神子の命 3

 風呂から上がった甲斐は総合病院へ走っていた。絵莉が入院する病棟まで行き、看護師を脅すようにして絵莉の病室まで案内させる。

 ドアを開けると、奥のベッドで絵莉が眠っていた。

「あークソッ……ここにもいないか」

 目当ての人物は絵莉ではない。椎羅だ。

 風呂から上がると、椎羅は事務所から消えていた。一体あの数分間で何があったというのか──

 甲斐はベッドの柵に手をつき、項垂れた。

 すると、

「甲斐さん……?」

 眠っていたはずの絵莉が声をかけてきた。すぐさま顔を上げて笑顔を作る。

「お、おぉー、絵莉ちゃん。おはよう。無事みたいで良かったなぁ」

「私……刺されて……ここ、病院?」

「おう、すぐに椎羅くんが救急車呼んで搬送してくれたんよ。覚えとう?」

 訊くと彼女はふるふると首を横に振った。まだ意識が朦朧としているらしい。ぼんやりとした目が何かを探していた。

「椎羅くんは?」

 その答えは自分も知りたいところだ。甲斐はとっさに誤魔化す言葉が見つからず、鼻を掻いた。その仕草を見て絵莉は怪訝に思ったらしく、体を起こした。

「また消えたの?」

 そう問いかけるとすぐ、彼女は顔を歪めて腹を抑えた。痛みに呻く。

「あぁもう、動いちゃいけんって。傷が開くぞ」

「んなこと言ってる場合じゃない! 探さなきゃ。椎羅くんが危ない……」

「危ないって」

「だって、椎羅くんは最後の一人だよ……メギが椎羅くんに乗り移ったら……椎羅くんもみんなみたいに死んじゃう。もっと最悪なのは椎羅くんが人を殺しちゃう」

 絵莉は涙を浮かべながら必死に訴えた。そんな彼女に大人しくしろとは言えなくなる。甲斐は天井を仰ぎ、大きな溜息をついた。

「分かった、分かったって。椎羅くんを探しに行こ」

 すると絵莉は甲斐を見つめポロリと涙を落とした。

「探すって、どこを?」

「あてはある……ここじゃないってことは、そういうことやろ。椎羅くんは多分、宝足島に行こうとしとる」

 宝足島、メギ、椎羅の出生──あの話をした後に彼が向かうとしたら、まさに始まりの地にほかならない。甲斐の言葉に、絵莉は苦々しい顔をした。

「やっぱりあの島に行かなきゃいけないのね……」

「あぁ、避けては通れんやろな……俺らも行こう。そんで、椎羅くんを探して連れ戻す」

 しかし、そう言った手前、甲斐は不安を覚えた。

 もし手遅れだった場合は椎羅を殺さなきゃいけなくなるかもしれない。あるいは、彼のことだから死ぬつもりか──だが、今の絵莉の前でそんなことは口が裂けても言えなかった。


 ***


 椎羅は飛行機で福岡まで飛んだ後、博多から再びフェリーに乗って島へ向かった。今日は珍しく天気がいい。これなら宝足島へも今日中に辿り着くことができるだろう。柔らかな波に揺られ、椎羅はフェリーのデッキから宝足島がある方角を見つめていた。

「そっちに島はありませんよ」

 背後から物腰柔らかな男性の深い声が聞こえ、即座に振り返る。四角い顔に白髪頭の男だ。銀縁メガネまで四角で、鼻は大きく丸い。仕立ての良い灰色のジャケットと揃いのスラックスという、海を渡るには少々場違いな格好をしている。椎羅は気まずく会釈だけした。男が隣に立つ。

「……風見先生、ですか?」

 つい尋ねると、男は柔らかに微笑んだ。

「あぁ、では君が。甲斐くんから話を聞きました。なんでも黒田の最期を見届けてくれたと」

 風見史郎は切なそうに掠れた声で言うと、椎羅が見ていた方向に顔を向けた。

「消えた島なら、確かに君が見ていた方角にありますね。いやはや、黒田から話を聞いた時は驚きましたが……しかし、私はそういった現象に詳しいわけではない。ですから、彼からあの話を聞かされて、ずっと調べていたんですが」

 椎羅はかかる潮風に眉を寄せて「そうだったんですね」と取り留めもなく返した。

「でも調べているうちに間に合わなかった。この年になると、旧友たちもどんどん死んでいきますからね、いちいち心を痛めることもだんだん希薄になっていったんだけれど……黒田の件はさすがに堪えました」

「助けられなくて、すみません……僕、やっぱり……」

「いえ。君はきっと最善を尽くされたんだと、甲斐くんから伺っています。黒田は病を患い、不運にもメギの臓器を移植された。その時点でもう逃れられないさだめだったんですよ」

 黒田の最期を告白しようとしたが遮られた。椎羅は口をつぐみ、舌の中に溜まった唾を飲み込んでいると風見がチラリと見る。

「君、寝てないでしょう?」

「え?」

「クマがひどいです」

 そう言いながら彼は両の人差し指で自分の目の下さする仕草をした。

 確かに風見の言う通り、田端侑希が死んだあの日から甲斐が訪ねてくるまでの五日間、一切睡眠をとっていない。ずっと、つきっきりで絵莉の目覚めを待っていた。また睡眠をとらずとも体に異常はない。

 風見は困惑気味に「ふぅむ」と唸った。

「黒田もね、眠りたくないと言っていました。眠ると自分がどんどん自分ではなくなると。臓器提供者の……洋江さん。彼女の記憶を見るのだと」

 自覚した。自分はもう人間ではないものに近づいている。ゆっくりゆっくりじわじわと、体が奪われている。

「私はその証言をもとに調べ、宝足島へ向かうことにしたんです。思い当たることが多くて」

「そうだったんですか」

 椎羅は適当に相槌を打った。

 記憶を見る──洋江の、育ての母の記憶を見ることができるだろうか。

 椎羅は風見に会釈し、デッキから離れて船内へ戻った。彼はまだ何か言いたそうだったが、気づかないフリをした。椅子に座って目を閉じる。

 波に揺られていると、不思議と心地が良くなった。そして様々なことを思い出す。

 子供の頃──育ての母、洋江と一緒に雪遊びをしたこと。真っ白な世界で二人きり。あの日々が人生で一番楽しかったと思う。彼女は何故、自分を育ててくれたのだろう。

 福子は何故、椎羅のことを忌み嫌ったのだろう。自分が洋江と同じ御神体だったからだろうか。それとも、メギがまだ生きているということを知ったからか。そもそも彼女は何故、姉とともにメギを滅ぼすことにしたのだろうか。そして、慕っていたであろう姉をないがしろにし、志々目家で我が物顔をしていたのだろうか。姉との決別がどこかのタイミングであったのだろう。

 そして、林──椎羅の産みの母親は、洋江の要望を聞き入れてすんなりと子を産むことを承諾した。何故。なんのために。

 ──知りたい?

 声がどこかからか聞こえる。

 椎羅はゆっくりと答えた。

「知りたい」

 すると、声は優しげに「ふふふ」と笑った。それはなんだか、遠い記憶の中で笑う洋江のものと似ていた。

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