2話 ―愛の告白―
異形は身体を加速させて、周囲の天使に鋭く尖った爪を振り下ろすが届かない。
障壁に塞き止められ、異形の爪が欠けた。
障壁に衝撃波が加わって、中央まで異形が吹き飛ばされる。
身体の修復が追い付いていないのか。
最初より格段に再生時間が遅い。
左手首は完全に折れ曲がっている。
例えるなら壊れた人形を操っている光景に近い。
人形を操る者は、尊厳の塊が無いのかもしれない。
見るに堪えない光景だった。
何度目かの衝撃音が鳴り、異形が中央に吹き飛ばされる。
そのとき、ラビア様が欠伸を漏らす。
「こんなものか」
ラビア様は、手を上げて指を軽く内側に曲げる。
指の動きに合わせて、ドーム状の障壁が狭まっていく。
異形の身体が障壁に押し込まれて、身体から痛々しい音が鳴り響く。
骨が砕ける音、何かが破裂する音。損壊の合唱が周囲に満たされる。
異形は、断末魔のような奇声を発する。
「黙れ、異形が」
ラビア様が勢いよく手を握った瞬間、障壁の内側から無数の棘が伸びて、異形に突き刺さる。
灰色の血を吐き出しながら、暴れ狂う異形。
棘が更に増えて、異形の身体に襲い掛かる。
大小の棘がお腹、脚、背中、顔、頭を突き刺していく内に異形の断末魔が止む。
すぐにある変化が起きる。
異形の身体が徐々に灰と化していく。
全てが灰になった瞬間、ラビア様は障壁を解く。
レドが居た痕跡は跡形もない。
小高い山のように積もった灰だけが残る。
異形はどの世界にも属さない存在。
どの世界にも属さないから灰となるのか。
余りにも惨い最期。死体という生きた証すら残さない。
ラビア様は一息つくと、"アレを持って来い"と中級天使たちに命令した。
中級天使たちは、柱の陰から頭一つ分ほどの賞杯を手にして現れる。
白銀に彩られた賞杯には、灰色の液体が並々入っている。
醜悪な色合いに鼻を摘まむほどの悪臭。
各中級天使が一つ、計七つの賞杯を一列にして私の元へ置く。
ラビア様は侮蔑な瞳を纏わせながら、私を見下ろす。
「今見たように異形の血を摂取すれば、天使でも異形になれる。人間にも同じ現象が起きるかもしれない」
「し、しかし異形と今回の魂減少は、一体何が関係しているのですか? 」
ラビア様の口元が不気味に歪む。
身体が微弱に震えながら、ラビア様を見つめる。
「まあ普通はそんな反応だろうな。だが……」
ラビア様は、私の顎を乱暴に持ち上げる。
顔を近づけて、私の耳元で囁く。
「もし異形が人間を殺せば、その魂はどうなると思う? 」
魂は天界へ昇ってくる。でも、その条件は善ある者だけ。
悪ある者は冥界へと堕ちる。
「それは善悪で決ま――」
妙な引っ掛かりを感じた瞬間、言葉を失った。
人間の動向調査をしているとき、不思議に感じたことがある。
異形に殺された人間の魂。全ての逝く先が……天界だった。
異常とは考えていなかった。
善悪の判定は、とても曖昧。
善を積んだ僧侶が死去したとしても、過去に犯した小さな過ち一つで冥界へ堕ちる。
勿論、逆も然り。悪行を犯した殺人者が、過去に善を積んでいれば天界へ昇る事象も起こる。
悪行を犯した犯罪者が異形に殺されても、過去に善を積んだから天界に昇ったと考えていた。
でも、私の考えは軽率だったのかもしれない。
異形が人を殺せば、善悪関係なく天界へ昇る。
今回の事象が真実なら、魂減少の問題は解決する。
ラビア様、まさか……。
口内に溜まった唾を飲み込む。
若干喉に違和感が走る。
喉を親指で押し付けられるような感覚。流れ込んでくる真実に蓋をしたいのかもしれない。
私は、ゆっくりと項垂れる。
「……ラビア様。一つ、お聞かせください」
口元を緩めたラビア様の表情が冷酷に変わる。
玩具。いや、ゴミを見るような冷たい表情で私を見つめる。
「言ってみろ」
言葉を発声しようとするが、上手く言葉に出来ない。
身体全身に汗が伝う感触を感じた。動悸が激しくなり胸が痛い。
「どうした、言えないのか? それともお前は口が付いてないのか? 」
中級天使たちの嗤笑が微かに聞こえる。
私はゆっくりと顔を上げて、耳元まで近づいたラビア様を横目で見つめる。
「ラビア様は、異形を利用して魂減少を解決しようと、考えているのですか? 」
「ああ、その通りだ。善悪の概念が関係ないのなら、利用するほかない」
「この件を大天使様たちは知っているのですか?」
「いや、誰も知らない。勿論、報告するつもりもない」
ラビア様は私の耳輪を一筋摩った後、耳の裏側を撫でる。
微弱な電磁波が流れたような感覚が全身に襲う。
思わず手に力が入る。
「私を異形に堕とすから報告しないのですか? 」
天界では、犯してはならない法が一つ存在する。
それは、天使の命を奪うこと。
全天使にこの法が当てはまる。
法を犯せば、命を奪った本人は冥界へ墜落。
最悪の場合、消滅。人界で例えるな死罪に処される。
「お答えください、ラビア様」
ラビア様は"一回死ね"と私に言った。
言葉の意味通り、私はこれから死ぬ。天使として。
でも、ラビア様の言葉がすべて真実なら私は生き返る。
異形として……。
口元を歪めて、ラビア様は私の耳を撫でるような口調で囁く。
「お前が死んでも誰も悲しまないさ」
ラビア様は、私の耳輪を一筋舐めた。
全身に衝撃が走る。日頃から殴られているような衝撃と比べ物にならない。
何だろう、この感情。とても気持ち悪い。
「まあ褒美として大量の血を用意した。ありがたく受け取れ」
「どうして? なぜそんなことを……」
ラビア様は私の反対側に顔を移動させて、尖った口調で囁く。
「そんなもの決まっている。俺を見下した天使より上に行くためだ」
同じ階級でも純白の塔による階数で序列が決定する。
ラビア様は五〇階。上級天使内では、最下層に位置する。
"序列が高い天使の命令は絶対"という暗黙の了解が一般的。
ラビア様はプライドが高い。
序列の高い天使の態度が許せないのだろう。
「そもそも俺より上に居座ること自体許せん」
「分かっているのですか? もし法を破ったことが大天使様たちに知られたら、ラビア様の命が危険です」
「今宵はハレー彗星。他の天使は、部屋に籠って空を眺めているだろう。お前が異形に堕ちたとバレる心配もない」
虚空を見つめながら、招待の知らせが届いた日のことを思い出す。
ラビア様の部屋に呼ばれて、本当に幸せを感じた。
ハレ―彗星の日に最愛のラビア様と過ごせる。
そう考えるだけで胸の高鳴りが強くなり、辛い仕事も頑張れた。
でも最初から仕組まれていたのなら、私は何のために今まで頑張ってきたの。
「そんなに悲観するな」
ラビア様は、私の耳全体を舐めまわす。
卑猥の音が微かに耳元で鳴る。
左手で反対側の耳を
電磁波が流れたような感覚が全身に行き渡った瞬間、身体が若干震える。
目を瞑って現実から逃げる。
声すらも出ない。
絶望という言葉が浮かぶ。
そうか、これが絶望。
人界が誕生して数億年。
天使の力によって、世界を飲み込むほどの大洪水、硫黄と火を天から落として街を滅亡、天に届きそうな塔を崩壊など。
数多の災禍を人界へ解き放った。
そのとき、人間の顔は絶望に歪んでいた。
今なら人間の気持ちが分かる気がする。
この感情は、とても苦しい。
「お前は二ホンで多くの人を殺してもらう。あそこは俺の管轄地域だ。二ホンから昇ってくる魂が増えれば、魂減少の問題は緩和される。必然的に俺の評価は伸びる」
上級天使は、人界での管轄地域が決まっている。
当然、管轄する地域の状況次第で評価が決まる。
戦禍が広がれば、罪なき者の魂が天界に昇る。同時に罪のある者が冥界へ堕ちる可能性もある。
上級天使は上手いこと、管轄する地域の魂を調整しながら評価も気にする。
でも優先順位は、魂の調整。保身に身を投じる上級天使が大半。
プライドの高いラビア様が大人しく黙っているはずがない。
淡々と評価を上げる好機を伺っていたのだろう。
ドス黒い感情が身体から漏れないように、手や足に力を込めて蓋をする。
言葉が入り乱れた言葉群から、ある言葉を掴み取る。
「ラビア……様。私は、貴方様を愛しています」
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