第33話 永遠

「これより、空海茜さんと、久世純さんの結婚式を執り行います。そこで、ご列席の皆様のうち、この結婚に正当な理由で異議のある方は、今ここで申し出てください。今、申し出がなければ、後日、異議を申し立て、二人の平和を破ってはなりません。次に、あなたがた二人に申し上げます。人の心を探り知られる神の御前に、静かに省み、この結婚が神の律法にかなわないことを思い起こすなら、今ここで言い表してください。神のことばに背いた結婚は、神が合わせられるものではないからです」


 定型文が朗読される。


 俺の本名も丸出しだ。


 さすがに結婚式で偽名は使えない。


 どのみち、もう、この依頼が終われば、『仕事』をするつもりはなかったから、全く後悔はなかった。


「……どなたも異議はないようです。それでは、ここで私から新郎・新婦に祝福の意を込めて聖書の御言葉を送ります。『コリント信徒への手紙13ー4~8』。愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。全てを忍び、全てを信じ、全てを望み、全てに耐える。――愛は決して滅びない」


 これもまた、結婚式で使われる定型句に過ぎなかった。


 それだというのに、こんなにも心にすんなりと入ってくるのはなぜだろう?


 偶然か、皮肉か、その祝福は俺の旅の終わりを締めくくるのに、ぴったりな言葉であるように思えた。


「それでは、誓約式に入ります――新郎、久世純。あなたは自らを夫としてささげ、健やかなる時も病める時も、富める時も貧しき時も、順境の日にも逆境の日にも、いのちの限り彼女を愛し、真実と誠を尽くすことを神と証人の前に誓いますか」


「はい。誓います」


「新婦、空海茜。あなたは自らを妻としてささげ、健やかなる時も病める時も、富める時も貧しき時も、順境の日にも逆境の日にも、いのちの限り彼を愛し、真実と誠を尽くすことを神と証人の前に誓いますか」


「……ふぁい」


 俺は思わず目を見開く。


 茜が喋った。


 欠伸か、返事か、全然区別がつかないような弱弱しくて曖昧な音だったけど、それでも確かに発声した。


 これが神様とやらの力なら、不信心な俺も、少しは信仰というものを持ってやってもいいと思えてくる。


「よろしい。では、指輪の交換を執り行います」


 再びオルガン奏者の手で音楽が紡ぎ出される。


 バッハの『G線上のアリア』。


 格式高い上品なそのメロディーは、まるで凪の海のようだった。


 俺は手袋を外して、証人代わりのレイさんに手渡す。


 茜の方の手袋も、彼女がそれとなく自然に外してくれた。


「では、お二人で向かい合ってください」


 牧師はそう言って、祭壇から白磁の皿を持ち上げる。


 その皿の上に並ぶ二つの指輪は、この完璧な式場とは全く不釣り合いなチープな代物だった。


 新婦用の指輪を飾る宝石は、ピンク色のシーグラス。


 新郎用の指輪のそれに至っては、十字架の白い線が入ったただのクズ石だ。


 そう。恋人になったあの日、茜が押し付けてきた二つの宝物を加工して、俺は指輪を作った。


 一日の突貫工事。


 譲二に送ってもらった型落ちの宝石加工道具を使って、それぞれの周りを削って指輪サイズに整形して、金属ワイヤーを巻いて無理矢理指輪にした。


(でも、茜、この指輪、教会に負けてないよな? だって、このシーグラスには、百億兆茜円の値がついているんだからさ)


 俺は右手で指輪を掴み、左手で茜の手を取る。


 彼女の左手薬指の第一関節まで指輪をはめたところで、一旦俺は停止した。


 やがて牧師が口を開く。


「見つめ合って、私の後から繰り返してください――『この指輪は』」

「この指輪は」


「『わたくしの愛と思いやりと』」

「わたくしの愛と思いやりと」


「『変わらぬ貞節の』」

「変わらぬ貞節の」


「『誓いであり、しるしです』」

「誓いであり、印です」


(さあ、世界一の金持ちな俺からの贈り物だ。俺はもう、十分茜に幸せにしてもらったから、半分、茜に返すよ)


 茜の薬指の奥に、指輪をはめ込む。


 緊張からくる俺の手汗で湿ったシーグラスが、波打ち際で拾ったあの時のようにきらきらと輝いていた。


 今度は、新婦の番だった。


 レイさんが、杖を支えにして立ち上がり、茜に指輪を握らせる。


 そして、茜の手を誘導し、俺の左手薬指の第一関節のところで、再び停止した。


「見つめ合って、私の後から繰り返してください――『この指輪は』」

「この指輪は」


 喋れない茜の代わりに、レイさんが呟く。


 瞳を閉じて、噛みしめるように、そして、思い出に別れを告げるように、ひっそりと、しっかりと。


「『わたくしの愛と思いやりと』」

「わたくしの愛と思いやりと」


「『変わらぬ貞節の』」

「変わらぬ貞節の」


「『誓いであり、しるしです』」

「誓いであり、印です」


 こうして俺の薬指に、クズ石の指輪が収まった。


 レイさんがそっと離れて行く。


 俺は両手で、茜の二つの手の平をぎゅっと包んだ。


「それでは祝福のお祈りを致します。愛する天の父よ。わたくしたちは今、この男性と女性とが主の御前で夫婦となる約束をしたことを感謝致します。どうか二人が言葉をもって約束したことを誠実ならしめ、主の教えに従って、主の豊かな恵みに応える者とならせてください。ここに形作られる新しい家庭を祝福し、お互いに愛し、お互いに仕えつつ、与えられた使命を全うさせてやってください。わたくしたちの主、イエス=キリストの御名においてお祈り致します。アーメン」

「アーメン」


「結婚宣言を致します。久世純と空海茜とは、神と会衆との前で夫婦となる約束を致しました。故にわたくしは、父と子と精霊の御名において、この男性と女性とが夫婦であることを宣言いたします。神が合わせられたものを、人が離してはならない。アーメン――ベールを上げて、ウエディングキスをしてください」


 俺は、茜のベールをそっと上げる。


 化粧っ気のない奴だったから、ここまでばっちりメイクした顔と見つめ合うのは初めてかもしれない。


 なんだか、柄にもなく緊張する。


 ぎこちなく茜の肩に手を置く。


 スッ、と。


 瞬間、茜が目を閉じた。


 もしかしたら、それは眠さが限界に達しただけの偶然なのかもしれない。


 事実、茜のタマイシには何の変化もなく、ただ穏やかなオレンジを湛えているだけだ。


 心はタマイシであり、タマイシの色が変わらないならば、情動もない。


『彼女は何も感じてはいない』


 世界は俺にそう言うだろう。


 全ては色ボケた俺の思い込みで、ただの勘違いだと。


 だけど、俺は全身全霊でその常識を否定する。


 経験と、直感と、恋と、二人の思い出と、築き上げた関係性によって、茜が今の状況を理解していると、純粋に信じるのだ!


 それこそが、茜が俺に教えてくれたこと。


 世界を幸福にする物の見方なのだから。


(茜、お前もわかってくれてるんだよな? そうだよな?)


 茜にそっと口付けた。


 すぐに離れるつもりだったのに、彼女の温もりに触れた瞬間、今までの思い出が全て脳内でフラッシュバックして、交通渋滞を起こして、スパークして弾け飛んだ。


 長く、野蛮なキスをした。


 神聖な教会にはふさわしくない仕草で、本能的で動物的に貪った。


 涙と鼻水が無限に出てきて止まらなかった。


 茜を愛している。



 ただただ、愛している。

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