episode.2 キューピット

 僕の放った矢は、きらりと新月のような金の弧を描いて飛んでいく。


 エロスの矢は「恋の矢」。

 心に恋の種が無いものには、魂を奪うような一目惚れを。

 心に恋の種を持つものには、その種を芽吹かせ、弾けるような花を咲かせ、抗い難い情熱を引き起こす。


 けっこうヤバい代物だよねコレ。

 既に決まったターゲットはいるのかって訊いたらさ、エロスはなんていったと思う?

「一応見繕ってあるけど。適当でいいよ。決められた『恋』じゃ面白くないでしょ。俺なんてよく目隠して射ったりするよ」

 だってさ。

 ……だからだよ。

 コイツが誰彼構わず矢を射るから、世の中は平和にならないんだ。

「困るよ、それ。みんなが、自分に相応しい相手を好きになりさえすれば、悩んだり悔やんだりしないのに」

 不毛な恋に泣く人が出ないようにしてくれれば良いのに。

 そう思っていうと、エロスは呆れたように息を吐いた。

「そんなのつまんないでしょ。それに『相応しい』って何? そんなの神様だって判断できないよ。人は輝いている時もあれば、くすんでいる時もある。一生を通して変わらない人間なんていないんだから、相応しさなんて互いに作り上げていくものだと思うよ。神は奇跡を起こせても万能じゃない。きっかけは与えられるけど。あとは、その人次第だね」

「ええ〜、なんか無責任だなぁ」

 僕が呟くと、エロスを片眉を上げて見せた。


 

 エロスと一緒にターゲットを探して、夕焼け空を飛ぶ。

 「せっかくだから、それっぽく揃いの服にする?」

 という提案は即却下させてもらった。

 引き締まった肉体美なら、絵になるかもしれないけど、僕の貧相な身体に一枚布じゃ拷問だからね。



 最初のターゲットは、僕から見ればもう若くない男の人。

 彼は、コンビニの前に停めた車の中で、慌ただしく夕食をとっていた。

 どこかむさ苦しい雰囲気を纏っていて「恋」に似つかわしくない。


「弦を引いて〜引いて。はい、指の力を抜くよ。弦を離して」

 エロスにリードされながら、緊張しながら放った矢は、男性の胸に吸い込まれた。


 ペットボトルの緑茶を、のどへ流し込んでいた彼の手が止まる。

 急発進したバンは、彼に不似合いなフラワーショップの前に停まった。


 数分後、白と緑のおしゃれな花束を抱えて彼が出てきた。

「白のダリアとアマリリスか、ふふふ趣味良いじゃない。このまま彼女に告白だね」

 エロスは楽しそうに笑う。

「…… 速攻で告白。矢の威力は怖いですね」

 男の行動力に驚いて声を出すと、エロスはクスッと笑った。

「彼の場合は、最後の一押しになっただけだね。想いの種は胸の中で大きく膨らんでいたんじゃない?」

「しかもなんか意外です。あんな洒落た花束を用意して告白なんて。そんなことできそうな人に見えなかったのに……」

「らしくない行動をさせるのも『恋の力』さ」


 エロスは、次のターゲットのいる場所へ移動中も「恋」の魅力を延々と語ってくる。

 聞いているうちに、正直こちらはお腹いっぱいになってきた。

「俺は目隠しをしてよく矢を射るんだけどさ、その意味、分かるかい?」

「単に面白いからってことじゃないんですか?」

「半分はね、でも恋はさ、目でするもんじゃないの」

「人は見た目が9割って言うでしょう。顔から入るやつ多いと思いますけど」

「本当の恋はさ、心でするものなんだよ。理性なんて働かない。魂が落ちるものさ」

 うっとり告げるエロス。

「恥ずかしいこと、良く次々と言いますよね。自分に酔いすぎじゃないですか?」

 もう満腹な僕は、若干塩対応になってしまった。

「失礼だなぁ。どこが恥ずかしいんだよ、そもそも恋ってものは……」

 ぼやきながら、エロスの講釈は続きそうだった。

「はいはい分かりました。次、あの人ですか?」

 「恋」の営業が過ぎる神様の言葉を遮って、僕は次のターゲットを指差した。



 矢をつがえ、弓を構える。

 煌めきながら、矢は飛んでいく。


 レストランで、皿を片付けるお兄さんの胸へ。


 これから残業タイムに突入する、デスクワーク中のお姉さんの胸へ。


 勉強道具を抱えて塾へと急ぐ女子の胸へ。


 愛犬のブラッシングをするお爺さんの胸へ。

 


 僕はキューピットとなり、見ず知らずの人々の幸せを願って、一矢、また一矢と「恋の矢」を放ち、それぞれが抱える想いを開かせていった。


 

 

 

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