夢為胡蝶

 ……延々と続く、漆黒の闇。その中に、「何か」は佇んでいた。限りなく黒に近い、不可思議な色。はらはらと零れ落ちるのは、一体何の塵だろうか。

「……! あれは……!」

 「何か」は驚嘆する真備を捉えると、黒い足を擦りながら走り寄って来た。息の詰まりそうな空気を纏い、長い両腕を前に出している。

「おぞましい……!! あれが、瘴気なのか……!?」

 身をよじって逃げ出す彼を、「何か」は執拗に追い回す。深い深い夢の底で、二つの足音だけが響いた。

「いや……、あれは瘴気というよりも……、まるで、死霊のようだ……!」

 真成を死へと追いやった、末恐ろしい人形ひとがた。生ける者を決して逃がさず、死後の世界に閉じ込める。

「逃げなければ……! 捕まるわけにはいかぬ……!」

 肩で息を切らしながら、彼は終わりなき夢を辿る。しかし「何か」の足取りは軽く、瞬く間に彼の背後へと回った。

「――っ!!」


 ――「何か」が彼の髪に触れ、死への扉を開こうとした、その瞬間。彼は強く背中を押され、夢の奥へと弾かれた。

「あっ……!!」

 咄嗟に振り返った彼は、思わず言葉を漏らした。「何か」の前に佇む者は、かつての友人そのものだった。

「貴君は必ず、国へ帰れ。この悪夢に、屈してはならぬ」

 そう言うと、友人は人懐こい笑みを浮かべ、「何か」とともに夢の彼方へと消えていった。夢から醒めた真備を、船上の隅に残して。

「――島だ!! 島が見えるぞ!!」

「あれは……、唐の島か? それとも国か?」

「まだ分からぬ。だがともかく、助かったぞ!」

 うっすらと瞳を上げた彼の横では、大勢の留学生が喜んでいた。いつの間にか、大波の揺れは収まり、嵐の音も聞こえない。

「……私は、貴君に助けられたようだ」

 真成の笑みを脳裏に描きながら、彼は独りつぶやく。その目には、小さな涙が浮かんでいた。

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