あげくのはてタイムマシン

サ終

あげくのはてタイムマシン

「貴方と同じくらいの歳の頃にねーえ、お嫁に来たときはまーあこぉんな田舎に来ちゃってどうしようかしらってねーえ」

「は、はぁ……カバーはおかけしますか?」

「いらないわぁ、それでねーえ、あ、栞挟んでくださいましね」

「あ、はい」

 袋にしまいかけた文庫を取り出して適当な栞を一枚挟む。レシートも挟んでおいてくださる、という声にわかりましたと頷いた。袋につめて「お待たせしました」と差し出す。

「袋いらないわぁ、貴方新人さん?」

「あ、すみません、一応、はい」

「地方から来たの?」

「はい、群馬からっす」

「グンマ!へーぇ、グンマ!」

 マーァ!とお年を召されたご婦人は素っ頓狂な声を挙げ、鷹揚に頷くと、

「私行ったことないわねーえ、ここよりも田舎じゃないの」

とひとりごちながら本を受け取り去って行った。

 東京は武蔵野市、吉祥寺。住みたい街常連で百貨店にショッピングセンター、駅ビル、商店街、映画館、公園に動物園、ないものを探した方が早いようなこの街の小さな本屋でアルバイトを始めたのはおよそ3カ月前。大学入学から間もない5月のことだ。先ほど来たご婦人はこの店の常連客で、全く初対面ではないのだが、毎度吉祥寺の街を田舎だとお語りになられる。彼女が僕の出身地群馬に驚くのもこれで4回か5回目だ。どうやら毎度記憶を失くしているらしい。


「マーァグンマ!」

 わざとらしい高音が背後から聞こえて振り返る。口元をにやつかせている顔が目に入った。はたきを置いて隣のレジにすっと立ったその人に会釈する。

「吉田さん、お疲れ様です」

「山野君、児童書コーナーまで聞こえてたよ、あのおばあちゃんの声。閉店間際で人いないったって響きすぎじゃない」

「ほんと勘弁してほしいですよ……毎回あれなんですもん、もう六本木出身ですとか今度から嘘つこうかとか考えちゃいますって」

「そのうち覚えてもらえるんじゃないの。私も最初のころマーアフクシマ!って言われてたし」

「失礼だなぁ……そもそもこの街が田舎だったら日本に都会なんてないじゃないですか」

「ん~そうかも?」

 生返事を返しながら少し早いレジ締めをする彼女が見慣れない恰好をしていることにふと気が付いた。エプロンをつけているので気にも留めていなかったが、よく見ると黒いヒールに黒いスカート、生地の固そうなシャツできっちりと固めている。

「あれ、今日就活でした?」

「そうそう、終わったのぎりぎりでさ、着替える時間なくって。足疲れたぁ」

 吉田さんは大学4年生で現在就活中だ。本を作る仕事をすることが夢で、本屋でアルバイトをしているのもその夢の為だと以前言っていた。本人が言うにはそれなりに苦戦を強いられているらしく、説明会にテストに面接に毎日忙しく過ごしているのが伺える。

「暑くないんですか、夏にスーツ」

「あっついよ~でも我慢して着るだけできちんとしてるって思ってもらえるんだから仕方ないよね」

 踵をとんとんと床に鳴らしながら彼女はあははと声だけで笑った。お札の枚数を数えてうつむいている顔の表情は見えない。彼女はこちらを見ることなく、

「山野君は将来なりたい職業とかあるの?」

「僕ですか?全然想像つかないですけど」

「けど?」

「タイムマシン作りたいんです」

 いたって真面目に答えたその言葉に彼女は顔を上げるとなにそれ、と口元を半笑いに歪めかけ、思い直したように真顔になった。

「なんで?」

「バックトゥザフューチャーが好きなんです。過去や未来の危機的状況を救うってかっこいいじゃないですか」

「でもそれって」

「知ってます、よくだめって言われるやつ」

 映画を見たのは幼い頃で、その頃からいつか僕もタイムマシンを作るんだと息巻いていたのを、周囲は当初子どもの可愛い夢だとほほえましく思っていたように思う。そのままどちらかというと理系科目に力を入れて、当たり前のように進学を選んだ。田舎の両親はその選択自体は有難いことに認めてくれたが、出立の日に母が遠慮がちに一言。曰く、東京の工学科に行ってもタイムマシンは作れないと思うわよ。母は夢見がちな息子を心配しているらしい。吉田さんは少し考え込むような顔をしてからぱっと笑った。

「山野君あのさ、終わったらちょっと付き合ってよ」

「え? いいですけど、暇だし。夕飯ですか?」

「ううん」

 楽しそうに首を横に振った。

「タイムマシンに乗りに行こう」


「はい、着きました」

 スーツ姿の吉田さんがはとバスの添乗員のように指し示したのは、吉祥寺駅北口沿いの雑居ビルだった。居酒屋がいくつか入っているらしく、看板がぺかぺかと光っている。

「ここに?」

「そう、ここに」

「僕まだ未成年ですよ?」

「確かにお酒をたくさん飲むと昼過ぎまでタイムスリップできるけどそんなことはしないのです」

 彼女はさっさとエレベーターに乗り込み、こちらに手招きをした。僕はよくわからないながら彼女についてエレベーターに乗る。吉田さんは躊躇なく7Fのボタンを押した。

「やっぱり居酒屋じゃないですか……」

「違うって。外見てて」

 エレベーターは透明になっており、外が見える仕様になっていた。僕は彼女が言った通り、エレベーターの壁に寄りかかって外を覗く。古いせいだろう、がたんと怪しげな音がして扉が閉まり、ゆっくりとエレベーターが動き出す。夜の吉祥寺の街。灯りが華やかに灯り、食事や買い物に行き交う人々で賑わう地上がゆっくりと遠ざかっていく。

 暫くして、不意に目に入ったのはトタン屋根だった。日が沈んでいても街は明るい。そのせいか平たいそれはよく見えた。駅の前の商店街一帯を覆うトタン屋根は全体的に黒ずんでいる。あれは錆だ。雨よけとしては心もとないほどぼろぼろになっている箇所もある。眼下に広がるのは日常的に見ていた、おしゃれで賑やかな街の様子とはそぐわない景色だった。ご婦人のこぉんな田舎、という独特の発音を思い出す。

「……あれは?」

「街の過去」

 彼女が静かに答えた。人から聞いた話なんだけどね、と前置いて話し始める。

「あの下、ハモニカ横丁って呼ばれてるでしょ。狭くて入り組んだ路地に、居酒屋がひしめいてるの」

 でも元々、あの辺は戦争の後、闇市だったんだって。そのうち建物が立って……そこで商売をしていた人たちが半ば勝手に立てちゃったとか、そういうことらしいんだけど、とにかくいろんなお店が出来て、ここは街になって、今の駅ビルの大本みたいなのが出来て、街はどんどん華やかに大きくなって。でもあの場所はあまりに入り組んでいて、下手にいじると崩れちゃうかもしれないとかなんとかで、ずっと残ってるんだって。

「ずっと……」

「その挙句の果てに、ただのエレベーターがタイムマシンみたいになったの」

「はい」

「地面を歩ってるとさ、全然わかんないよね、こんなものがこの街にあるだなんて。私も大学の先生に教えてもらって初めて知ったの」

 エレベーターが7Fについた。扉が開いたのを見ていらっしゃいませ、と出てきた店員に、吉田さんがにこやかに「間違えました」と肩をすくめ、今度は1Fのボタンを押した。

「……タイムマシンを作りたいと言うと笑われるんです」

「うん……私も笑いそうだった、ごめんね」

「知ってます。まだないものだから」

「そう、誰も作り方を知らない、お話の中のものだから」

「でも、あるもんですね。一瞬だけど過去に行って、今へ戻ってる」

「うん、笑いそうになってから、でも私、それっぽいのを知ってるなって。だから見せてやろうと思ってさ」

 現在へと向かう小さな箱の壁に手を添え、彼女は今を見下ろした。

「無理じゃないよ、だよね」

 その言葉が僕に向けられた言葉なのか、それとも彼女自身に向けられたものなのかわからないまま、僕はただ頷いた。地面が近づき、ゆっくりと時が巻き戻っていく。エレベーターが止まる。扉が開く。外は耳に馴染んだ喧噪だった。


「気分転換になった、つきあってくれてあんがと」

「いえ、また店で」

 どこか晴れ晴れとした顔の吉田さんはヒールを愉快に鳴らしてスキップで帰って行った。その背中を暫く見送ってから帰路につく。商人たちが立てた建物の数々、それを覆うトタン屋根。今は錆びたそれが設置された当初、本当にこの辺りはご婦人が言った通りの田舎だったのかもしれない。いつかタイムマシンを作ったら、あの屋根が綺麗だった時を見に行くのもいいなと考えた。

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