あいするどおるず

平賀・仲田・香菜

あいするどおるず

「今日はどのお洋服を着せようかしら。ロココ、ゴスロリ……」

 英玲奈は今日もご機嫌。高校も三年生になるというのに、お気に入りのお人形を着せ替えさせることに夢中だ。

「うーん。やっぱりクラシカルな感じが好きだな」

 毎度毎度、よく飽きもしないことで。英玲奈のクローゼットは古今東西和洋折衷多種多様な衣装で満たされている。

「そうだ、蝶のコサージュが届いたんだった! こっちのジャボと合わせたら絶対に可愛い!」

 細やかなフリルに繊細な細工。その鮮やかに黒い装飾品は、ドールやそういうファッションに興味がない私でもちょっと可愛いと思う。

「可愛い可愛い、私のお人形。大切な大切な、愛らしいお人形。私の愛しい宝物」

 目を細めて歌うように、あやすように口遊む英玲奈。お人形の衣装を扱うその所作はまるで舞踊。背が高いことを気にしていつも猫背な彼女も、この時ばかりは背筋が伸びる。ゆったりとした服をなびかせるそんな彼女に、私はちょっぴり見惚れてしまう。

「さあ。お着替えしましょうか」

 英玲奈がカーテンを閉める。部屋が漆黒と静寂に包まれる中、彼女は夕焼けにも似た薄明るいランプを点灯させた。そして私の服を脱がせ、肌を露わにさせる。

「藍。私の可愛いお人形さん。今日もたくさんお着替えしましょうね」

 私『片山藍』と彼女『吉永英玲奈』の関係はやっぱりとても歪だと思う。

 銀色の鎖が音を立てながら私たちを結んで繋げた契り。それは手錠か足枷か。孤独にも似た甘美な棺で私たちは今日も二人きりだった。


 薄暗い中、衣擦れの音が妙に響いた。一枚また一枚と服を脱がされるが、私に抵抗する意思はなく、既に下着姿だ。肌寒い春先だけど英玲奈が強めに暖房を効かせてくれているから問題はない。むしろ、私の服を皺にならないよう慈しんで畳む彼女の頬に汗の雫が滴っている。

「ねえ、英玲奈」

「喋らないで」

 私はため息を吐いて肩をすくめる。

「藍、約束でしょう? 貴女が人形になっている時は喋っちゃダメって」

 キッと睨みつけるように、そして愛おしくも憎らしく語気を強める英玲奈。暖房を弱めても構わないと進言しようと思っただけなのだけれど、こう言われては仕方がない。私は口をつぐんで、彼女のベッドに腰掛けて待つだけだった。

 英玲奈が今日選んだ洋服はいわゆるゴスロリだった。蝶々のコサージュをベースにコーディネートしたのだろう。カラスのように黒くて薔薇のように可憐。魔女のように妖艶で少女のようにあどけない。パニエにガーターまで準備されている。私一人では着方がわからないようなものばかりだが、英玲奈が私の手足を導き、滑るように着飾られていた。私が衣装を身に付け終わると、彼女は満足したように汗を拭って暖房を弱めた。

 子どもをあやすように優しく、英玲奈は私の髪を撫でる。腰まで伸びた私の黒髪を彼女は撫でる。私の背が大変に低いから、絶対的な長さでいえばそこまででもないかもしれないけれど、ちょっと自慢の髪の毛だ。英玲奈にかかればこの髪はいつも綺麗なアレンジを加えられる。

「本当は前髪を真っ直ぐにカットするの可愛いんだけど、切っちゃうとアレンジし辛いのが嫌だなあ。今日はアイロンでロールをかけようかしら。前髪は今度ウィッグを揃えればいいよね」

 ロールアイロンをかける英玲奈の顔が近い。ショートの癖毛が微かに揺れる。彼女の白い肌が汗でしっとりと濡れていて、息も少し荒い。だけど少しも不快には感じない。理由は明白で、英玲奈が私を弄ぶ時、彼女はいつも本気だからだ。切長の目を更に細めて私に相対する彼女は真剣そのものであり、私しか見えていない。

「お化粧もしてあげなくちゃあね」

 大きな手と長い指を器用に動かす。繊細なそのタッチは優しく、音もない。じぃと顔を見つめながら彩られるため、私は頬に熱を感じることが多い。そのせいでチークが上手にできないと怒られることもしばしばだ。そんなことを考えていると一瞬口角があがる。英玲奈は少し怪訝な顔を見せたが、直ぐメイクに集中し始めた。

「これで完成……! ああ、藍、本当に世界で一番可愛らしい。貴女に溺れてしまいそう」

 ベッドに腰掛けたままでいる私の前に、英玲奈は姿見を持ってくる。そして私の隣に腰掛けた。

 我がことながら惚れ惚れとしてしまうほどにお人形の様相だ。私の背が低いこともあるけれど、英玲奈と並ぶと私の小ささはより強調されてしまう。そこにアンティークを基調としたゴシックロリータを組み合わされれば、然もありなんである。

 細工を重ねた衣装類は全てが既製品というわけではない。英玲奈が一から作ったものもあれば、既製品を調整したものもある。彼女の器用さと執念には私も舌を巻かざるを得ない。

 英玲奈に手を引かれ、ティーテーブルへ[[rb:誘> いざな]]われて椅子に腰掛けさせられる。薄暗いままの部屋はそのままに、彼女が卓上のキャンドルへ火を灯すと、炎のゆらぎは薔薇の香りを部屋に広げ、テーブル上のティーセットを照らした。

 英玲奈は立ったままに紅茶をカップに注ぎ、音もなく一口を含む。隣に膝立ち、私の頬に優しく両手を添え唇が近付く。柔らかい感触とともに、ほどよく熱い紅茶が私の口内に注がれる。ゆっくりと口内で転がすと、発酵した茶葉の渋みに混じった英玲奈を感じた。

 喉を鳴らして飲み込むと英玲奈は満足そうな顔をしてビスケットを齧る。二度、三度と咀嚼をしたそれは、やはり口付けを通して私の口内へと至る。どろどろに半固形となったビスケットは英玲奈の唾液をおもしろいように吸収しているのがわかる。軽く噛んでみると生温かく、儚げに崩れてミルクとバターの香りが鼻に抜けた。十分に柔らかいそれに咀嚼は意味をなさず、そのままに飲み込む。

 英玲奈を経由することで適温に冷める紅茶、咀嚼が不要のビスケット。これらはさながら親鳥が雛に与える餌と同じであり、疑いようのない愛なのである。

 紅茶もビスケットも悪魔のように甘美であり、私たちはこのお茶会に魅了され続けている。

 半刻は経っただろうか、私たちのティータイムは終わった。紅茶も茶菓子も存分にいただいた後、私たちはテーブルに向かい合って座っている。

「大学受験なんてしたくない。内部進学? ママに選んだ学校に通っているだけで愛校心なんて微塵もないのに? ずっとこのまま、私は何も変わらずに過ごしたいだけなのに」

 捲し立てるように、矢継ぎ早に英玲奈は言葉を紡ぐ。私の返答は求められていない。だって私はお人形だから。これは小さい女の子がお気に入りの縫いぐるみとベッドに入り、学校であった出来事を話しかけているようなものだ。黙っている私がすることといえば、くるくると忙しく変わる彼女の表情をじっと見ているだけである。

 こんなお茶会を今まで何度繰り返してきただろうか。やっぱり私たちの関係は歪んでいる。繋ぐ鎖が擦れ合ってうるさい、耳に木霊するようだった。

 英玲奈の話を右から左に聞き流しながら、幼い頃に彼女と交わした約束を思い返していた。私と英玲奈の契り。私と彼女の歪んだ関係は十年ほど前、私たちが八歳の頃まで遡る。


 英玲奈は昔からお人形が大好きな子どもだった。リカちゃんやバービー人形、シルバニアも好きだったみたいだけれど、一番のお気に入りはリサイクルショップで買ってもらったというアンティークドールだった。マチルダ、彼女は当時好きだった物語、その登場人物の名前で人形を呼び、それはたいそう大切に扱っていた。

 小学校が終わって二人で公園に遊びにく時も。感想文を書く本を探しに図書館へ行く時も。ご飯の時も寝る時も一緒、英玲奈にとって一番の宝物だったと思う。私と二人で遊ぶ時もずっと持ち歩いていた記憶がある。

 そんな英玲奈を私はどう思っていただろうか。なにぶん昔の記憶なものであやふやに揺蕩っているが、良く思っていなかった覚えがある。

『藍ちゃん。お手洗いに行ってくるからマチルダを預かっていてくれない?』

『いいよ』

『なくしちゃダメだよ? 絶対に大事に持っててね?』

『わかってる』

 あれは秋頃、公園での出来事だった。茹だるような熱気は何処へやら、衣替えも間に合わなかった私たちは秋の風に身体をさらされて子猫のように震えていた。冷えた身体は身を寄せ合っても変わらず、英玲奈のお手洗いが近くなることは必然ともいえた。

 英玲奈を見送った後、私は手渡されたマチルダの観察を始めた。

『とっても可愛い。英玲奈が大切にしているのも頷けるわ』

 西日に照らされたブロンドは太陽を反射する水面のようで、撫でつけると手触りはまるでシルク。穢れのない深い青の瞳は私が短い人生で目にしたどの宝石のおもちゃよりも輝いていた。お洋服は一片のほつれもなく、洗剤の匂いか、私の鼻腔に花の香りが通る。

 英玲奈が戻ってくるまでの数分間、不意に湧いて出たこの時間。幼馴染の宝物を守り抜かなくてはと決心させるには十分な人形だっとことは印象に強い。

 しかしそれをやり抜くには、私は幼過ぎた。今思えば本当にくだらないことなのだが、私の鼻先へ羽を休めにきた大きな羽虫に驚いて飛び上がってしまったのだ。

 結果、私は盛大に蹴躓いて手足を少々擦りむいてしまった。大した怪我ではなかった。しかし、マチルダは。

『どうして? 大事に持っていてっていったのに……藍ちゃんを信じてたのに……』

 小石に引っかかった髪の毛は所々が剥げ落ち、サファイアのように輝いていた瞳は片方が失われてしまった。私の体重を一身に受け止めたマチルダの手足は奇妙な方向に曲がっている。宝物だったマチルダの姿は見るも無惨なものとなってしまったのだ。私のせいで。

『マチルダ、私のマチルダが……』

 マチルダを抱きしめながら大粒の涙を零し、膝から崩れ落ちる英玲奈。私も同じくらいに大粒の涙を溢れさせながら謝るしかできないでいた。

『ごめんなさい、ごめんなさい……英玲奈の大切なお人形なのはわかってたんだけど、おっきな蜂が……』

『知らないよそんなこと!』

 急な大声に私の身体はびくりと硬直する。英玲奈とは保育園からの仲だが、この時ほど感情を露わにした彼女を見たのは初めてであった。

『英玲奈、ごめんなさい。もう、私にもどうしたらいいのか……』

『じゃあーー』

 英玲奈は口を真一文字に結んで。涙の洪水を必死に堪えて。震える声で。鈍く輝く銀の鎖が私たちを繋いだ。私たちは、契りを結んだ。


『藍が私のお人形になって』


 こうして私と英玲奈による歪な関係は始まった。毎週末、私は英玲奈の部屋で彼女のお人形に、おもちゃにされる日々を送り続けている。最初は着せ替え人形として彼女の所有する洋服を着せてもらうだけだったのが、気が付けば要求はみるみるエスカレートしていった。私は言葉を発することも許されず、飲み食いも自由にはさせてもらえない。嫌だなあと思うこともあったが、マチルダを壊してしまった罪悪感は私の心にヒビを入れた。私が言葉を失っていたのは彼女の命令だけが理由だけではなかったかもしれない。

 もはやこのお人形ごっこは私たちの日常となっていた。小学校、中学校、高校、幸か不幸か英玲奈と同じ学校に通いながらこの関係は続いている。しかし、私たちの歪みを正常に戻さなければならない時は近付いている。大学に行っても、社会人になっても、こんな関係が永遠に続けられるはずがない。


 お人形はお片付けしなければならないのだから。


「藍。今夜は泊まっていなさいな」

 珍しい言葉に私は思わず目を丸くする。英玲奈の家にお人形遊びに来ることは多々あれど、お泊りにまで発展することは今までに一度もなかったからだ。彼女を見ると猫背気味の背中をさらに丸めて上目遣いだ。

 英玲奈も私と同じで、この関係の存続に思うところが湧き上がり始めたのかもしれない。こんなに不安そうで仔猫の様に小さくなった彼女を見たのは初めてなのだ。

 私はゆっくりと肯定を示すよう頷いた。


 英玲奈の両親に改めて挨拶と伺いを立て、晩の食事をご馳走になった。デミグラスソースのハンバーグにクリームシチュー、全粒粉のパン。英玲奈の好物ばかりだと私にもわかる。

「藍ちゃん、いつも英玲奈と仲良くしてくれてありがとうね。この子ったら身体は大きいのに引っ込み思案で、中身はいつまでも小さな子どもなんだから」

 私はおばさんの話に相槌を打つ。おばさんは心配性だ。いつも英玲奈を案じている。英玲奈が好きな食べ物ばかり作るし、学校も英玲奈の為に選んだ。幼い頃の英玲奈が転べば直ぐに駆け寄り抱き上げていた記憶も大きい。


 食後はお風呂もいただいた。シャンプーを借りると、英玲奈の香りで全身が包まれてどうにも落ち着かないので、息を止めて湯船に頭まで浸かって気を散らす。不思議とお湯の中に熱を感じなかった。呼吸が出来ない苦しさは、不思議と私の頭を透明に冷やすのだった。

 未来と過去を天秤に掛ければどうなるものか。

「わかりきったことだけどね」

 どちらも重いけれど、その差は歴然だ。片方は羽根のように軽い。

 冷たく落ち着いた脳内とは対照的に、私の肢体は沸騰するほどにのぼせてしまう。鏡の前で冷水を頭から浴びると、水を滴らせた前髪の間からは冷ややかな瞳が覗いていた。


 おばさんたちにお風呂のお礼を告げると、英玲奈は既に部屋だと言う。

 私が部屋の前までやってくると、扉は閉まっていた。隙間から電気も漏れておらず、中からは物音一つしなかった。

 躊躇わずにドアを開くと膨れ上がったベッドがあるだけであり、そこには英玲奈の気配を感じた。ドアを閉めれば漆黒の闇が訪れるが、勝手知ったるなんとやら。私は目を暗闇に慣れさせるまでもなく、英玲奈のベッドへ簡単に潜り込む。

 英玲奈はベッド奥の壁際、背を向けるように横になっている。大きな背中だがやはり猫背であり、実際の彼女よりも幾分か小さく見えるのだった。

「英玲奈」

 反応はない。既に眠っているのだろうか。

「英玲奈、眠っていてもいいわ。私が勝手に話すだけだから」

 変わらず反応はない。

「私はマチルダじゃあないわ。ましては貴女のお人形でもない」

 英玲奈は微かに震えた。頭の奥から、鎖を引っ張る音が響く気がする。

「私は東京の大学に行くわ。勉強したいこともあるし、親元を離れた世界も見てみたい。だから貴女とのお人形遊びは、もう終わり」

 彼女の震えは継続的なものに変わった。透けて見えるようだ。英玲奈は泣いている。

「だって私はお人形ではないもの。誰にも何にも縛られていないわ。だけど、貴女はどうなの?」

 英玲奈を泣かせているのは私だ。罪の意識は彼女の涙よりも重い。だけど私は、私たちは先へ進まなければならない。

「母親にずっと守られて。学校も決めてもらって。英玲奈、貴女の意思はどこにあるのかしら。貴女こそお人形ではなくて?」

 私は縛られていた鎖から身体が抜け出したように思えた。いや、本当は最初から縛られてなどはいなかったのかもしれない。ただ巻き付いているだけで簡単に抜け出せたのに、英玲奈と一緒に縛られて身動きが取れない振りをしていたのかもしれない。

 私が見る英玲奈の背中は、まだ呪縛に縛られている。鼻を啜る音が響き、速い呼吸に支配されている。

「英玲奈。貴女はこれからどうやって生きていくの?」

 彼女の呼吸は限界を迎え、過呼吸を起こした。痛むのか胸を押さえて猫背気味の背中はどこまでも丸まる。私たち二人しか存在しないこの小さなベッドで、英玲奈は苦しみに悶え始めた。

 私は彼女を仰向けに寝かし、覆いかぶさるように彼女を抱きしめる。胸からは速い鼓動が弱々しくも確かに伝わってきた。 

 苦しみに暴れる英玲奈の両腕を頭の上で押さえ込むと、彼女の顔は汗と涙と唾液に溺れていた。目は充血しているし、髪の毛が肌にへばり付いている。その様子を見て私が思い起こすのは、一人で鎖に縛られて身動きが取れずに泣いている英玲奈だった。

「英玲奈、落ち着いて」

 私は自らの唇で英玲奈の口を塞ぐ。ゆっくりと呼気を送り込むと、強い塩気が私の口内に広がった。

 動揺した英玲奈の腕を掴んで抑え込み、馬乗りになる。舌を侵入させ、暴れ回る彼女の舌を絡めとるようにして落ち着かせる。

 息を送り続けること数分。痙攣を続けていた英玲奈の身体は弛緩を始め、気が付けば彼女は眠ってしまっていた。

「本当に、もう」

 昔から変わらず、小さな女の子なんだ。


 それから数日間、英玲奈は私を避けるようにして、私たちは一切口をきくことがなかった。学校ですれ違っても目を伏せるし、私が声をかけようとしても英玲奈は小走りで逃げ出してしまう。

 朝、二人で登校する時もそうだ。いつもならば他愛のない話をどちらともなく始めるのだが、ずっと空気が重かった。今日もまた、重い空気に気が沈むものかと肩をすくめると、背後で英玲奈が口を開いた。

「藍」

 振り返ると少し距離をおいて、英玲奈はスカートを両の拳で握りしめている。口も真一文字に噛み締め、その頬は真っ赤に紅葉していた。目を見れば、今にも大粒の涙が溢れるのではないかと心配になるほどであった。

 英玲奈は鞄から一つのお人形を取り出す。見間違うはずもない、あれは私が壊したマチルダだ。その惨状に目を背け、ずっと英玲奈の机の中で眠っていたはずのマチルダだ。

あらぬ方向に曲がっていた手足は新しい球体関節に変えられている。材料が足りなかったのか右腕だけは添木が付いている。紛失したサファイアのような片目にはガーゼの眼帯が巻かれ、破けてしまった洋服も丁寧に繕われている。この数日間で英玲奈が直したのだろう、たった一人で。

「私は東京で服飾の学校に行きたい! 私たちは人形じゃないけど、私はやっぱりお人形が好きだから! お人形をもっと可愛く着飾れるような勉強がしたい……大切なお人形を、マチルダをもっと可愛くできるように!」

 往来で叫ぶように、振り絞るように言葉を発した英玲奈は息も絶え絶えだった。掠れた声で、肩で息をして、英玲奈は私たちを縛っていた銀の鎖を捨てて歩きだしたかのよう。

「ふうん、そう」

 私は前に向き直り、改めて歩き始める。口角が上がることを堪えたこの顔を英玲奈に見せるのは何となくシャクだったからだ。

 鞄に潜めた東京のシェアハウス物件の資料を英玲奈と見る日が近いかもしれない。そんなことを考えるとやっぱり、私の表情はかくもだらしなく歪むのだった。

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