第9話 水没へのカウントダウン



 いつも同じ、悪夢を見る。

 

 その悪夢で、まず最初に見るのは――――地獄だ。





 春日かすが家は《追儺師ついなし》の家系だ。


 追儺とは、悪鬼を祓う儀式のこと。

 陰陽師などに近いが、成立した時代や由来などに、細かい違いがあり、追儺師は陰陽師と異なり『表の歴史』に名を残してはいない。

 

 要するに、《怪異》から人々を守るために戦う者達、と考えれば間違いないだろう。


 そして――ハルトには、追儺師としての才能が、まるでなかった。


 なにせ、《怪力》を操る才が欠落している。

 だから彼は、『ぬりかべ』を操ることができなかったし、あの時ミサキもそれに気付いていた。

 

 ハルトの才がないことに、彼の父親は落胆した。

 男児の跡継ぎの出来が悪いというのは、前時代的なしがらみだらけの追儺師の間では、ひどく不格好なことなのだ。

 今ではハルトに才がないことはハッキリと確定した事実だが、それを調べることは簡単ではなかったし、

 本当にハルトに才能はないのか。ハルトの父親は、僅かな可能性にすがりつくように、ハルトを痛めつけた。


 ハルトは《怪力》を上手く扱うことができない。

 だから、彼は《怪異》を自力で倒すことができない。


 しかし、怪力が込められた道具を使えば、倒すことはできる。

 ハルトは怪力が込められた刀を一振り、それだけ持たされて、怪物が蠢く山へと放り込まれた。

 通常、追儺師が扱えるような能力はなにもない。怪力をまとって防御をする、というような基本中の基本もできないまま、命がけの死闘を強制された。

 死のうが構わなかったのだ。

 才能がないのなら、死んでいるのも同じなのだから、これで使えるようになれば儲けという程度で、本当にどうなってもよかったのだろう。

 何度も、何度も死にかけた。

 日常の全てが、怪物に殺されることと、怪物を殺すことだけだった。

  

 ――地獄の日々を終わらせてくれたのは、姉であるアキラだった。


 春日の家で、信じられるのはアキラだけだった。

 アキラは、天才だった。

 子供ながら、大人の追儺師ついなしよりも圧倒的な力を持っていた。

 父も、アキラの言うことには逆らえない。

 アキラは春日家の頂点に、いいや、追儺師全体の頂点に立つ存在になるはずだった。



 アキラは、いつも笑っていた。


「ねえ、ハルト。私は別に、ハルトが無理して追儺師になることはないと思うよ。父さんの言うとおりになんてしなくたっていいじゃないか」


 アキラはハルトに、自由をくれた。

 ハルトは、春日の家に生まれたことは不幸だと思っていたが、それでも、自分の姉がアキラであったことで、全てを許せると思った。

 むしろとてつもなく恵まれているとさえ、思っていた。

 追儺師の世界は狂っている。

 誰にも助けられず死んでいく子供など、掃いて捨てる程いることを、ハルトは知っていた。

 だが、自分はそうはならなかった。

 そうなっても、おかしくはなかった。

 ――――ハルトの世界の全ては、アキラのためにあった。

 アキラはそれを危惧していたが、幼く世界が狭い時期だけのもので、いずれハルトも自分から離れていくと考えていた。

 

 それから、ハルトはアキラに少しでも近づいて、彼女の役に立とうと思った。

 他の者のように上手く《怪力》が使えないとしても、それでも立派な追儺師になる。

 そうすれば、アキラが自分を助けれくれた意味ができる。

 無価値で無意味な自分の生に、価値ができる。

 


 ――だが、アキラは死んだ。



 ハルトの世界は壊れて、再び全てが地獄になった。 

 父に痛めつけられていた日々よりも、なお深い地獄が存在するなんて、想像もできなかった。

 


 そして、それからのハルトは――。

 

 ハルトのやることは、何も変わらなかった。


 アキラに少しでも近づく。

 アキラのように、《怪異》から人々を守る。

 ただそれだけのために生きてきたのだ。

 それは、アキラがいなくなっても、変わることはない。

 

 そんな時だった。ランと出会ったのは。

 彼もまた、大切な人を亡くしたという点で自分と同じだった。

 二人で何度も、死線を越えた。

 ハルトは《怪力》の扱いという欠点を抱えている分、剣技を磨いた。

 それしかできないのだから、それだけを極めて、それだけで強くなるしかなかった。

 

 《怪異》を斬り続けた。

 《怪力》については、刀で補助ができたし、感知能力が低いことについては、ランがサポートしてくれた。

 ランは最高の相棒だった。怪力の問題で、怪異が見えない、その存在を感知できないという致命的な問題も、ランがいれば全て解決された。


 二人なら、どんな怪異も倒せると思った。


 それなのに――…………。





 ■





「そういえば、お前って《七不思議》なんだよな?」

 と、ハルト。


「……ん? そうだよ。なに、急に」

 と、ミサキ。


 透明人間ストーカー事件以後、ミサキとの関係はほんの少しだけ変わったかもしれないと、ハルトは思う。


 少しだけ、本当に少しだけ、彼女に対し、心境の変化のようなものがある可能性が生じている。

 推しである松原サクを救ってもらったのだ。

 それ相応に恩義は感じるの仕方のないことだろう。

 つまりこれは、『ミサキに対して』というより、推しを救ってくれてありがとう、というサクに対しての感情に含まれるものだ。


「他の七不思議ってどうしてるんだろうって思ってな。お前と同じように人なのか? それとも怪異か?」


 そういえば、卒業アルバムの件から、ミサキが人なのか怪異なのかについてもまだ調べている途中だったな、と思い出すが、ややこしくなるので今は置いておく。


「場合によるね。怪異の時もあれば、七不思議クラスの強力な怪異に適合できる人間も、たまーにいる、って感じかな。七不思議は他の怪異と別格だから、本当にレアだけどね。……ああ、そうだ、ちょうど七不思議については説明しておかないとと思っていたんだ」


「というと?」

「きさらぎの捜査と関係するからね。それも含めて説明するね」


 ガラガラッとホワイトボードを引いてくる。

 きゅきゅっ、とホワイトボードを綺麗に拭いてから、ミサキは説明を始めた。


「まず、今は他の七不思議には、力を封印してもらってる」

「封印?」

「普段はこの学園の生徒を怖がらせて、噂をされる量を増やす。怪異は語られることが大事、ってのは前に言った通りでしょ? そうやって自身を強化して、領土を増やして、他の七不思議と戦う力を蓄えていたんだ」

「領土……? 国同士の戦争みたいだな」

「似たようなもんだよ。七不思議ともなると配下の怪異も大量にいて、軍勢同士の戦いになることもあるし」

「とんでもないことしてるんだな……生徒に被害とかでないのか?」

「たった今ハルトくんがいるこの場所も、現実の空間とは別位相にあるのは説明したでしょう?」

「なるほど。派手にやるならそっちで、か」


「《怪異》は語られないなら消えるだけだからね。語ってくれる人間をむやみに減らすこと……殺しは、まともな怪異から嫌われるよ」


「『まともな怪異』、ねえ……?」


 ハルトがそう言うと、んっ、んっ、とミサキが親指でしきりに自分を指さしていた。

 スルーしつつ、ハルトは話を進める。


「で、《きさらぎ》と関係するっていうのは? 今はきさらぎに七不思議の力を奪われる可能性があるってことか」

「……。そういうこと。どういうわけか、きさらぎは複数の怪異を操ってるからね。七不思議まで操れてもおかしくないし、さらに複数の七不思議を同時に保有できるすれば、もう最悪だ」


 改めて思う。

 《きさらぎ》は、本当にでたらめな性能をしている。


「で、きさらぎの捜査で七不思議が関係するっていうのは他にもあってさ……、そもそも『きさらぎ』の由来ってわかるよね?」

「きさらぎ駅だろ?」

「そう。ここが不可解なポイントなんだけど……、七不思議が強力なのは、この学園が特殊だからなんだ。学園には強力な《霊脈》があって、心霊スポットとかパワースポットとかと同じで、怪異が強力なバックアップを受けられる」


 ミサキがホワイトボードに、白いくて丸い幽霊みたいな絵を描く。

 幽霊が「ウオオ~!」と力を漲らせているイラスト。


「これは、『学園』という『場』が噂を形成しやすい……、つまり語られやすい。怪異にとって、本当に力をつけるのに都合がいい条件がそろってる。だから、七不思議なんてものがあるんだ」

「きさらぎ駅は、学校の外だから、学園の七不思議にならないはず……ってことか」

「そういうこと」

「……前提がズレてるんじゃないか?」


 きさらぎ駅――。

 ネットで生まれた話で、掲示板に投稿されたのが始まりだ。

 投稿者は電車に乗っていると、いつもなら駅についてるはずの時間に止まらずに、見知らぬ駅に降りてしまう……という話だ。


 異界に迷い込む、という『怪異』は多いが、『電車』と『ネット』という要素が特徴だろうか。

 『かまいたち』のような『妖怪』とも、

 『玉藻』のような『伝承』とも違う。

 

 都市伝説、ネットロア、現代怪異……。

 呼び方は様々だが、いずれにせよ、新しい・古いは関係なく、『語られる』ものであれば、《怪異》に成り得るというわけだ。


「俺たちの学園の生徒も、電車通学のやつもいるだろ? 《霊脈》の方も、学校内だけとは限らない。七不思議クラスになる条件は満たせるだろ」


 《七不思議》の条件。

 1 語られる噂の量

 2 霊脈


 学内には、強力な《霊脈》が七つ。

 『学校内の噂』の方が、『噂の量』も『霊脈』を満たしやすいというだけで、絶対の条件ではない。

 それに気づいたからこそ、『きさらぎ駅』を利用するアイデアに至ったのだろう。


「まったくよくこんなこと思いつくよ。七不思議の基本に囚われてるとでてこない発想だ」

「犯人は、《怪力》の扱いに長けてる、ってわけだ」

「そういうことになるね~。ハルトくんじゃできない犯行だ」

「うるせえな……」


 《きさらぎ》だと疑われても不快だが、怪力のことを揶揄されるのも気分はよくない。

 

だが、それがなにを意味するかというと。


 怪力の扱いに長けている者、つまりは――……。

 


 ――ミサキや、アキラにならばできるのではないか?



 ■




 その異変は――まず『音』だった。




 《七不思議》についての会話をした翌日のことだ。


「……《幽世》? だっけか。そこの天気ってどうなるんだ? 現実と同じか?」

「ん? そうだね、同じだよ」

「…………水の音がする。今日、晴れてたはずだが」

「そんなのするかな? …………、本当だ、聞こえるね。なんだろう?」


 ハルトとミサキは、二人で図書準備室を出た。

 通常、図書準備室の出口は、そのまま現実空間の図書室へ繋がっているのだが、これを『幽世側』へ切り替えることができる。

 つまり、他の七不思議の領土へ向かうことができるのだ。

 といっても、全ての空間が、《七不思議》のいずれかに所有されているというわけでもなく、どこの領土でもない場所はある。


 水の音は、やはり気のせいではなかった。

 二人で音がする方へ進んでいく。



「おい……おいおいおいおい…………、なんだこりゃ!?」

 

 珍しくミサキが動揺するのも無理はない。


 異様な光景が広がっていた。

 

 ――――校舎の1階部分が、全て水で満たされている。

 ミサキは2階の窓をあけると、器用に配管を伝って1階へ降りていく。

 ハルトも後に続いた。

 校舎の外側から見ると、さらに奇妙な光景が現れる。

 校舎内の1階部分は全て水で満たされているというのに、外側は水がない。

 さらに、校舎から水が漏れているということもない。

 まるで校舎の1階部分と、他の空間が綺麗に断絶しているような、奇妙な現象。


「どう考えても怪異だな……、まあこっちで起きてるんだからそりゃそうだけど……、というか、この規模となると……」


「七不思議、ってことか……?」


「だろうね。…………行こう、ハルトくん」


 ミサキが駆け出す。


「他の七不思議がどんなやつかってのはわかってるのか?」

「まあね。ただ、《きさらぎ》が既存の要素だけを使うやつじゃないのはもうわかってるから、なにが来ても驚かないようにしないとね」


 そう言った矢先のことだった。


 水没している1階校舎の窓が砕け散って、 そこから何かが飛び出した。


 ――巨大なサメだった。


 「…………は?」

 ハルトは思わず、間の抜けた声を漏らしてしまった。


 空中に浮かぶ水の中に、巨大なサメがいる。

 水が浮いているので、サメもそのまま宙に浮いている。


「胡乱な映画じゃないんだぞ!? なんだよアレ!!!?」

「ハルトくん、私が驚くなといったのはフリじゃないんだけど」

「何でお前はスン……としてる」

「私も結構びっくりしたけど、ハルトくんが驚いてるのを見て楽しくなったからそっちが勝った」

「わけのわからん理由で耐えやがる……! で、あれも怪異なのか!?」

「サメ単体で怪異なのか、何か他の怪異の能力で出してるのか知らないけど、100%怪異由来の何かだね。で、どうする?」


「……ったく……、ジャンルがごちゃついてんだよ」


 つい先日まで、かまいたち事件だの、透明ストーカー事件だの、学生探偵が扱えるスケールで収まっていたが、これはもはや少年漫画の異能バトルじみたド派手なスケール感だ。


 だが、そういうことならむしろ、ハルトにとってはやりやすい。

 ハルトは怪力を扱う才能がない。

 ――――だが、怪異を倒せないなどということはない。


 それどころか。




「まあ、そういうジャンルは…………戦いなら、俺の領分だよ」


 ハルトが腰のベルトへ差した鞘から、刀を引き抜いた。




 アキラから受け継いだ、怪異を斬るための《怪具》である霊刀。


 ハルトの左手が霞んだかと思えば、そこから刃物が投擲されていた。

 腰から抜いた刀とは別の刃物。


 刃物には、ワイヤーが取り付けられている。

 高速で飛翔した刃物の先端が、サメの眼球へと突き刺さった――同時、ワイヤーがリールによって巻き取られて、サメの巨体が引きずりこまれる。

 さらにそれと並行して、ハルトは激烈な勢いで駆けだしていた。

  サメとハルトの間に開いた距離が、一瞬で消し飛んだかと思えば、刃が閃き、次の瞬間には、サメが真っ二つになっていた。


 夏空に、鮮血が舞って降り注ぐ。


「ハハッ、すげー。かっこいいねー、ハルトくん」


 血の雨を、ビニール傘で防いでいるミサキ。

 用意がいいところを見ると、どうやらこのことは想定していたようだ。


「――あ、後ろ危ないよハルトくん」


 まるで狭い通路で背後から人が来たことを教えるくらいの、そんな気安さだった。

 左手で傘をぴたりと保持したまま、右手で素早く拳銃を引き抜いて、ハルトへ迫るサメを撃ち抜いた。


「お前……俺のこと射殺する気じゃないだろうな?」

「それは楽しそうだね、今度やってみようかな」

「どうせ無理だから、今から試しにやってみろ」

「……ふむ♪」 


 言われたミサキは良いことを聞いたと楽しそうに笑いながら、ノータイムでハルトの脳天へ向けて発砲した。


 対するハルトも、何事もないように弾丸を一閃。


 縦に斬られた弾丸は、二方向へ分裂して進み、ハルトの背後から迫っていた二匹のサメを撃ち抜いた。


「いえーい、二枚抜き」

「最後に弾丸を斬ったのは俺だから俺の手柄だろ。躊躇いなく撃ちやがって……」

「だって、私を殺そうとするくらいだから、これくらいできるのはわかってるし」

「そうかよ……」


 奇妙な言い草だ。

 殺そうとした相手の実力を、殺そうとした事実から信頼するちぐはぐさ。


「さて急ごう。それにしても……《きさらぎ》め、よくもこんな……」

「これも《きさらぎ》なのか?」

「《七不思議》は封印されてる、ってのは言ったでしょう? 霊脈へ施した封印を解けるのも、そこへ対応した《怪異》をあてがえるのも、相応の知識がないと無理だ。こんなこと、《きさらぎ》以外にできるとは考えたくないね」

「《七不思議》を利用するってのは、これまでよりもさらに恐ろしいやり口だな……」


 辻めぐる、平戸シホノ、広山ハク……彼女達に与えられた《怪異》はどれも《七不思議》クラスではない。

 《霊脈》を利用したバックアップもなければ、『噂の量』も多くはなかった。


 ここにきて、《きさらぎ》が《七不思議》をけしかけてきたのだとすれば。


「さて、どういうことだろうね……。立て続けに私に事件を解決されて何か焦ってるのは、他に理由があるのか……。何かが変わったっていうのはあるだろうね。ああ、クソ、本当に許せない……ッ!!」


「……やたら取り乱してるけど……、どうした?」


「このまま『結界』の中の校舎が水没したら、図書準備室にある私の本が濡れるだろ!?  マジでムカつくよ本当にありえない! 本を焼くものは人も焼くんだよ! 私は《きさらぎ》を絶対に許さない!!!」


 めちゃくちゃキレているミサキ。

 気持ちはわかる。

 本に危害を加えられるというのは我慢ならない。

 二人は校内を駆け抜け、目的の場所へたどり着いた。

 

 ――水にまつわる《七不思議》。

 学内に七つある《霊脈》。


 学園内で、『水』に関わる場所といえば。


 となれば、目指す場所は一つ。


 向かった先は、プールだった。







  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る