活字の行進

凪常サツキ

第1話

 「文字や言葉は生きている」

 それは林田美香が若者言葉について調べていた時に出会った、印象深い言葉。しかし今やその言葉が比喩ではなく、紛うことなき現実となっている。

 今や彼女の目の前で、文字はバッタのように跳ねたり、甲虫のように床を這ったり、とにかく色んな動きを見せていた。なぜ、という疑問は湧かない。それは彼女の頭脳が大学の授業課題の為に徹夜をして寝ぼけているからかもしれないし、またはこれほど非現実的なことに対して、脳はもはや判断ができないからかもしれない。

「はあ~」

 大きく息を吸って、吐いた。この文字たちは、どうやら元々本などに書かれていたものらしい。その証拠に、だいたいが書棚の下に群れている。そして文字を踏み倒しながら本を開いてみると、やはり全くの白紙になっていた。文字のない本は、もうイラストだけ残るか枠線だけ残るかという具合に、情報量がごっそり落ちてしまっている。

 一月十五日午前三時、ここらにしては珍しく雪が降り積もるこの夜、文字が独りでに動き出したというのは、もはや明確な事実だった。


 〈在学生各位

 本日未明に生じた文字の大量発生、及び様々な媒体からの文字の脱落現象により、ただいま大学の運営や各先生方に混乱が発生しています。

 協議の結果、このような状況での授業や大学の運営は困難とし、本日十五日から一週間の間、授業は休講と致します。なお、これはあくまで予定ですので、状況によって変動する可能性がございます。ご理解ください。

 以上〉

「やっぱり」

 息を吐く惰性で思わず本音が出た。顔が少しニヤける。あれから林田は一睡もしていないし、徹夜の為の目的だったレポートも書いていない。当然の如く文字を見続けていた。これが夢でないと再三確認はしていたものの、そうであるという確実な保証はないし、第一どうしたってこの文字たちを放っておける性格でもなかった。

 大学からのメールでようやく現実味を帯びてきたこの事件に関して、とりあえず頻繁に使っている情報アプリの「コメット」で現状を再確認する。皆、自分と同じような反応をしていたので、やはりこれは現実であるとようやく判断がついた。

 文字たちは全世界で同時に本や看板、書類などから脱落し、そして命を得たように動き出したというので、どうやら間違いないらしい。群れからばらけてこの部屋から脱走しようとする文字がいたので、ネットで情報収集をしながら、とりあえず片っ端から文字を捕獲しておく。引き出し、クッキーの入っていた缶、そして鍋。それでも足りなかったので、とうとうメイクボックスにすら手をかける。雑多なコスメグッズがごちゃごちゃしているその中身をひっくり返して、それに文字たちを押し込む。大体かたが付いたところで首を上げると、もう窓から朝日が指し込もうとしていた。

「はい、って、猪塚」

「今いい?」

 インターホンを鳴らしたのは、林田と同学年で、同じアパートに住む猪塚巧矢だった。

「悪いね」

「外さぶ」

 林田は眠気で少し朦朧としていたが、あまりの外気の冷たさに目を覚まさせられる。

「文字のこと以外ならちょっと忙しいから、すぐ出てってくれる」

「いや、その文字のことだから大丈夫」

 とは言っても、いくら口実があるからといって、やはり年頃の異性が部屋に二人きりとなると気まずくもある。林田は猪塚に適当な座り場所を指定して、ホットココアを二杯淹れた。

「どうも。文字、ずいぶん少ないな」

「片付けたから」

「捨てた?」

「まさか」

 彼女は手頃なところにあったクッキーの缶を開けて、見せる。

「すごいことになったもんだよなあ」

「これ、なんなの?」

 猪塚は大学で生物学を専攻している。理系なので、何かこのハチャメチャなファンタジー現象について科学的な意見を持っているかもしれない。そんな淡い期待が、林田にはあった。

「わからない。まだ情報が少なすぎる。というかそれについてさっきメッセージ送ったんだけど」

 彼女はスマホの通知を長時間見ていなかったことに気付いて、改めてメッセージ通知を見た。そこには確かに猪塚からの長文があり、またミッキー、リオ、しおりなど、同級生はおろか、数年あっていない高校時代の友達からもメッセージがあった。

「そこに書いてる通り、まず何故文字が生字、つまり生きた文字となったのかはもちろんわからない。でもネットの情報をまとめれば、日本時間の午前三時十分ごろ、全世界同じタイミングで文字が生字化してて……、それと文字は、本当に生物らしく、他の文字を食べたり、生殖したりするようだ」

「食べる?」

「捕食するらしい。特にアルファベットは漢字とか平仮名、えーっとあとハングル、アラビア文字なんかにことごとく襲われてる」

 確かに、クッキーの缶の中もそうだし、また鍋の中を確認してもアルファベットの存在はほぼなかった。かすかな記憶ではあるが、彼女はエックスとかディーたくさん入れておいたもかかわらず、である。

「外はもっとすごいことになってるんだ。なあ、一緒に研究手伝ってくれないか?」

「私が?」

「どうせ社会は混乱して、経済活動だって目茶苦茶で停滞してるんだ。バイトも大学も休みだろ? それとも、こんなお祭り騒ぎの中でも、いつも通り小説書いて時間潰すのかな?」

「わかった。やる」

 どこか馬鹿にされているような気がして、林田はその提案に乗ることにした。コートトマフラー、そしてすっぴん隠しのマスクをするだけで、支度は整った。


 猪塚も林田も、部屋の暖房で入念に暖まった体を極力冷やさないよう、縮こまって外に出る。林田はまず自分の部屋の扉に書いてあったはずの「二〇六」という数字が脱落して、どこかに逃げ出していることに目が行く。となると今や彼女の住む部屋は他の部屋と同じ〇〇〇号室ということになる。何だか気味が悪かった。

「わっ」

「チラシもか」

 郵便受けにたまっていた美術用品のチラシさえ、当たり前ではあるが文字が生字となっていた。開けた瞬間、流れるように落ちてくる文字を拾い集める猪塚。林田は彼を尻目に、文字が抜けてただいろんな筆の写真が写るだけとなった紙を数分眺めていた。

 アパートから出れば、夜しんしんと降り続いていた雪があたりに浅く積もる幻想的な光景と、その上をちょこまか動き回る生字たちというシュールな光景とが混ざり合っていた。さらにその文字を追い求めて、老若男女問わず大勢の人々が俯きながらトボトボ歩いている。

「漢字はアルファベットを食うが、仮名は襲わないんだよね。たぶん同じ文化圏の文字だからか、または」

 猪塚はさっきから文字を捕獲する手を止めない。収集しながら説明もしてくるので、歩みはとても遅い。とはいっても、林田に急ぐ理由などなかった。いつもの癖でつい早歩きになってしまう足を叩いて、今日ばかりはゆったり歩こうと自分に言い聞かせる。

 そんな遅い足取りで眺めるこの街は、やはりゆったりまったり歩くのがちょうどいい程に奇妙な様相を呈していた。表札や車のナンバープレート、標識や看板まで、大小さまざまな文字が無くなっている。看板があるのに文字が無い社会というのは何とも違和感しかない。その究極は選挙ポスターで、文字が無い為に様々な種類のおじさんとおばさんがただガッツポーズをするだけの写真になってしまっている。

 そんな、もはや無用の長物となった有象無象に意識を奪われている林田の目に、人だかりが飛び込んでくる。

「え! そういえば」

 スーパーに食料を買い求める人々を見ていくうちにある不安に駆られる。あらゆるものから文字が落ちているのなら、お札も、硬貨も……。

「ねえ、ちょっとどうしよう」

 猪塚の目の前に文字が無くなった一万円札を押し付ける。

「え、ちょっと落ち着け。金なんて別に問題ない。みんなのお札から文字が消えてるんだから、使えなくなったわけじゃない。物は買えるよ」

 いつもは彼の言ってることがよくわからなかったりするが、時折こうしてわかりやすく、端的な正論を言い放つところが見くびれない。ただ、三度の飯が何よりの幸せである林田にとって、目の前の行列は不安を増長させる。いったん生字の捕獲研究は中断し、生活物資を蓄えることに専念した。

「何か買ってこようか」

「じゃあコーヒー」

 猪塚が「鋼」の漢字を捕まえながらそう頼む。


「ただいま」

「お帰り」

「ちょっと、ここ私の部屋なのに、なんでくつろいでんのさ」

 パンパンの買い物袋を二つ、いかにも重たげに廊下に置く。そして中からコーヒー缶を取り出して、机に強くたたきつけた。

「俺、じゃあ玄関の前にずっと立って、執事みたいにしておけばよかった?」

「それはそれで気色悪い」

「まあ、買えたならよかったじゃん。のわ!」

 生字を分類していた猪塚の顔めがけて、平仮名か片仮名の「へ」が飛び跳ねる。少し気が緩んだか、二人は鼻で笑い合う。

「あのスーパー、たぶんここらで一番対応が早くて賢いと思う。とりあえず全部の品物をわかりやすい値段で書き替えてて、あとこれだけ買っておけばいいって感じの生活必需品セット作っててね、結局大体はそれ買ってきた」

「それは良かった良かった」

「ねえもう帰ってくれない?」

「わかってる、この仮名たちを分類したらな、え、林田お前これ」

 彼は今、対称実験の為に仮名と漢字をちまちまと分類していた。そのさなか、林田の蔵書『ヒエログリフと古代のデザイン』から出現したヒエログリフをみて驚愕する。あまりにうるさいので林田は数文字、ヒエログリフをあげることにした。気をよくした猪塚の居座りは、林田が二杯目のイチゴミルクを飲み干し終わる時まで続いたが、それでようやく満足したらしい。

「じゃ、協力してくれるってことで、あと貴重な文字もありがと。これ、また何かあったら連絡するから」

「はいはい」

 【漢字のみ、漢字と片仮名、漢字と平仮名、漢字と仮名、そして仮名のみ】という、計五つの容器を胸に抱えながらの挨拶である。そのうちの一つを落としたせいで微妙な間が生まれてしまい、結局二人はその後三分にわたって不毛な別れの時間を過ごすことになってしまった。

         門寺十 門

「はあ」     田䨻雨

       木 雨木口

 扉を閉めて、林田はやっと一人の時間に浸る。のそのそベッドにもぐりこむが、なぜか気が休まらない。全く寝ていないのに、そして眠いのに、どうにも彼女には寝入ることができなかった。代わりに親友と通話をする。

「あ、もしもしー、しおりー?」

〈うん、ミカ今いいの?〉

「さっきまでちょっと取り込んでてね。それでさっきメッセージくれてたけど、話って?」

〈それがね、なんかこっちでもいろいろ調べたんだけどさ〉

 伊藤しおりには出かける前に「帰宅後通話する」と約束していた手前、連絡しないわけにはいかなかった。そういえばこれが自分を寝させない理由かと合点した林田は、重い瞼をほぼ開くことができずに彼女の話を聞く。

 その伊藤はといえば、約二時間もの無駄話に挟んで次の情報をくれた。

一、文字は他の文化圏の文字や記号を食べる。

二、捕食によって文字は成長し、一定の大きさになると他の文字たちと生殖行為をする。

三、生殖行為によって生まれる文字は既存の文字のみである。

四、文字のエサとなっている記号は捕食活動をしない。

五、その文字が複雑であればあるほど、その文字の生命力は強い。

六、文字の生字化はあれ以来生じることは無く、それ以降に印刷された文字は動き出さない。

 全部で五つ。本当ならば生字にはもっとたくさんの性質がありそうだったが、ネットの情報は鵜呑みにできないということで、彼女はこれくらいに留めていた。そして流石に林田の眠気も限界らしく、もう窓から夕陽が見えるという下手な理由で別れの挨拶をする。そうして彼女は眼鏡を取る気力もなく眠りに落ちたのは言うまでもない。


 気付いた時はもう深夜一時だった。体を起こすのも怠く、眼鏡をかけなおしてスマホを覗く。やはりネット上にはたくさんの情報が玉石混淆で、例えば漢字の「我」は最も均衡がとれていてどんな文字をも捕食する、とかいう嘘か本当かわからないものもあれば、生字を食べると磁石人間になるとかいう明らかなデマまで拡散されている始末。

 深く息をして、林田は起き上がる。そのままカップ麺を啜っていると、シンクのあたりで鳥の形をしたヒエログリフが動いているのが見える。そういえば、ヒエログリフは猪塚が整理してくれていたはず。つまんでヒエログリフ専用の容器に入れようとするが、その鳥文字があまりに生物らしく動くので、興味が尽きない。

 抓まれていながら、体を左右にねじり、あるいは足の部分をばたつかせ、それがだめだとわかると体を前後に揺らす。その様はとことん生物だった。彼女は少し目をつぶって、透明な瓶にその鳥文字とこれまた猪塚が分類してくれたアルファベットのエフを一緒に入れてみる。わかってはいたものの、文字が文字を捕食する……、いや、生物が生物を捕食する様子は、どうしても魅入ってしまう魅力があった。鳥は跳ね回るエックスの交差部分を的確に啄ばみ、数秒後にはエックスをバラバラの線にしてしまった。それを一本ずつ吸収するように捕食する。それを見ているとどうにもまた腹が減って、彼女は食べかけのカップ麺にご飯玉を入れる。その悪魔的美味しさを誇る夜食を平らげると同時に、ヒエログリフもエックスを食べつくし、体長を一回り大きくしていた。

 

 漢字は既存の漢字しか生まないらしい。それは猪塚のライバル、東坂悠斗が他数人の同級生と導き出した結論で、当然猪塚は激情そのまま、林田にその情報を伝えたのだった。東坂のチームによれば、例えば「門と十」という二つの漢字が接合した場合、門構えに十がそのまま入った漢字は生まれず、どういうわけか「閂や門(親そのまま)」など、一般的に認知され、またよく使われる漢字が、まるで選ばれたように生まれるという。その理由までは説明されなかったが、確かに漢字の構成は無限に近い数ある中で、今まで見た事も無いような漢字が生まれたという情報はあまり聞かない。ちょっと前に発見されて騒がれた「𢨋、𠄷、𠄔」なども、一般的には認知されていないだけで、正式な漢字である。

 この事実には世界中の人々が首を傾げていた。というのも、何もこの原則は漢字だけでなく、他のあらゆる文字にも言える事だったからである。アルファベット、ギリシャ文字、ルーン文字、デーヴァナーガリーなど、あらゆる文字が無数に文字を生むのに、所謂「異字」を生んだという報告は、無いかガセかのどちらかだった。

 林田はそれを知って、そもそも「正式な漢字」とは何だろうと首を傾げる。人間が決めた文字であるなら、なぜそれが文字に知られているのだろうか。また、人間の基準は色相環のように曖昧なはずだから、どれだけきっちり文字を定めたとしても、例外やズレは出てくるはずである。

 いや、これだけ文字が頑なに異字を生まないのは、もはやそれが自然の摂理であるようにすら思える。人間が文字を制定したのではなく、文字が人間を導いて来たのではないだろうか。太古、文字は今みたいに生き物で、それをその地域の人々が模写して文字というものを……?

「そんなわけ」

 自嘲気味に言葉が漏れる。そんなわけない。いつも自分がファンタジー小説を趣味で書いてるから、そんな奇想天外なことを思うだけだ、そう思うしかなかった。

 その後、猪塚から着信が一つ。電話に出ると、彼は漢字が片仮名とも生殖することを実証し、一大発見をしたと騒いでいた。確かにそれはすごい事ではあったが、今は何故か会話が弾むようなテンションではなかった。


「林田、久しぶり」

「オカ君もね。三年ぶりくらい?」

 話し相手は岡本幸太郎。伊藤と同じく林田の高校時代の同級生で、今は東京の大学で書道を学んでいる。

「それで、こっちの情報は一通りこんな感じなんだけど、そっちは?」

「書道の観点からの情報としては、下手な字とかワープロの明朝体とかより、間架結構法によって美しく構成された楷書の方がまあ、こう言っていいのか分からないけど、強いって感じかな」

「結構法? そういう書き方があるの?」

「詳しくは調べてみればわかるけど、まあ造形の理想って感じで、右が長ければ左も長いみたいな。あと文字はどんなに大きくても五かける五センチメートルくらいまでの大きさに収まるんだけど、線の太さとか形はそれぞれ違うんだよ。だからフォントの細い字体と筆で書かれた楷書とか隷書では、当然後者の方が、戦闘に強いね」

「なるほどねー。ネットでは漢字の舞とか、正義の義とかが強いとか噂されてたけど、それはバランスがいいからとか言われてて、結構法ともつながってそう」

「うん。こちらからはこんな感じかな。あ、ちなみに漢字も書体で派閥があるらしくて、篆書は金文、ってわかる? 甲骨文字みたいなやつと仲がいいんだけど、楷書と隷書とはあまり相容れない。場合によっては互いに攻撃する。あと行書と草書も異なる派閥で、なんか生物で言うと種みたいなものになるのかな」

「興味深いお話しありがとね。早速猪塚にかけあってみる。ちなみにその楷書とか、そのほかの字体は、その生まれた子供も同じ字体?」

「そうだよ」

 文字は思ったより奥深い。まるで本当の生き物のようだ。猪塚ら生物を研究する者からすれば、文字は「細胞膜を持っていないし、そもそも細胞を持っていないために代謝をしない」という点で生き物ではないとされるが、それでも林田をはじめ、多くの人々は文字に生物としての認識を持ち始めていた。コメットを見れば早速文字をペットにしている人だっている。さらに生物学者であっても理系であっても、生字をもはや人智や科学体系を越えた「超自然現象」として捉えるものもいる。彼らはまるで初めて火を手にした原始人のように何もわからないところから勉強と研究を始め、少しでもこの文字のことを知ろうと躍起になっている。


 あの事件によって発生した、生きた文字を「生字」といい、また生字同士を掛け合わせて新たな字を作る行為を、産字とか創字という。またそうした生字を複数狭い場所に閉じ込めて争わせる遊びは、闘字や競字と言った。

 あの日、一月十五日から一週間が経てば、人々は様々な発見とそれに伴う応用を見つけていく。もちろんなぜ生字が発生したのかという疑問や文字の構造は解明されておらず、それらは生字学の「原理」、いわば前提条件として君臨している。それでも生字が炭素繊維から出来ていることや、文字の捕食する記号文字が水と太陽光だけで増殖する「植物的生字」であることなどが判明した。さらに、生命力(生字力)が特別強い表意・表語文字や、希少価値のある以下の文字、楔形文字ヒエログリフ、チュノム、線文字、ロンゴロンゴなどは今や高値で取引されている。さらに岡本からの裏情報によれば、王羲之や欧陽詢といった天才的な人物によって書かれた文字は中国政府によって厳重に保管され、創字措置がなされているという。

 さて、生字に関して最も重大な変化と言えば、二日前からこれまた世界各地で、生字たちが徐々に「生態」を獲得していったことだろう。例えば半日は土に潜って半日は木に登るという生態のセミ文字や、水中を漂うようにして遊泳するクラゲ文字といったような、現実に存在する生き物に似た行動の特徴を、生字が持ち始めたのだ。

 そんな生字の変化はきちんと林田の生字たちにも適応されており、彼女はここ最近、スナック菓子を頬張りながら、数時間おきに群れを観察してはそれをコメットに投稿している。何となれば、彼女の捕獲していた生字たちはグンタイアリ文字だったからである。漢字・平仮名・片仮名と若干数の記号文字で構成された彼らの群れはその生字ごとに社会的なつながりがあり、それぞれが狩りや障害物の無効化、敵の撃退などを役割分担している。また彼らは自らの体で巣を作り、最も複雑、或いは画数の多い漢字を女王文字として、周囲の文字がそれと常に生殖行為をすることで一つの社会を維持している。

〈送ミカヅキ亭物書き 今日のグンタイアリ文字の様子は、こんな感じです(画像1、画像2、画像3、画像4)〉

 興味深いのはグンタイアリ文字の巣であり、彼らは絶対的に平面の巣をつくる。それもすべてが女王文字を中心にした横長の隊列で、しかも文字の配列は全て日本語として意味のある文章となっていた。その巣は絶えず細部が移動や交換を繰り返したり、或いは女王文字から生まれた文字が加わったりすることによって文章や意味が変わる。林田が逐一その様子を画像で投稿すれば、たちまち大量のコメントがつく。次はどのような意味の文章が生まれるか。彼女も猪塚も、またネット上のファンも、常に目が離せなくなっていた。

〈行ミカヅキ亭物書き すごいですね! いつも投稿ありがとうございます〉

〈行ミカヅキ亭物書き どうせこれもガセだろ。騙されるな〉

〈行ミカヅキ亭物書き ガセにしては出来すぎだと思うんだけど、これマ?〉

〈行ミカヅキ亭物書き 今日の文章は物語チックですね?〉

〈行ミカヅキ亭物書き ノンフィクション?〉

 そう、グンタイアリ文字の巣、もとい文章には、それだけの中毒性や神秘性がある。その内容は一つの完結した物語の時もあるし、得体も知れない工具の説明文だったりもする。

 また言うまでもないが、もちろんこの文章も、グンタイアリ文字によって生成されたものである。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

活字の行進 凪常サツキ @sa-na-e

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ