第10話 そして俺たちは旅に出る

「お前も、そんな顔をするんだな。久世」


 呼ばれて、横目で声のした方向を見る。


 そこには、いつぞやのサッカー部のイケメン様がいた。


 柏は俺とは違って、律儀に黄色い花束を持っていた。


 あまり有名な花ではなかった。


 多分、何度も来ている内に同じ種類の花は避けようとして、どんどん選択肢がなくなってきたんだろう。


 茜の病室の花たちの3割くらいは、こいつが持ち込んだのかもしれない。


 柏のガーネットのタマイシは、相変わらず真っ赤だ。


 だけど、夜のキャンプファイアーみたいにどこか影を帯びている所が、前とは違った。


「……ご苦労さん」


 俺はそれだけ呟くと、再び中庭に視線を戻した。


「……」


 柏が無言で俺の隣に並ぶ。


「何だよ――いつかみたいに胸倉掴んですごむか? なんなら殴ってくれてもいいぞ」


 俺は半ば本気でそう言った。

 誰かに罰して欲しい気分だった。


「オレには、その資格がない」


 柏は悔しそうにそう漏らした。


「あるぞ。俺のせいで茜が無人病になったかもしれないんだから、あいつと仲が良かった奴は全員俺を殴る資格がある」


 俺は柏に向けて両腕を広げた。


「そうかもしれない。けど、もしかしたら、オレのせいかもしれない」


 柏は逡巡したように俯く。


「おいおい。自意識過剰かよ。お前、茜を傷つけられるほどの関係性だったか?」


 俺は眉をひそめた。


「隠すなよ。茜が一年の頃に嫌がらせを受けてたの、オレがあいつに告白したせいなんだろ? オレ、何も知らなかった。フラれて呑気に一人で落ち込んで、自分のことばっかり考えて、サッカーに打ち込めば忘れられるなんて、勝手な学園生活を送ってた」


 柏が声を震わせる。


 その手に抱えた花束を包んだビニール紙が、乾いた音を立ててたわんだ。


「で、今更知っちまったのか」


 知らないなら知らないままで良かったのに。


 どうせなら、傷つくのは最少人数の方がいい。


「茜が入院してさ。色んな奴が、色んな噂をして、その中に、茜が昔、いじめを受けてたって言う奴がいて。その理由もクソみたいでさ。なんだよ。オレが好きだから、オレの告白を断った茜が気に食わないって。意味わかんねえ。茜にひどいことをした奴を、オレが好きになるはずないのに」


 柏のタマイシが、怒りで赤の色を濃くする。


「……その件はもう解決してるよ。だから、お前のせいじゃない」


「知ってる。お前が茜を助けてくれたんだろ。かなり、荒っぽいやり方したみたいだけど」


 柏が非難と敬意のにじむ声色で呟いた。


 俺が『解決した』と言ってるのは、当時の具体的な対処方法ではなく、茜の感情の問題だったのだが、どうやら上手く伝わらなかったらしい。


 だが、訂正すると俺と茜の大切な出会いの思い出に触れることになるので、こいつにわざわざ語ってやるつもりはなかった。


「まあ、お前のアレはともかく、直近で一番戦犯な可能性が高いのは俺だ。だから気にするな」


「原因不明の病だぞ。当時の心的なダメージが後になって影響してくるってこともあるだろ」


「……かもな。ともかく、原因不明の病の原因を探り合っても、不毛だろ」

「ああ……。――なあ、久世。好きになった奴に、好きって言うのは、そんなに悪いことなのかな。オレずっと、思ったことは素直に言った方がいいと思ってたけど、最近は、言葉を口にするのが怖いんだ」


 柏が視線を泳がせる。


 恋敵の俺にそんな弱音を吐ける時点でやはりまだかなり素直な性格だと思うが、言わんとすることは分かる。


「目に見えないものを見えるようにしたら、当然、嫌なところも見えるようになる。タマイシのメリットと裏表なんだよ。いいも悪いもなくて、そういうものなんだ。俺はタマナシだから、余計に悪いところばかりが見える」


 タマイシが普及して、人々のコミュニケーションが円滑になった。


 皆が口を揃えて言うお題目は、決して嘘ではない。


 確かに、誤解は減っただろう。


 好きと嫌いを取り違えることはもはやない。


 『怒る』と『叱る』の違いも、タマイシを見れば一発で分かる。


 シャイで不器用な日本人には、特に重宝したかもしれない。


 しかし、逆に対立はより避けがたいものになった。


 今まで隠されていた嫌悪感は白日の下に晒されて、合わない奴とはとことん合わないまま生きていくしかなくなった。


 本音と建て前の曖昧な緩衝地帯で処理されていた感情は、表に出てしまえば、ぶつかり合うしかない。


「……そうか。やっぱり、茜にはお前なんだな。なんていうか、オレはまだ、浅い。あいつは、いつももっと深いところを見ていた。そういうところなんだな」


 柏は一人で納得したように頷いた。


「――買い被ってくれるなよ。俺が茜みたいにできた人間だったら、あんなにあいつを傷つけずに済んだ」


 過大評価に、俺は首を横に振る。


「オレをこれ以上みじめな気分にするなよ。オレだってアホじゃない。お前が転校前にやったことには、何か事情があったんだってことくらいは分かる。色んな奴の中から、茜はお前を選んだろ。そのことにもっと自信を持て」


 柏はそう言って俺を睨んだ。


「……」


 俺は、なにも言えない。


 柏の言葉を否定するなら、茜をも否定することになるから。


「これ、お前から茜に渡しておいてくれ。嫌なら捨ててもいい。じゃあな」


 柏は俺に花束を押し付けると、きびすを返した。


 早足でその後ろ姿が遠ざかっていく。


「――柏! お前はいい奴だよ。少なくとも、悪いところよりもいい所の方がずっと多い奴だ。お前を世界で一番嫌いな立場にいるはずの俺が言うんだから間違いない!」


 その背中に向けて、俺は叫んだ。


 こんなことを言うのは俺のキャラじゃないのに。


「――」

 柏は一瞬こちらを振り向いて、また去って行った。


 その顔に浮かんでいたのは、悲しげな、だけどどこか吹っ切れた微笑だった。


(そうだよな。俺ごときがへこむなんて、贅沢だ)


 そうだ。


 柏はいい奴だ。


 茜のお母さんも立派な人だ。


 病院の人もきっと給料以上の奉仕の心で茜に接している。


 それでもなお、色んな選択肢の中から、茜は俺を選んでくれたんだ。


 茜が持っていたかもしれない様々な選択肢は失われ、そして、今、俺という可能性に託された。


 なら、俺はやり遂げなければならない。


 花束を握って、自販機で買った炭酸飲料を、俺は一気に飲み干した。


 ふと、マナーモードにしていたスマホが震えた。


 ラインの新規メッセージが一件。伊笹さんからだ。


『明日、お時間ありますか? もしよろしければ、街を案内させてください。私も元々、この県の出身じゃなくて、来たばかりの時は色々不便だったので。お節介じゃなければ』


 シンプルながらも考え抜かれたであろう一文。かわいらしいうさぎのスタンプ。


 伊笹さんは休みの日に気軽に友達を誘えるタイプじゃない。


 きっと、決死の覚悟でこのメッセージの送信ボタンを押してくれたんだろう。


 その意味に気が付かないほど、俺は鈍感ではない。


 でも、行けない。


 俺には、茜だから。


 いくつにも分岐する可能性の中から、彼女を選んでしまったから。


 丁寧に断りの返事を送った。


 茜へオレンジジュースを買う。



 そして、俺と茜の旅が始まる。



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