、苦しみさえも感じなかっただろう。苦痛に染まる悲鳴すら聞こえなかったのだから。


「さて」と、玉座に腰かけたまま足を組んだシルヴァは、ぎらりと光る翡翠を残った面子に向けた。



「勇者は死んだ。帰りたいなら帰るがいい。妾は止めもしないし、殺しもしない」

「ふ、ふざけるな!! 貴様を討つ事こそが、我々の最大の使命! 例え勇者が殺されようと、たった一人だけになっても、貴様を殺す!!」

「そうか。なら、死ね」



 シルヴァは挑発をしたつもりはない。

 ただ、勇者でさえこれなら、他の面子も同様だろうと何も期待していないのだ。

 聖騎士モラハが聖槍“ブリューナク”を握り、シルヴァへ一直線へ向かって行った。そこへ、魔女アネットが攻撃力・貫通力・属性強化の補助魔法を一気に三重にもかけてモラハへ付加。更に聖女カテリーナがモラハの体に魔族の力が通じない結界を展開。



「うおおおおおおおおおおおおおおお!!!」



 アネットとカテリーナの援護を受けたモラハがシルヴァへと迫る。

 三つの強化が付加された聖槍を食らえば、殺すまではいかなくても重傷は負うだろうし、攻撃をしようにもカテリーナが施した結界は魔族の力が通じない。

 ……。


 “ブリューナク”をシルヴァへ突き向けたモラハ。


 ……が、シルヴァは玉座に腰かけたまま、己の心臓目掛けて突き出された槍の先を左掌で止めた。



「な……に……!!?」

「ふむ。悪くない。悪くないが、所詮はこの程度か」



 アネットが付加した三つは、並の魔族ならば一撃だったであろう。それこそ、魔王の腹心でさえも危ない。


 しかし、シルヴァは魔王。



「《お前も消えろ》」



 勇者と同じ銀の炎がモラハを包んだ。絶叫も悲鳴も上げる事なく、聖槍“ブリューナク”だけ残して跡形もなく消え去った。



「馬鹿な! カテリーナの結界は魔族の力が……」

「ただの魔族ならばそうだろうな。だが、妾は魔王だ。魔王相手に一魔族と同じ対応をするとはな。はあ。どうせお前達も勇者や聖騎士と同じだろう?

 ──飽きた。《全員消えろ》」



 どうせ帰れと告げても、魔王討伐の大義を果たす為に彼等は決して踵を返さない。

 勇者や聖騎士でさえ手も足も出せなかったシルヴァ相手に、残った魔女と聖女と獣神がまともに戦える筈がない。

 そう判断したシルヴァは、目に見えない風の刃で残った三人の体を八つ裂きにした。

 此方もまた、一言も発せず絶命した。



「退屈だ」



 ─一体、妾は何時まで待てばいい。終わりのない生は魔族の宿命。解っていても、終わりを望んでしまう。



「……ん?」



 不意に生命反応を感知した。

 どういうことだ? 全員八つ裂きにして殺したのに。

 玉座から降りたシルヴァは生命反応がする方へ行く。胴体だけとなった聖女だった者の前に立った。聖女から微かな生命反応があった。まさか、と思い腹に手を当てた。



「……ほう?」



 面白い。

 聖女が子を孕んでいたとは……。

 良い物を見つけたとシルヴァの翡翠色の瞳が細くなった。愉快で暇潰しの玩具を見つけた子供のような色。



「聖女の相手が誰か知らんが面白そうだ。お前はどう育ち、……どう妾を殺してくれる?」



 聖女の腹に手を入れ、胎内に宿っている小さな生き物の存在を認めると慎重に腹から出した。人の形もしていない奇妙な生き物がシルヴァの掌にいる。即座に詠唱を唱え結界を施したシルヴァは不敵な笑いを上げながら玉座の間を出た。

 かなり久しぶりに城の外へ出た。紺色に覆われ、無数の星で埋め尽くされた空に曇りはなかった。


 振り返ることもなく城から遠ざかっていくシルヴァを、巨大な城だけが見送った。

 魔王となった魔族には、本来なら配下が存在する。しかし、シルヴァにはいなかった。


 ──必要としなかった、というのが正しい。





 ●○●○●○



 北の大陸、東の辺境に位置する小さな村ピサンリ。名前の通り、黄色く小さな多数の花弁を咲かせる花が咲き誇る静かで長閑な所。気温や気候も常に一定を保ち、村人達は互いに助け合って毎日を生きていた。

 外では魔物が存在するが東の辺境伯によって貼られた結界のお陰で魔物が村に入り込むことは不可能となっている。


 村の更に奥。森に囲まれ、大きく開いた場所に立派な一軒家があった。銀で装飾された頑丈な扉が勢いよく開いた。



「うわーい! 今日はシルヴァとピクニックだー!!」

「静かにしろリュミエール。後、走るな。転ぶぞ」

「むう。ぼくそこまでドジじゃないもん」



 太陽に照らせば眩しいばかりに輝く金糸を靡かせ、髪色と同じ瞳が拗ねた色でシルヴァを見上げた。


 リュミエールと呼ばれた少年は今年で七歳になる。

 彼は七年前、殺した聖女の胎内に宿っていたあの赤子だ。成長を促す魔法を使ったことで普通の赤子となった聖女の子にリュミエールと名付けたのは、特に意味はない。太陽の下に照らせば輝く金糸と金瞳があまりにも美しく、魔族である自分では決して手に入らない光そのもの。光を欲したからリュミエールと名付けたのか? と何度か自問するも明確な答えはなかった。



「早く早く! シルヴァ早く!」

「そんなに急がなくてもピクニックは逃げん」

「ぼくは早くシルヴァとピクニックがしたいの!」



 赤ん坊のリュミエールを連れて訪れたのがピサンリだった。魔族の知り合いはいないが神に属する教会の連中もいない。都から遠く離れた地で育てた方がシルヴァも落ち着く。


 リュミエールに手を握られ、早く早くと引っ張られる。子供特有のせっかちな所はいつ収まるのか。ピクニックは逃げないと何度言っても急かすリュミエールの為に歩を早めた。


 村に入ると畑仕事をしている村人達と擦れ違う。老人から若者、子供もいる。



「リュミー!」



 前方からリュミエールを愛称で呼ぶ少女の声。手を大きく振って走ってくる赤毛をおさげにした少女は村の子供の一人。



「アンナ」



 アンナはリュミエールとシルヴァの前まで来ると今日収穫したと思しき真っ赤な林檎を見せた。



「見て! 収穫したばかりの林檎よ! 美味しそうでしょう!」

「本当だ! ねえシルヴァ。デザートは付けてくれた?」

「ああ。リュミエールが好きなウサギ型に切ってな」

「もう! ぼくはそこまで子供じゃないよ!」

「えー! いいなあ、シルヴァママ手先器用だから何でも出来ちゃうね」



 アンナが羨ましそうにシルヴァを見上げた。アンナには父親しかおらず、母親はいない。今父親は畑仕事に出掛けていない。アンナはリュミエールの両手に林檎を置いた。



「はい。リュミーにあげる!」

「ありがとう! 帰ったら食べようよシルヴァ!」

「今から食べるのにまた食べるのか?」

「夜に食べるのとはまた別腹だよ!」



 そういうものなのか?

 問うても答えを返してくれる者はいない。

 バイバイ、とリュミエールとシルヴァに手を振りながら去っていくアンナを見届けた後、二人は再び歩き始めた。



「今日は天気が良いねー。雨が降らなくて良かったよ」

「天気くらい、妾が変えてやる」

「むう! それなら、ぼくに魔法を教えてよ! シルヴァってば、意地悪してぼくに全然魔法を教えてくれないんだもん」

「あのな……」



 シルヴァは呆れた溜め息を吐いた。



「お前は聖女の子だ。父親は誰か知らんが間違いなく神の力が扱える。魔力があるのも知っている。だが、妾は魔族。神の魔力を持つお前が魔族の魔法が扱えると思うか?」

「うぐっ」



 シルヴァの鋭い指摘にリュミエールは落ち込んだ。

 シルヴァは赤子の時からリュミエールが魔力持ちだと知っていた。また、三歳になった辺りで無意識に魔力を放出していたので。本来、聖なる力を有する神の魔力は魔族にとっては弱点だが魔王であるシルヴァには通用しない。

 否、“シルヴァだけ”には通用しない。


 ぶすっと頬を膨らませたリュミエールと手を繋いだまま、今日のピクニック場所である草原へと辿り着いた。若緑色に囲まれた草原にリュミエールは瞳を輝かせ、先程までの落ち込み様は何処へ行ったと問いたくなる程テンションを高くして走って行った。



「やれやれ」



 走るなと言ったのに走る。子供は言う事を聞かない。

 シルヴァは言う事を聞かない奴は嫌いだが、不思議とリュミエールにはそう思わなかった。

 将来、自分を殺す大事な役目があるから、ある程度大目に見ているのだろうか。


 一頻り走って満足したリュミエールが戻るとシルヴァは持っていたバスケットを草の上に置いた。

 中からランチボックスと水筒を取り出した。

 ランチボックスの蓋を開けると数種類のサンドイッチが入っていた。



「ぼくこれ!」

「好きなのを食べろ」



 玉子サンド、ハムサンド、野菜サンド、イチゴサンドがある中からリュミエールはハムサンドを選んだ。



「美味しい! シルヴァは自分で料理とかしてたの?」

「する訳ないだろう」



 シルヴァが料理を覚えたのはリュミエールを育てる上で出来ないと不便だと知ったからだ。特に、赤子の頃は大変だった。赤子は大変清潔で敏感で面倒臭い生き物だと、何度も途中殺すか適当な場所に捨ててやろうかとすら思った。

 だが、母親を殺した自分に全力で甘え、頼る姿を見ていると何故か見捨てる事が出来なくなっていた。

 仕方無く、人間の書物を読んで料理を覚えた。

 これを他の大陸を支配する魔王に知られたら腹を抱えて大笑いされるのが関の山だろう。



「じゃあ、普段は何を食べていたの?」



 リュミエールを育てる前のシルヴァの食事は、主に人間の振りをして味が気に入った店で済ますか、使い魔を人間の姿に化けさせて買いに運ばせていたくらい。



「これといって気に入った食事はない。が、ワインは好きだ」

「シルヴァは毎晩飲んでるもんね。ねね、あれって美味しいの?」

「子供のお前にはまだ早い」

「むう!」



 今日一日で何度頬を膨らませるのか。

 つん、とシルヴァが突いても萎れる事はなく。

 リュミエールはパクパクとサンドイッチを食べていった。

 水筒に入れていたお茶をリュミエールに差し出した。勢いよく飲むリュミエール。シルヴァはイチゴサンドを手に取った。



「ピクニックの後はシルヴァの魔法が見たい!」

「やるか。教会の連中に見つかれば面倒だ」



 魔族の天敵である神を崇拝する教会は、抜き打ちで村に来る。他の場所も同様だ。

 七年前、当時の勇者一行が魔王討伐に失敗した為、魔族の脅威は消え去っていない。魔族が巣食っていないか定期的な検査に来るのだ。

 魔法で魔族特有の魔力を隠している上、魔力を消費する魔法を一切使用していないのでシルヴァが魔族だと知る者は誰もいない。



「そっか……」

「そんなに魔法が使いたいなら教会に入ればいい。お前なら、すぐに優秀な超級対魔師になれるだろう」

「それじゃあ、シルヴァと離れ離れになっちゃうじゃないか!」



 超級対魔師とは、教会に属する騎士の中でも最高位に位置する騎士。神より勇者の力を授けられてはいないが、並の魔族を消し去る程の力を持つ。



「だがなリュミエール、後々お前には妾を殺すという大事な役目がある。それだけは忘れるな」

「……」



 リュミエールが物心ついた頃から言われ続けている言葉。

 リュミエールにしたら、顔を知らない母親よりも自分を育ててくれたシルヴァの方が大事なのだ。

 殺された母は無念だったろうし、本来なら恨むのが定石だ。だが、生活は快適、怒ると怖いが基本我儘を聞いてくれる上、体調を崩せば看病をして、美味しいご飯を作って食べさせてくれるシルヴァがリュミエールは大好きなのだ。


 だから、リュミエールは将来シルヴァを殺す為に育てているだけと告げられた時は泣き叫んだ。

 絶対に嫌だ、シルヴァと離れたくない、ずっとシルヴァといると。

 その時のシルヴァの困惑とした表情が何を物語っていたかは──幼いリュミエールにはまだ分からない。



「ん?」



 リュミエールはシルヴァのお腹に顔を埋めた。



「やだ……ぼくはシルヴァといたい。シルヴァが大好きだからシルヴァを殺すなんて絶対にしない」

「……」

「シルヴァはぼくが嫌い……?」



 涙目で見上げてくる金色。

 誰かに似ている相貌に懐かしさを抱きつつ、金貨を溶かしたような細い金糸をそっと撫でた。



「いや……嫌いではない」

「そっか……良かった」



 安心した表情を見せたリュミエールは再びシルヴァのお腹に顔を埋めた。

 暫くそうしているとリュミエールはそっと離れ、またサンドイッチを食べ始めた。無言のまま眺めるシルヴァの耳に騒がしい声が入る。遠く、小さな声だが魔族の超人的聴覚のお陰で拾える。



「どうしたの?」



 村の方を見つめるシルヴァをサンドイッチに夢中になって食べていたリュミエールが首を傾げた。



「いや……騒がしい声がする」

「何かあったのかな。魔物が侵入したとか?」

「辺境伯の貼った結界は中々に頑丈だ。余程の力を持つ魔物でない限り侵入は無理だ。ピサンリ村周辺にいる魔物で結界を破れる奴はおらん」



 シルヴァもまた、魔物の気配を感じていない。

 サンドイッチをもぐもぐ食べるリュミエールを尻目に、神経を集中させ声を拾う。

 そして……。鋭い舌打ちを発した。



「ど、どうしたの」

「面倒だな。教会の連中が抜き打ち訪問に来たみたいだ」

「えっ! じゃ、じゃあシルヴァが魔王だってバレたんじゃ……」

「下っ端に見破られるへまはしない。だが魔族が紛れているのは事実みたいだ」



 必死に抵抗する男の声と悲鳴を上げる子供の声、そして怒声を上げる男の声がシルヴァの耳に流れてくる。後者の声は知らない。だが先の二人の声は知っている。



「どうやら、アンナの父親は下級クラスの魔族らしいな」

「ええっ!?」



 村を出る間際出会ったアンナ。今は父親だけだが前は母親もいた。数年前、持病であっという間に亡くなってしまった。



「じゃ、じゃあ、アンナは魔族の子?」

「ふむ……」



 流れる声を整理してシルヴァは答えを紡いだ。



「いや、どうやら父親がアンナの母親に惚れて魔族というのを隠していたみたいだ。アンナが赤子の時に再婚したから、当然あの子も父親が魔族とは知らない」

「魔族が人間を好きになるってあるの?」



 リュミエールの意外そうな顔にシルヴァも同意した。魔族にとって、人間は餌にしかならない。格下の相手に惚れる、というのはほぼない。シルヴァのように、将来自分を殺させる為に子供を育てるのもいない。例外の魔族が同じ村に二人いた。奇妙な縁。世界の運命は常に複雑に絡まり、解こうとしても固く結ばれ解けそうにない。無言のまま、村の方へ意識を向け声を拾うシルヴァと違ってリュミエールには何も聞こえない。心配の色を強くした相貌で「シルヴァっ」とドレスの裾を引っ張った。



「アンナのお父さんはどうなるの?」

「この村で人間に危害を加えていなかろうが魔族という時点で教会の連中にしたら粛清対象だ。今、公開処刑をしようとしている」

「そんな!!」



 淡々と流れる声を聞いた結果を教えただけなのにリュミエールは沈痛な相貌でシルヴァに訴えた。



「アンナのお父さんを助けてよ!」

「何故だ? 何れはこうなると覚悟はあった筈だ」

「でも! アンナのお父さんは村では人間に危害を加えてないんでしょう!? それに、お父さんがいなくなったらアンナは? アンナは一人になっちゃうよ!」

「……」



 シルヴァは顎に左の人差し指を当てた。トン、トン、トン。一定のリズムを保って。

 アンナ自身が人間でも魔族の男に育てられたと村人から迫害されるだろう。無害であろうと魔族という存在が人間にとって凄まじい脅威。人間は自分達とは違う異物には、過剰なまでの拒絶反応を示す。

 今までの良好な関係をあっさりと捨て、武器を持って追いかけ・振り下ろす。リュミエールの訴えを叶えてシルヴァにどんな利益があるか。


 ない。


 ないがどうもアンナにもリュミエールに似た愛着が生まれていたみたいで。

「はあ」と溜め息を吐くと村の方を見ながら起立した。



「助けてくれるの?」

「ああ。だが妾が行けば魔王と発覚する恐れがある」

「どうするの?」

「こうするんだ」



 言うが早いか。左手を前方へ突き出した。左手に発光する銀の魔力。悪と恐れられる魔族には似合わない、神格漂う銀色。シルヴァだけにしか扱えない魔力とリュミエールは以前教わった。

「捕らえた」シルヴァの左掌が固く閉ざされた。空気を引っ張るように力強く左腕を振り上げた。

 その刹那──


 砂埃を舞う。

 リュミエールは何が起きたか一瞬本気で思考停止した。

 大袈裟な音を立てて二人が落ちてきた。


 目の前に。



「え……? え……?」



 呆気に取られる一人──アンナは何が起きたか理解が追い付かないと顔が書いていた。もう一人、アンナが庇うように抱き付いている相手も同じ。体の至る所に刺し傷がある。大方、教会の連中が嬲る為に態とつけたのだ。出血はしていても魔族なら問題のない傷。

 上手に人間に化けている。人型とは程遠い形からどう見ても人間にしか見えないのもいる。

 下級魔族は大体人型からは遠く離れた形をしているものだが、彼は完璧ななまでに人間の形をしていた。

 リュミエールが駆け出した。名前を叫ばれたアンナは呆然としたまま愛称で呟いた。



「大丈夫?」

「う……うん。そ、それより……」

「シルヴァが助けてくれたんだよ!」

「シルヴァママ……?」



 やっとシルヴァを認識したアンナ。瞳が説明を求めていた。

 シルヴァは父親の前に立った。



「魔族だそうだな。今まで隠し通せたものを何故今見破られた?」

「そ……それが……」



 父親──アサド曰く。七年前、当時の勇者一行が北の魔王討伐失敗直後。魔王城から魔王の気配が消えたと神族側は把握。北の大陸最強の魔族が人知れず人間の世界に足を踏み入れたと震撼。人間に紛れて息を潜めていると判断し、“透視魔法”を強力にして人間に化けている魔族を狩っているのだとか。

 ピサンリは東の辺境。田舎は田舎。王都を中心に行動を開始し、手を伸ばすにはかなりの時間が掛かった。今回アサドが魔族だとバレたのも“透視魔法”のせいだった。

 魔法を使用しなければ魔族であるとバレるリスクが減るから、とただの人間として暮らしていた彼にとって今回の出来事は大きな痛手となった。



「私はどうなってもいい。だが、私が魔族だと知られた以上アンナを一人村に残すなんて……」



 先程シルヴァが考えていた通り、アンナ自身が人間でも魔族の男に育てられた事実は覆らない。アサドは項垂れる。アンナは「お父さん……」と途方に暮れた声で紡ぐ。

「シルヴァ……」願うように金色の瞳を見上げられ、仕方ないとばかりに深く息を吐いた。



「一つ聞くがピサンリ村に未練はあるか?」

「そりゃあ……ないと言えば嘘になります。短い間でしたが妻と過ごした大事な思い出もあります」

「アンナを村八分にしたくないなら、お前が取れる選択は一つ。ピサンリを去る以外ない」

「はい……。ですが既に大陸中にある教会へは連絡が入れられているかと」



 だろうな、と思案した。北の大陸において、最早アサドは指名手配魔族。最悪の場合、アンナを残すとアサドを誘き出す餌とされる。



「……なら、こうしよう。お前達二人をエリュテイアの元へ飛ばす」

「エリュテイア?」



 シルヴァが口にした人物の名前。アサドだけが限界まで目を見開き、口を開閉する。リュミエールとアンナだけ首を傾げた。



「ねえねえ、それ誰?」とリュミエール。

「南の大陸を支配する魔王だ。エリュテイア=クルスニク。“紅蓮の魔王”と呼ばれている」

「魔王!?」とアンナ。



 顔に驚愕の二文字を表すアンナとアサド。彼等が知るシルヴァは人間離れした美女でリュミエールの母親(血の繋がりがないのは知っている)ということだけ。恐る恐る、南の魔王との関係を訪ねたアサドに平然と答えた。



「連中が危惧する北の魔王は妾だからだ」



 人は、魔族も同じだが、途轍もない衝撃を受けると雷が落ちるというのは本当だったらしい。実際に落ちた。固まって瞬きすらしない二人を興味のなさそうな翡翠色の瞳が見下ろすだけ。リュミエールだけ嬉々とした面持ちでシルヴァのドレスの裾を引っ張った。



「その人の所にいたら二人は無事でいられるの?」

「うん? ああ。二人を妾の魔力を纏わせて南の魔王城へ飛ばす。そうすれば向こうから連絡を寄越す」



 魔族でありながら、人間大好きを公言する変わり者の魔王。エリュテイアなら、人間の子供を持つアサドを悪いようにはしない。また、魔族と知りながらも父を庇い尊敬するアンナも丁重に扱ってくれる。

 シルヴァは村の方から多数の気配を感じ取った。突然消えた二人を探す足が遂に草原にまでやってきた。ぐずぐずしている時間ひまはない。

 手短に話をし、二人を南の大陸へと飛ばしたのだった。




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