第一章 喜。もしくは、猫の死体とメッセージボトル

第11話 出発とおごり

 出発当日。


 鎌倉駅上空は、入道雲が広がる夏らしい晴れ模様だった。


 待ち合わせは午前十時。


 俺はその三十分前には、香ばしい匂いのする駅店のパン屋の横で待機していた。


 荷物は小さめのバックパックが一つ。中にはスマホの充電器と、下着と、換えの服が一着、そして、仕事に使う道具が少々。後は現地調達だ。


 本当は、俺としては茜を病院に直接迎えに行きたかった。


 しかし、彼女自身が待ち合わせをしたがったのでこういう形になったのだ。



 九時四十八分。


 小走りで俺の方へと駆けてくる茜を見つける。


 新しいスニーカーにデニム。向日葵のプリントされた、ダサめの白いシャツ。


 それと、キャスター付きのキャリーバック。


 茜はあまりファッションに頓着しない方だった。


 美しい茜は、素材の暴力で大抵の服を全てファッショナブルにする特殊技能を持っている。


「あー、もう! 私が先に来たかったのに! 今日に限って早く来るんだから」


 俺の隣までやってきた茜が、喜びにスパイス程度の怒りを含んだむくれ顔で言った。


 彼女の不満ももっともだ。


 いつも俺は待たせる側だった。


「たまには茜におごってもらおうと思ってな」


「このヒモ男ー」


 茜は俺の服の裾を掴み、今度は100%の喜びの表情でそうなじる。


 いつも、俺は遅刻してばかりだった。


 いや、より正確にいうなら、俺は遅刻を茜に金を出す口実にしていた。


 そして、そのことに、彼女が微妙に引け目を感じていたことも知っていた。


 だから今回は、敢えて俺の方がおごられることにした。


「へへへ、茜さん、駅弁ゴチでーす」


 チャラ男風に言う。


「もう。しょうがないなあ。かわいいから、飲み物もつけてあげる」


 二人してそんな会話をしながら、有人改札で駅員さんに青春18切符の判子を押してもらう。グリーン券を追加で買った。


 いよいよ旅が始まるという実感が湧く。


 エスカレーターでホームへと上る。


 そして売店までやってきた。


「何にする?」


「俺は湘南波のり弁当と緑茶」


「じゃあ、私は、そうだなあ――しらす弁当と緑茶で」


 約束通り駅弁を買ってもらう。


「ごちそうさまです」


 代わりといっては何だが、彼女のキャリーバックは俺が持つことにした。


 よくよく考えたら、節約旅行には駅弁は贅沢だろうか?


 だけど、どうせなら旅情を楽しみたかった。


 それに、旅行の費用に関しては、栞さんも出してくれることになっている。


 というより、俺の拒否を許さない態度で彼女は資金提供を決定した。


 栞さんとしては、旅費を出すことが、娘にしてやれる最後のケアだと考えているのかもしれない。


「そういえば、まだ私、旅行の行き先を聞いてないんだけど。目的地とかあるの?」


 茜がふと思い出したように問う。


「ああ。この旅は、喜怒哀楽の茜の感情ドナーを探す旅だよ。ま、デートのついでだけどな」


 俺はわざと軽い調子で言った。


 普通の臓器提供は、ドナーを知らされないことが普通である。


 しかし、タマイシの移植には、技術上の問題から、対面の上での適性検査が必須である。そのことは、合法的なドナー提供であっても同様なので、公の場でこういう会話をしても問題はない。


「そうなんだ。ありがとう。私のために」


 茜は素直に俺の言葉を受け入れて笑った。


 病気になる前の茜ならきっと、俺がこれからやろうとしていることが非合法なのではないかという疑念や、危険じゃないかという不安を抱き、質問攻めしてきたことだろう。


 だが、そういった感情は、もはや彼女の中には残っていないようだった。


「彼氏だから当然だろ。まずは、横浜だな」


 譲二から貰ったリストを元に、近いところからドナー候補を虱潰しに当たる。こればっかりは、やってみないと分からない。


 タマイシは通常の臓器の様に、血液型や免疫反応で拒絶されるということはない。そのため、適合率は通常の移植手術よりはずっと高いのだが、それでも『気が合わない』タマイシではダメだ。


「いいね。赤レンガ倉庫も行っていい?」


「ああ」


 やがて電車が来る。


 グリーン車に乗って、ボックス席に向かい合わせで座る。


 普通車両はそこそこ混んでいるようだったが、グリーン車は空いていた。


 だから、四人席を二人で独占しても気はとがめない。


 俺は駅弁を開く。


 真似をするように、茜も弁当を開いた。


「あっ。宇宙人」


 茜が唐突に呟いた。


「ああ。俺のにもいる」


 俺も頷いた。


 もちろん、宇宙人などいない。


 俺と茜の弁当に、しいたけが入っていたというだけのことだ。


 きっかけはなんだっけ。


 そうだ。茜とデートしている時、何かで、虫は宇宙からやってきた宇宙生物であるというオカルトの話題になって、その時にしいたけの入った炊き込みご飯を食べてたんだ。


 丁寧にしいたけだけをよける茜を俺がからかうと、茜は「虫は森にいるよね。しいたけも森にいる。ということは、しいたけは宇宙人なんだよ。だから、食べられない」なんて屁理屈を言い出した。


 それ以降、しいたけが出てくると、茜は『しいたけは宇宙人だから食べられない』と言い訳するのが恒例になった。


「おいしいね」


「ああ。美味い」


 でも、今の茜は、しいたけをぱくぱくおいしそうに食べる。


 茜の中から、しいたけが『嫌い』という感情は失われて、きっと、俺とのデートが楽しかったと、そういう記憶と感情だけはまだ、しっかりと残っているのだろう。


 茜には好き嫌いを克服してもらいたいと思っていた。


 だけど、今の目の前の茜は、無性に悲しい。


 そんな感情を誤魔化すように、俺は、茜と他愛無い話に終始した。


 三十分程で横浜につく。


 結論から言って、一人目のドナー候補とは合わなかった。


 そのまま、赤レンガ倉庫でデートして、横浜マリンタワーに登った。


 展望室にデフォルメの絵を描く人たちがいて、茜がやりたがったので、二人の絵を描いてもらった。茜はお姫様みたいにされて、俺は目つきの悪さを強調され、野獣じみた格好にさせられた。出来上がった絵は、茜に押し付けた。


 二人目のドナー候補は川崎にいて、やはりこれも合わなかった。


 観光は特にしなかった。


 三人目は品川で、またまた合わなかった。


 サラリーマンの支配する地域で、俺はあまり居心地がよくなかったが、カフェでちょっと休憩した。


 四人目は新宿にいる。


 夜七時。


 二人でビジネスホテルに宿を取った。


 宿帳の年齢はもちろん、二十歳以上であると嘘をついた。


 もし未成年だとバレた時のために、双方の保護者――つまり、譲二や栞さんの同意書も忍ばせてあったが、特に何も言われなかった。


「次の人は、夜の仕事をしているらしい。会えるのは深夜になるから、仮眠をとろう」


「うん。純も一緒に寝る?」


「ああ」


 二人共シャワーで軽く汗を流してから、横になる。


 茜の手を握りながら、一緒に眠りについた。


 彼女のぬくもりのおかげか、意外なほど、ぐっすり眠れた。

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